3-02 ダンジョンアタック
噛み合わぬ歯車の迷宮は、街の南東、岩山の中腹に口を開けていた。
開放初日の入り口は、ちょっとした祭りだった。露店が並び、腕自慢のパーティーがひしめき、ギルドの出張受付までできている。焼き菓子の匂いと、武具の油の匂いと、誰かの武勇伝が混ざり合って、朝から気圧が高い。
俺たちはその喧騒を横目に、静かに列へ並んだ。目立たず、焦らず、確実に。
順番が来て、出張受付の天幕をくぐると――見慣れた顔が、書類の山に埋もれていた。
「入場受付でーす……あっ、ハヤトさんとエルシーさん!」
「ソフィさん? なんでここに」
「人手不足です!! 開放期間は毎回こうなんです!! はい、これ入場札! 二人一組で一枚! なくしたら再発行に銀貨一枚かかります! 鐘は三回! 三回目までに必ず外へ!!」
まくし立てる合間に、ソフィさんは声をひそめて付け足した。
「……無理、しないでくださいね。お二人とも、私の担当なんですから」
「焦らず、確実に、です」
「その言葉、信じてますからね!」
入場札を受け取って、俺たちは洞口をくぐった。
「は、入りますよ、ハヤトさん。……わ、わぁ……」
中は、噂に違わぬ奇観だった。
石壁のあちこちに、大小の歯車が埋まっている。拳ほどのものから、家一軒ほどのものまで。それらが軋みながら回り、噛み合い――ときどき、噛み合わずに、がりがりと空転している。床は緩やかに動く箇所があり、壁は周期的に組み変わる。
アルオンにあった同名の迷宮と、構造はほぼ同じ。ただし空気の重さと油の匂いは、画面越しには知らないものだった。天井の暗がりで回る大歯車の風切り音が、地の底の呼吸みたいに聞こえる。
「エルシーさん、足元の白い歯車は踏んで大丈夫。黒い縁のは駄目です。三秒で反転するので」
「な、なんで知ってるんですか!?」
「……勘のいい先達に、昔教わりまして」
一層は、仕掛けの入門編だ。最初の関門は、通路を横切る「動く床」――幅三メートルの帯状の床が、ゆっくり左右に流れている。
「タイミングを合わせて、二歩で渡ります。合図したら、右足から」
「に、二歩……はい……はいっ……ひゃあ!?」
一回目、エルシーさんは床の流れに足を取られて、俺の腕の中に倒れ込んできた。二回目は踏み切りが早すぎて、また倒れ込んできた。三回目。
「……わ、渡れました! ハヤトさん、私、渡れました!」
「上出来です。帰りはもっと上手くなってますよ」
コツは「床を見ずに、対岸を見る」。ゲームで一万回渡った俺が言うのだから間違いない。えっへんと胸を張る相棒に、根拠は伏せて太鼓判を押した。
その先の十字路では、壁の組み変わりに行き会った。ごごご、と地鳴りがして、正面の通路が壁ごと九十度回っていく。エルシーさんが悲鳴を上げて俺の背中に隠れる。
「大丈夫。組み変わる場所は決まってます。角の床に白い線があるでしょう。あの内側は、何が動いても安全地帯です」
「せ、先達さんって、何者なんですか……」
「ただの、通い詰めた人です」
嘘は言っていない。
二層へ降りる階段の手前で、俺たちは先客の戦闘に行き会った。
四人組の中堅パーティーが、歯車蜘蛛二体と揉み合っている。盾役の大盾はすでにべこべこに凹み、剣士のスキル――刃が赤く光る、大振りの一閃――は、跳び回る蜘蛛に二度続けて空を切った。
「くそっ、硬え! 継ぎ目を狙えって言われてもよ、速えんだよこいつ!」
「魔力がもったいねえ、スキル温存だ! 囲って止めろ!」
悪態をつきながらも、彼らの立ち回りは手堅かった。盾で受け、数で囲い、じりじりと削って、二体目が沈黙する頃には、全員が肩で息をしていた。回復役が、座り込んだ盾役に駆け寄っていく。
……中堅パーティーで、あれが普通なのだ。歯車蜘蛛は装甲が硬く、動きが速い。大振りのスキルは当てづらく、当たっても継ぎ目を外せば弾かれる。
すれ違いざま、剣士がこちらに気づいて、親切に声をかけてくれた。
「兄ちゃんら、二人か? 悪いことは言わねえ、蜘蛛が出たら逃げに徹しろ。ありゃ、新人が触っていい相手じゃねえ」
「ご忠告、痛み入ります」
いい人たちだ。無事を祈りつつ、俺たちは先へ進んだ。
――そして最初の敵は、二層で出た。歯車蜘蛛。鉄の脚を持つ、犬ほどの大きさの機械仕掛け。あちらより一体多い、三体。
「祝福お願いします。初見の相手なので、贅沢にいきます」
「はいっ。――主よ、彼の者に迅きを!」
背中に追い風が灯る。
歯車蜘蛛の脚は速い。が、機械の悲しさで、動きの「予告」が正直だ。跳びかかる前に、後ろ脚の歯車が二回、カチ、カチと鳴る。
一回目のカチ。俺は既に踏み込んでいる。二回目のカチが鳴る前に、関節の継ぎ目へ三撃。
――ここで、攻撃速度の話をさせてほしい。
敵の動作の「隙間」というのは、時間にすればコンマ数秒しかない。普通の剣士なら、その隙間に一撃入れば上等だ。だから世間の戦術は「大きな一撃をどう当てるか」に寄っていく。
だが、攻撃速度を上げると、この隙間の意味が変わる。
同じコンマ数秒に、二撃入る。祝福があれば、三撃目まで覗く。
三撃入るとどうなるか。一撃目で継ぎ目の装甲を弾き、二撃目で露出した軸を叩き、三撃目で怯ませる。怯んだ敵は次の動作をやり直す。やり直しの動作にも、当然「予告」がある。つまり、また隙間が生まれる。
隙間に差し込み、怯ませ、隙間を作り、また差し込む。
これが回り始めると、敵は永遠に「攻撃の準備」だけを繰り返すことになる。攻撃速度は火力じゃない。相手の時間を奪って、自分の時間に変える力だ。
一体目、停止。二体目、跳躍の着地点に先回りして停止。三体目は仲間を呼ぶ習性があるので、鳴き車が回る前に最優先で停止。
「……ふう。エルシーさん、怪我は」
「ないですけど!! ないですけど!! さっきの四人組の方たち、二体相手にあんなに苦戦してたんですよ!? なのに三体、無傷で、剣一本で!? しかも蜘蛛さんたち、一回も攻撃できてませんでしたよ!? ずっと、その、攻撃しようとしては、びくって止まって、しようとしては、びくって……なんだか、かわいそうに……」
「機械に情けは無用です。あと下がって。解体して歯車を回収します。素材がいい値で売れるのと――」
解体は、丁寧に。脚の関節を傷めないように外し、核の歯車は布で包む。歯車蜘蛛の素材は、細工物と時計職人に高く売れる。そして、状態のいい主脚は――うちの専属鍛冶師が、目を輝かせて喜ぶのだ。土産話に、実物がつくのは良いことである。
蜘蛛の核の歯車を外したところで、視界にウィンドウが開いた。
――――――――――
称号「機械仕掛けの解体屋」を獲得
(条件:機構系の魔物を無傷で十体討伐する)
効果:器用さ +0.5%
器用さ:9 → 9.04
――――――――――
「――こういうのが、出るからです」
「今、称号の顔してました!」
三層に降りたところで、昼にした。
歯車の止まった小部屋――アルオンでいう安全地帯だ。動くものが何もない部屋というのは、この迷宮では逆に贅沢な空間である。荷を下ろし、携行食のパンと干し肉を出す。エルシーさんが小さな鍋で湯を沸かして、白湯に干し果物を落としてくれた。
「銀狼の牙にいた頃の、野営の知恵です。甘みがあると、疲れが抜けるんですよ」
「……うまい。生き返ります」
「ふふ。迷宮の中でご飯って、不思議ですね。壁の向こうで歯車がごろごろ言ってるのに、なんだか、落ち着いちゃって」
分かる。ゲームでは、迷宮の中で飯を食う機能などなかった。回復アイテムを一瞬で「使用」するだけだ。湯気の立つ白湯を挟んで一息つく昼は、この世界に来てから覚えた贅沢のひとつである。
午後も、俺たちは順調に階層を下った。
動く床は周期を読めば歩道になり、罠の歯車は音で分かり、宝箱は三つ開けた。
三つ目の箱には、蓋の裏に針の罠が仕込まれていた。開ける前の点検で、蝶番の隙間から覗く発条を見つけ、白墨の柄で軸を押さえてから外す。ぱちん、と空撃ちの音がして、エルシーさんが飛び上がった。
「い、今の、開けてたら……」
「手の甲に一本でした。だから、開ける前に覗くんです。箱は逃げませんから」
中身は、銀貨と、魔力布と、上物の砥石。砥石はノエルさんへの土産にしよう。あの人はたぶん、銀貨より喜ぶ。
一度だけ、ひやりとする場面があった。
四層に降りてすぐの三叉路で、エルシーさんが、ふと足を止めたのだ。
「……ハヤトさん。右の道、なんだか、嫌な感じが、します」
撤退基準、第四条。エルシーさんが「嫌な感じがする」と思ったとき。
「では、真ん中から回り込みましょう」
迂回して物陰から覗くと――右の通路の天井裏に、歯車蜘蛛が三体、息を潜めて張り付いていた。天井からの奇襲は、この迷宮の名物だ。分かっていても、初見の位置は読み切れない。
「……当たりましたね、エルシーさんの勘」
「ま、まぐれです。なんとなく、油の匂いが濃かったような気がしただけで……」
「その『なんとなく』が、二年間の観測データです。良い申告でした。この三体は横から頂きます」
天井の待ち伏せは、待ち伏せに気づかれた時点で、ただの的である。三体、停止。エルシーさんは「私、役に立ちました……」と、しばらく錫杖を抱きしめていた。
「……銀狼の牙にいた頃はですね。戦いの間、ずっと、怖いだけだったんです。誰かが怪我をするのを、後ろで待ってるだけで」
歩きながら、彼女はぽつりと言った。
「でも今は、ちゃんと戦場が見えてる気がします。匂いとか、音とか、皆さんの位置とか。……見えるようになったら、怖いのが、ちょっとだけ減りました」
「観測は最強の防具です。うちの相棒は、いい後衛になりましたよ」
「えへへ……もっと見ます。もっと見えるようになります」
エルシーさんの祝福のかけ直しも、回復も、危なげなかった。二年間の経験に、この一か月の実戦が噛み合って、彼女はもう、立派に「うちの後衛」だった。
「五層の手前まで来ました。予定ではここが今日の折り返しですが――」
俺は通路の先を見た。
五層。アルオンの記憶が正しければ、この迷宮の五層には「大きな宝物庫」がある。開放期間の目玉で、迷宮産の武具は、だいたいそこから出る。
「――少しだけ、欲をかきましょう。宝物庫を覗いて、帰ります」
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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