3-01 行きつけの鍛冶屋
第三章「鍛冶師編」、本日より開幕です。
本章から、1話あたりの文字数を約1.5倍に増量してお届けします。
更新は変わらず、毎日20時です。
それでは――迷宮の開放が、始まります。
迷宮の開放まで、あと三日。
ラトナの街は、目に見えて浮き足立っていた。よその街から腕自慢のパーティーが流れ込み、宿の相場が上がり、武具屋の店先からは売れ筋の得物が消えていく。ギルドの掲示板には『開放期間中の注意』と書かれた真新しい張り紙が、でかでかと貼り出されていた。
「――はい、というわけで、お二人にもご説明しますね」
受付のソフィさんが、張り紙と同じ内容の紙を広げる。俺たちも一応、初参加の扱いなのだ。
「噛み合わぬ歯車の迷宮の開放は、九日間。最終日の日没で入り口が完全に閉じます。閉じる時刻の鐘は三回、街とダンジョンの両方で鳴りますので、三回目までに必ず外へ。それから、内部での他パーティーとの揉め事は厳禁。宝箱の先取りで毎回喧嘩が起きるんですけど、当ギルドは開けた者勝ちの立場です」
「質問です。過去の開放期間の、事故の記録は閲覧できますか」
「……できますけど、そんなこと聞いてきた人、ハヤトさんが初めてです」
「大事なことなので」
資料室で三年ぶんの記録を読ませてもらった。死亡事故は九日間あたり平均二件。原因の一位は転落、二位は罠、三位が閉じ込め。魔物にやられた例は、実は少ない。……アルオンと同じだ。迷宮で冒険者を殺すのは、敵より地形と油断なのだ。
エルシーさんと二人、行きと帰りの経路、撤退基準、はぐれた場合の合流地点を決めて、紙に書いて、互いに写した。
道具の買い出しにも、半日かけた。
ロープは新品を二巻。目印用の白墨をひと箱。光苔のランタンを二つ、油の予備を三本。水と携行食は二日ぶん――日帰りの予定でも、持つのは二日ぶんだ。予定というのは、崩れるためにあるのだから。
雑貨屋の親父さんは、俺の買い物かごを覗いて、ほう、と眉を上げた。
「兄ちゃん、開放は初めてだろ? 初めてでこの買い物ができるやつは、めったにいねえ。……大抵は武器ばっかり磨いて、水を忘れて帰ってくる」
「水は、武器より強いので」
「はは、違いねえ」
隣でエルシーさんが、買った品を種類ごとに袋分けして、袋に中身の一覧を縫い付けていた。几帳面にもほどがある。だがこの几帳面さが、暗い迷宮の中で効くのだ。「ポーションどこでしたっけ」で死ぬのが冒険者である。
そして準備の最後に残ったのが――装備の総点検である。
というわけで、俺とエルシーさんは、装備一式を抱えて、ノエル工房の扉をくぐった。約束通りの、出発前の総点検である。
職人通りは、開放前の書き入れ時だった。どの工房からも槌の音が途切れなく響き、店先には順番待ちの冒険者が列を作っている。その喧騒が、裏路地に入ると、すっと遠くなる。ノエル工房の前だけは、相変わらず静かだ。……ただ、以前と違うところが一つある。カウンターの内側に、客用の丸椅子が二脚、増えていた。俺とエルシーさんの、指定席である。
「いらっしゃいませ! ――はい、お預かりします。全部、机に並べてくださいね」
ノエルさんの工房は、狭いが、気持ちのいい場所だ。
炉の熱がじんわりと肌に届いて、油と鉄と炭の匂いがする。壁の道具は大きさの順にきっちり掛けられ、床には削り屑ひとつ落ちていない。職人の性格は、工房に出る。この工房は、几帳面で、正直だ。
「まずエルシーさんの錫杖から。……うん、石突きが少し緩んでますね。あと、握りの革が汗で硬くなってる。巻き直しておきます。長く祈ると、手が痛くなりませんでした?」
「な、なります! 右手の親指の付け根が……え、革でそんなに変わるんですか?」
「変わりますよー。道具は正直ですから」
ノエルさんは慣れた手つきで革を解きながら、にこにこと続けた。
「錫杖って、うちに来る頃にはだいたい傷んでるんです。聖職者の人って、自分の回復はできても、道具の手当ては後回しにしちゃうので。……エルシーさんのは、ちゃんと拭いて手入れしてあって、えらいです。道具を大事にする人、私、好きです」
「え、えへへ……」
エルシーさんが照れている。うちの相棒は褒められ慣れていないので、この工房に来るといつも幸福度が上がる。連れてきた甲斐がある。
次は俺の番だった。繋ぎの剣――ノエルさんが先月見繕ってくれた、少し軽めの片手剣だ。
「……はい、診察終わり。刃は健康。でも柄糸が予定より早く傷んでます。ハヤトさん、また握りの位置、細かく変えてますね?」
「敵によって、三か所くらい」
「やっぱり! 摩耗の場所で分かるんですよ。じゃあ、三か所とも補強しておきます。それと鞘の鯉口、少し渋くなってたので調整します。抜きの速さ、大事なんですよね?」
「大事です。俺の場合、抜くのが遅いと死活問題なので」
「ふふん、分かってますとも。常連さんですから」
それから彼女は、カウンターの下をごそごそと探って、小さな布包みを二つ、俺たちの前に置いた。
「これ、迷宮用の応急セットです。予備の目釘と、革ひもと、松脂。柄が緩んだときの応急処置、前に教えましたよね? あれの材料一式。……それと、こっちは」
包みの上に、ころん、と小さなものが乗った。親指の先ほどの、鋼の歯車。丁寧に磨かれて、革ひもが通してある。
「お守りです。私が打ちました。迷宮の神さまが歯車なら、歯車を持ってれば、悪いようにはされないかなって……えへへ、迷信ですけど」
「いただきます。効きそうです」
「私のぶんもあるんですか!? わあ、わあ……! 一生大事にします……!」
エルシーさんが歯車を両手で包んで拝み始めた。祀る神様が増えた瞬間である。
ノエルさんは照れ隠しみたいに咳払いして、作業台に向かった。
ここからが、俺のひそかな楽しみの時間である。
彼女の仕事は、見ていて飽きない。革を巻く指は迷いなく、目打ちの角度は毎回同じで、時々、剣を目の高さに上げては、片目をつぶって刃筋を覗く。その横顔は真剣そのもので、鼻先にすすがついていることには、たぶん気づいていない。
研ぎに入ると、彼女はまず砥石の水に指を浸して、少しだけ首を傾げ、炉の近くの桶と入れ替えた。
「水の温度ですか」
「あっ、分かります? 冷たすぎると研ぎ汁の乗りが変わるんです。教わったわけじゃないんですけど、なんとなく、刃の機嫌がいい気がして」
「刃の機嫌」
「道具にも機嫌、ありますよ? ハヤトさんの剣は、素直ないい子です。振る人の言うことをよーく聞く。……その分、無理も全部引き受けちゃうんですけどね?」
じろり、と流し目が来た。すみません。一戦闘百回振る飼い主で。
その間、エルシーさんはといえば、頼まれてもいないのに炉のふいごの取っ手を磨き始めていた。真面目な子は、待ち時間にじっとしていられないのである。ノエルさんが「あっ、そこ助かります」と言い、エルシーさんが「もっと働きます」と袖をまくる。うちの前衛以外は、今日も働き者だ。
「――そういえば、お二人だけで迷宮って、大丈夫なんですか? 開放期間って、腕自慢がいっぱい入るんですよね」
「大丈夫です。人が多い階層は、むしろ安全なので。うちは浅層と中層の手前まで。地図と敵の情報は頭に入ってますし、撤退基準も決めてあります」
「エルシーさん、この人の『大丈夫』、大丈夫なやつですか?」
「大丈夫なやつです。ハヤトさん、ああ見えてびっくりするくらい臆病なので」
「臆病……? 一戦闘で百回斬る人が……?」
「臆病だから百回斬るんです」
相棒が俺の解説に慣れてきた。嬉しいような、複雑なような。
「いいなあ、迷宮……。私も一度でいいから、開放中に入ってみたいんですけど、工房が繁忙期ドンピシャで」
ノエルさんは、研ぎの手を止めずにため息をついた。
「迷宮産の武具ってあるじゃないですか。あれ、どこの工房でも打てない技術で出来てるんです。修理で持ち込まれるたび、中を覗いては、ため息ばっかり。誰が、どうやって……って。迷宮の底には、私たちの千年先を行く鍛冶場でもあるんですかね?」
「あるかもしれませんよ。あの迷宮、名前からして『歯車』ですし」
「ですよね!? ああー、行きたい! でも仕事!!」
職人の好奇心と職人の責任感が正面衝突して、ノエルさんはじたばたした。かわいそうに。土産話は奮発しよう。
点検は日暮れ前に終わった。錫杖は見違えるほど手に馴染むようになったとエルシーさんが感動し、俺の剣は柄も鞘も文句なしに仕上がった。会計は、二人分でも驚くほど良心的だった。
「はい、これで万全です! ……あの、それで、ですね」
帰り際、ノエルさんは少しもじもじして、上目遣いに言った。
「迷宮のお土産話、聞かせてくださいね。どんな武器が出たとか、どんな仕掛けがあったとか。私、迷宮産の武具の話、大好きなので……!」
「もちろん。掘り出し物があったら、真っ先に見せに来ます」
「約束ですよ!!」
ぱあっと顔を輝かせる鍛冶師さんに見送られて、俺たちは工房を後にした。
――帰り道、隣を歩くエルシーさんが、抱えた錫杖を何度も撫でては、にまにましていた。
「持ち物、もう一回確認してもいいですか。水と、保存食と、ポーションと、合流地点の紙と……」
「昨日も確認しましたよ」
「だ、だって! 初めての迷宮なんですもん! ……ハヤトさんは、緊張しないんですか?」
「します。するので、確認しましょう。水と、保存食と、ポーションと――」
そして、あっという間に、出発前夜である。
結局その晩も、宿の食堂で三回目の持ち物確認をした。ロープよし。白墨よし。ランタンよし。ノエルさんの応急セットと、歯車のお守りよし。
「あの、ハヤトさん。最後に、ひとつだけ、いいですか」
解散間際、エルシーさんが居住まいを正した。それから卓の上の装備一式に両手をかざして、目を閉じ、短い祈りの言葉を紡いだ。祝福とは違う、戦いのためではない、ただの安全祈願。淡い光が、ロープや剣や、歯車のお守りの上を、ほたるみたいに撫でて消えた。
「……教会の学び舎で、一番最初に習うお祈りなんです。旅の道具への、ありがとうとお願い。効果は、その、気持ちだけなんですけど」
「いえ。一番効く保険な気がします」
「ふふ。じゃあ、明日は早いので!」
相棒は満足そうに笑って、部屋へ引き上げていった。
ベッドに入って、目を閉じる。……眠れない。遠足前夜の子供か、俺は。画面越しに十二年通った迷宮に、明日、本当にこの足で入るのだ。眠れないのも、仕方ないだろう。
装備よし。相棒よし。行きつけの工房よし。
明日、迷宮が開く。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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