3-05 夢は叶わないんだなぁ
「理想の、武器……」
工房の炉が、ぱち、と小さく爆ぜた。
カウンターの上には、布に横たわるゲイル。その手前に、身を乗り出したままのノエルさんと、息を呑んだエルシーさん。二対の目に見つめられて、俺は、十二年間ほとんど誰にも話したことのない話を、どこから始めるべきか、少しだけ迷った。
エルシーさんが、はっとした顔になった。
「前に言ってた……『ダンジョンで魔剣を引き当てるより難しい』っていう、あれですか?」
「あれです」
ノエルさんが「聞いてない!」という顔でエルシーさんを見て、エルシーさんが「私も名前までは聞いてません」という顔で首を振った。
俺は、カウンターの上のゲイルを見た。
美しい短剣だ。世間の基準なら、何も文句のない、最高の一振り。……だからこそ、昨日からずっと、胸の内で答え合わせが終わってしまっている。
「俺の理想は、短剣なんです。奇遇にも、ゲイルと同じ」
「短剣……はい」
「軽くて、速くて、何百回振っても芯が疲れない。そこもゲイルと同じ。攻撃速度が大きく上がる。そこも同じです。……ゲイルは、俺の理想に、姿だけなら本当によく似てる。だから、開けた瞬間、心臓が跳ねました。一瞬、夢かと思った」
「……姿だけ、なら」
ノエルさんが、静かに繰り返した。
「ええ。中身が、違う。俺の理想の短剣は、攻撃速度が『大幅に』上がるんです。八%なんてものじゃない。桁が違う。そのかわり――大きすぎる代償がある。装備している間、最大体力の半分を、持っていかれる」
「た、体力を!? なんですかその武器、呪いじゃないですか!?」
エルシーさんが声を上げた。
そう。呪いだ。世間ではそう呼ぶ。
「初めてその短剣を見たときのことは、今でも覚えてます。黒い刀身に、月の色の刃文。性能の欄を読んで、周りは全員『呪いモノだ』と笑って、俺だけが、笑えなかった。……体力半分の代償を払ってでも、その先に行けと言ってくれてる武器なんだと、そう読めたので」
「そ、その先って……」
「攻撃速度の、頂です」
言ってしまってから、少し照れくさくなった。だが二人とも、笑わなかった。エルシーさんは真剣な顔で頷き、ノエルさんは――なぜか、痛みを堪えるような目で、カウンターの一点を見つめていた。
「誰も登ったことのない速さの領域が、あるんです。そこでは世界がどう見えるのか、誰も知らない。俺はそれが、見たい。ただ、それだけのために、ずっと積んできました。……その頂への、最後の階段のひとつが、その短剣なんです」
「ど、どんな景色だと、思ってるんですか? その、頂って」
エルシーさんが、身を乗り出した。……考えたことなら、山ほどある。
「想像ですが。たぶん、静かです。速くなればなるほど、世界は静かになるので。音が置いていかれて、景色がゆっくりになって……頂では、きっと、降る雨の一粒一粒が、空に止まって見える。その止まった雨の間を、歩くみたいに走り抜けられる。……そういう場所だと、思ってます」
「雨が、止まって……」
エルシーさんが、うっとりと宙を見た。ノエルさんは、何も言わずに、ただ、カウンターの下で拳を握り直した。
「あの、聞いても、いいですか」
エルシーさんが、遠慮がちに手を挙げた。
「その、体力が半分になるのって……怖く、ないんですか。ハヤトさん、いつも、あんなに慎重なのに。撤退基準とか、保険とか、二重三重にする人なのに。命の半分って、その、一番大事な保険を捨てるみたいに、聞こえて」
いい質問だった。十二年前、俺自身が、俺に何度も聞いた質問だ。
「怖いですよ。今でも」
「え……」
「怖いから、慎重なんです。順番が逆なんですよ、エルシーさん。俺は命が惜しい。惜しいからこそ、代償を払う前に、払っても死なないだけの準備を積む。撤退基準も、保険も、耐性も、全部そのためです。……準備もなしに代償だけ払うのは、覚悟じゃなくて、ただの無謀なので」
「……準備してから、払う……」
「ええ。だから、まだ払ってません。積んでる途中です。――まあ、その払い先が見つからないと分かった、というのが、昨日からのこの顔の理由なんですが」
自分で言って、自分で少し笑ってしまった。エルシーさんは笑わずに、何かを胸に刻むように、ゆっくり頷いた。
「これだけレアで、これだけ強力な武器を拾っても――理想には、届かない。それどころか、たぶん一生、届かない。それが昨日、帰り道でゲイルを振った瞬間に、はっきり分かってしまって。素晴らしい振り心地の、そのぶんだけ、正確に。……夢は叶わないんだなぁ、って思ったら、その、なんというか」
言葉を選んだ結果、ものすごく情けない結論が出た。
「……ちょっと、へこみました」
沈黙が落ちた。
エルシーさんは口を両手で覆っている。ノエルさんは、なぜか身じろぎもせずに俺を見ている。
先に口を開いたのは、エルシーさんだった。
「あの……そんなにすごい武器なら、その、すっごく高いんじゃ……。お金を貯めれば、いつかは」
「いえ」
俺は首を振った。
「これは金額の問題じゃないんです。その武器は、店には並ばない。迷宮からも出ない。――ユーザー……人の手で打たれる、専匠武器なので」
ノエルさんの肩が、ぴくりと動いた。
「せ、専匠武器って……鍛冶師の、あの?」
「あっ、私、聞いたことあります」
エルシーさんが、おずおずと手を挙げた。
「鍛冶師さんには、一人にひとつ、その人にしか打てない特別な武器が定まってるんですよね。教会にも、専匠武器の聖剣を奉納した鍛冶師さまの話が残ってて……。どの武器を授かるかは、神さまのみぞ知る、って。……あれ? それって、私たちの祝福と、ちょっと似て――」
彼女はそこで、はっとした顔をして、口をつぐんだ。似ているのだ。ランダムに授かり、当たり外れを世間に値踏みされる才能。この世界は、そういう籤引きで、あちこちに線を引いている。
「はい。鍛冶師ごとに一つずつ定まっている、その人だけの固有の武器。俺の理想の短剣は、その中の一つなんです。つまり、その専匠武器を持つ鍛冶師さんに出会えない限り、この世のどこを探しても、絶対に手に入らない」
俺は、我ながら乾いた笑いをこぼした。
「専匠武器が何になるかは、完全に運。しかも数え切れないほど種類がある。その中の、たった一つです。狙って探せるものじゃない。……ダンジョンで魔剣を探すより、難しいんですよ。だから、遠い夢の話なんです」
「さ、探すあてとかは……行商の人に聞くとか、王都の組合とか……」
「昔いた場所で、ずっと探してました。伝手を辿って、噂を追いかけて。……見つかりませんでした。今度の探し方は、もっと気長です。旅をして、鍛冶師さんに会うたび、それとなく聞く。一生かけて、出会えたら僥倖。そういう類の夢です」
一生かけて。口にすると、我ながら、なかなかの重さだった。エルシーさんが「一生……」と復唱して、しゅんとする。
それから彼女は、何かを振り切るように、顔を上げた。
「じゃ、じゃあ、あとで、その武器の名前、教えてくださいね! 私も覚えます! それで、旅先で聖職者仲間に会ったら、聞いて回ります! 教会の伝手だって、馬鹿にできないんですから! それで、いつか見つかったら――皆で、頂の景色を見に行きましょう! 私、ハヤトさんの言う『誰も見たことのない速さの世界』、ちょっと見てみたいです!」
「……ええ。そのときは、特等席を用意します」
「約束ですよ!」
まったく、うちの相棒は。湿った空気を、まっすぐな声で干してしまうのだから。
俺はつい、軽口の続きで、言ってしまった。
「しかし、本当に――打てる鍛冶師さんが、どこかにいるならなあ。いたら俺は、その人に、真っ先に頼み込むんですが。全財産と、あと十年ぶんの働きを付けて」
何気ない、ただの繰り言だった。
ノエルさんの肩が、それまでで一番大きく、跳ねた。
工房の炉が、ぱちりと爆ぜた。
エルシーさんが「そんなぁ……」と眉を下げている。
ノエルさんは――さっきから、一言も、喋っていなかった。
湯呑みを両手で包んだまま、じっと、カウンターの木目を見ている。よほど、職人として思うところのある話だったのだろうか。専匠武器は鍛冶師の看板であり、値札であり、人生だと聞く。よその男が「夢だ」の「届かない」だのと語っていい領分では、なかったかもしれない。
俺は空気を変えようと、努めて明るく手を打った。
「――すみません、湿っぽい話をしました。ゲイルは最高の短剣です。明日からばりばり使います。ノエルさん、そういうわけなので、鞘の調整をお願いしても……ノエルさん?」
返事がなかった。
ノエルさんは、うつむいていた。
作業着の膝の上で、両の拳が、白くなるほど固く握られていた。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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