第六話 王の前で
王宮の大広間。
ざわめきは、まだ完全には収まっていなかった。
だが――
その空気は、確実に一方向へと収束していた。
視線。
すべてが、ある一点に集まっている。
「料理顧問……」
「侍女が……いや、伯爵令嬢だが……」
抑えられた声が、静かに広がる。
その中で――
一歩、前へ出る者がいた。
カイル・フォン・ヴァルディーク。
その動きは、あまりにも自然だった。
だが同時に、
この場のすべてを変えるには十分だった。
ざわめきが、止まる。
音が、遠のく。
視線が、一斉に集まる。
リディアの呼吸が、わずかに揺れた。
(……カイル様)
だが――
止めない。
止める理由もない。
その背を、ただ見つめる。
カイルは、王の前で立ち止まる。
そして、静かに一礼した。
「陛下」
低く、はっきりとした声。
「恐れながら、申し上げます」
大広間が、完全に静まり返る。
王が、ゆっくりと視線を向けた。
その一瞬。
空気が、張り詰める。
すべてを見極めるような、静かな圧。
「申してみよ」
短い言葉。
だが、それだけで十分だった。
カイルは顔を上げる。
その瞳には、一切の迷いがない。
「リディア・フォン・アルヴェルンを」
一拍。
その名が、場に落ちる。
「我が妻として迎えたく存じます」
――宣言だった。
逃げ道のない、
完全な意志の提示。
一瞬の沈黙。
そして――
ざわめきが、爆発する。
「なっ……」
「公爵家が?」
「料理顧問任命の直後に……?」
驚きと動揺が広がる。
だが――
カイルは、一切動じない。
王の前で。
ただ、真っ直ぐに立っている。
リディアは、息を呑んだ。
心臓が大きく鳴る。
(……こんな形で)
予想はしていなかった。
だが――
恐れはない。
逃げたいとも思わない。
その視線の先で。
自分の名が、確かに呼ばれたから。
リディアは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳に、迷いはない。
王は、しばらく沈黙した。
その視線は、カイルへ。
そして――
リディアへ。
やがて。
「……よい」
静かに告げる。
その一言で、空気が変わる。
王は続けた。
「アルヴェルン伯爵家も、異存はないな」
その問いに、
一歩前へ出る者がいた。
リディアの父――伯爵。
「異存ございません」
迷いのない声。
その背後には、
すでに認められた意思があった。
王は満足そうに頷いた。
「ならば」
静かに言う。
「認めよう」
その言葉が落ちた瞬間――
場の空気が、一変する。
ざわめきは、祝福へと変わる。
カイルは深く一礼した。
「感謝申し上げます」
そして、ゆっくりとリディアへ視線を向ける。
リディアは、その視線を受け止めた。
逃げない。
もう、逸らさない。
「……よろしくお願いいたします」
小さく。
だが、確かに。
それは――
王の前での、正式な受諾だった。
その瞬間。
王弟アルベルトが、わずかに口元を上げる。
(やはり、そうなるか)
楽しげに。
だが、どこか納得したように。
すでに勝負はついている。
カイルの瞳が、静かに細められる。
確信。
もう、手放さない。
こうして――
二人の関係は、
王の前で正式に認められた。
もはや、誰にも覆せない形で。




