3-06 つてを使って聞いてみます
ノエルさんの様子が、おかしい。
うつむいたまま、膝の上の拳が白い。呼吸が浅い。さっきまで、あんなに楽しそうにゲイルの波紋を写していた鉛筆は、帳面の上に転がったままだ。工房の主が黙り込むと、この狭い工房は、炉の音だけになる。
「ノエルさん? 大丈夫ですか」
俺が声をかけると、ノエルさんは、はっと顔を上げた。
「は、はいっ! 大丈夫です! ちょっと、その、炉の火加減が気になっただけで!」
炉は今日、火を落としているはずだが。
ノエルさんは、そのまま立ち上がって、棚の在庫確認を始めた。革ひもの束を持ち上げて、置いて、また持ち上げる。砥石の位置を入れ替えて、また元に戻す。目打ちを数えて、途中で数え直す。……在庫は一つも動いていないのに、工房中のものが二回ずつ持ち上げられていく。
「ノエルさん、お茶、淹れ直しましょうか?」
「けっこうです! あっ、いえ、いただきます! どっちでもないです!!」
「どっちでもない……?」
エルシーさんが困り顔で急須を持ったまま固まった。
まあ、指摘するのも野暮だろう。専匠武器の話は、鍛冶師にとっては身内の話だ。よその男が好き勝手に語れば、思うところの一つもあるかもしれない。反省。
「すみません、ノエルさんの前で、専匠武器の話を軽々しく。気を悪くされたなら」
「ちちち違います! そういうのじゃ、ないです! ぜんぜん! これっぽっちも!」
ノエルさんはぶんぶんと首を振った。振りすぎて、頭のゴーグルがずれた。
「そ、それより! あの、ですね。その、理想の短剣の話、なんですけど」
「はい」
「わ、私、これでも鍛冶師ですから! 同業の知り合い、結構いるんです。親方は職人組合の顔役ですし、兄弟子は王都で店をやってますし、行商の職人さんも店に来ますし、組合には登録鍛冶師の名簿だってあって、その、鍛冶師の専匠武器の噂って、業界の中では回るものなので……! だから、その、探せます! 探せるんです、理屈の上では! 理屈の上では!!」
「理屈の上では、を二回言いましたね」
「言ってません!!」
言った。二回言った。だがノエルさんは聞こえないふりで、胸の前で、ぐっと拳を握った。
「私が、つてを使って、聞いてみます! その短剣を打てる鍛冶師さんがいないか!」
「……いいんですか?」
正直、驚いた。専匠武器の探し人なんて、雲を掴むような話だ。それを、自分から。
「ももも、もちろんです! じょ、常連さんの、夢の話ですから! それにその、鍛冶師の情報は、鍛冶師が一番詳しいので! はい!」
「ありがとうございます。恩に着ます」
頭を下げると、ノエルさんは「うぐ」と小さく呻いた。風邪だろうか。
と、ここでノエルさんは、思い出したように帳面を開いた。
「そ、そうだ、ゲイルの鞘! 明日までですもんね! 最後の採寸だけ、させてください!」
仕事の話になった途端、手つきだけは職人に戻る。ゲイルを預かり、腰の位置を測り、抜きの角度を確かめ――そして彼女は、なぜか俺の左の腰にも巻き尺を当てた。
「ノエルさん。ゲイルは右です」
「ふぇ!? あっ、そ、そうでした! 右! 右ですよね! なんででしょう、なんとなく、左も測りたくなって……く、癖です! 職人の癖!!」
「左に差すものは、ないですが」
「ないですよね!! はい!! 採寸終わり!!」
……本当に、今日のノエルさんは変だ。
「そ、それでですね。探すのに、その、名前が要るというか。ハヤトさんの理想の短剣、名前とか、分かってるんですか? 専匠武器って、だいたい銘があるので……」
「分かってます」
十二年、夢に見た銘だ。忘れるはずがない。
初めてその銘を口にする、と気づいたのは、言いかけた瞬間だった。あの世界では、掲示板に書き、検索窓に打ち込み、フレンドに送り――でも、声に出して、誰かに伝えたことは、一度もなかった気がする。誰も、聞いてくれなかったから。
息を、ひとつ。
「呪短剣――『ヴェイン』」
からん、と音がした。
ノエルさんの手から、工具が滑り落ちた音だった。
「呪短剣ヴェイン。最大体力49%減少と引き換えに、攻撃速度を大幅に上昇させる短剣です。……あの、ノエルさん?」
「…………ハ」
「ハ?」
「ハハ、ハハハ……そ、そうですかぁ……ヴェイン、ですかぁ……。へ、へえー……初めて聞く銘だなぁー……ぜんっぜん、聞いたことないなぁー……」
ノエルさんは、天井を見ながら乾いた笑いを漏らしている。目が完全に泳いでいた。
「……お心当たりが?」
「ないです!!!」
食い気味だった。
「な、ないですけど! でも! 探します! つてを! 使って! 時間は、その、かかるかもですけど! 業界は広いので! ええと、それで、今日はもう店じまいの時間なので!!」
「まだ日が高いですが」
「うちは早じまいの日なんです!! 今日は!! さっき決めました!!」
俺とエルシーさんは、あれよあれよと工房の外に押し出された。目の前で、ぱたんと扉が閉まる。閉まる寸前、「あっ、ゲイルの鞘は明日までにやっておきますから!」という律儀な声だけが飛んできた。
扉の前で、俺とエルシーさんは、しばらくぽかんと立っていた。鈴の残響が、夕暮れの路地に消えていく。
「……追い出され、ましたね」
「追い出されましたね」
「私、『また明日来ますね』も言えてないです……」
「明日、鞘の受け取りがあるので、言えます」
「あっ、そうでした」
閉まった扉の向こうは、しんとしていた。あの賑やかな人の店とは思えないくらいに。
夕暮れの路地で、俺とエルシーさんは顔を見合わせた。
「……ノエルさん、様子が変でしたね」
「変でしたね」
「あの、ハヤトさん。もしかして、なんですけど」
エルシーさんが、うーんと首をひねった。
「ヴェインって武器、ノエルさんのお知り合いの専匠武器だったり、しませんか? 銘を聞いた途端、工具を落としてましたし……」
「知り合いの、ですか。……いや、それなら隠す理由がないでしょう。『知ってます!』で済む話ですし、あの人の性格なら、その場で手紙を書き始めます」
「た、確かに……。じゃあ、なんであんなに慌てて」
「分かりません。……強いて言えば、呪いモノの専匠武器の話自体、鍛冶師さんには、しんどい話題なのかもしれません。専匠武器は職人の看板だそうですから。外れを引いた同業の話は、他人事じゃないというか」
「あ〜……なるほど、です。じゃあ、無神経なこと、しちゃいましたね、私たち……」
と、俺たちは、限りなく正解の周りをぐるぐる回りながら、正解だけを綺麗に避けて結論を出した。
「……疲れてるんでしょうか。開放期間で、修理の持ち込みも多いでしょうし」
「あっ、それかもです。目の下、うっすら隈もありましたし。……あの、ハヤトさん。お夜食、差し入れましょうか。教会の学び舎で習った、疲れに効く麦粥があるんです。蜂蜜と、生姜を少し入れて」
「いいですね。俺は市場で果物を見てきます。落ち合うのは鐘二つ後で」
「はいっ。……ふふ。ノエルさん、喜ぶといいなあ」
俺たちは素直にそう結論して、それぞれの買い出しに散った。
――念のため書き添えるが、このときの俺は、本当に、何も気づいていなかった。専匠武器の話で職人の心を波立たせたか、繁忙期の疲れか。せいぜい、その程度に考えていた。
我ながら、鈍いにも程がある。答えは、あんなに目の前にあったのに。
市場で、俺は果物の露店を眺めながら、少し不思議な満足感の中にいた。
ヴェイン。銘を、口に出した。それだけのことが、妙に、腹の底に残っている。十二年間、俺の夢は俺の頭の中だけのもので、文字にはしても、声にしたことはなかった。声にしたら、探し物が一段、本物になった気がする。見つかるあてが増えたわけでもないのに、おかしなものだ。
――ヴェイン、か。
ふと、あの世界のフレンドたちの顔が浮かんだ。俺がヴェインの話を始めるたび、「またお前か」と笑ったやつら。倉庫の二本を「観賞用」と呼んだやつら。悪意はなかった。ただ、誰も本気にしなかっただけだ。あいつらに教えてやりたい。俺はいま、本物の鍛冶師さんに、業界の伝手で探してもらえることになったんだぞ。……まあ、見つかる公算は、万に一つもないんだが。それでも、探してくれる人がいるというのは、思っていたより、ずっとあたたかいものだった。
「りんごなら、艶のいいのが入ってるよ」
「じゃあ、それを二つ。……いや、四つで」
ノエルさんの分と、ついでに明日の分。籠に詰めてもらいながら、ふと考えた。あの人、果物の好みを聞いたことがなかったな。今度、聞いておこう。行きつけの店というのは、そういうことを少しずつ知っていく場所なのだし。
――扉一枚はさんだ工房の中で、小さな鍛冶師が頭を抱えてうずくまっていることなど、知る由もなく。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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