第十三話 逃がさない距離
王宮の回廊。
厨房を離れた先の、人目の少ない場所。
窓からの光が、静かに差し込んでいる。
リディアは、ほんの少しだけ足を止めた。
その隣に、カイルがいる。
距離は近い。
だが――
先ほどまでとは、明らかに違っていた。
(……落ち着かない)
胸の奥が、静かに騒いでいる。
原因は、分かっている。
「……先ほどの言葉ですが」
不意に、カイルが口を開いた。
低く、静かな声。
リディアの心臓が跳ねる。
「……どの言葉でしょうか」
わずかに視線を逸らしながら答える。
だが、その声は落ち着いていなかった。
カイルは、逃がさない。
「お待ちしておりました、と」
はっきりと告げる。
逃げ場のない言葉だった。
リディアの頬が、わずかに染まる。
「……あれは」
言葉を探す。
だが、うまく出てこない。
「その……深い意味は」
否定しようとする。
その瞬間――
カイルが、一歩踏み込んだ。
距離が、さらに近くなる。
思わず息を呑む。
「本当に?」
低く問う。
試すようでいて、確かめる声。
リディアは答えられない。
視線を逸らそうとする。
だが――
できない。
カイルの瞳に、捕らえられる。
「……嫌でしたか」
静かな声だった。
だがその中に、ほんのわずかな緊張がある。
その一言で――
リディアの中の何かが、揺れた。
「……違います」
反射的に答えていた。
はっとする。
だが、もう止められない。
「嫌では、ありません」
小さく、だがはっきりと。
その言葉に、カイルの目がわずかに細められる。
空気が変わる。
ほんの少しだけ。
だが、確実に。
カイルは、さらに一歩だけ距離を詰めた。
もう、逃げられないほどに。
「では」
静かに言う。
「どういう意味ですか」
逃がさない問い。
リディアは息を呑む。
答えなければならない。
だが――
言葉にできない。
胸の奥の、この感情を。
「……分かりません」
ようやく出た言葉は、それだった。
だが。
それは、逃げではない。
正直な答えだった。
カイルは、その言葉を静かに受け止める。
そして――
ふっと息をついた。
「そうですか」
短く言う。
だが、その声音は柔らかかった。
次の瞬間。
カイルの手が、そっとリディアの手に触れる。
驚くほど自然に。
逃がさないように。
リディアの呼吸が止まる。
「では」
低く、静かな声。
その瞳が、真っ直ぐにリディアを捉える。
「分かるまで」
一拍置く。
その意味を、しっかりと含ませて。
「手放すつもりはありません」
その言葉は――
宣言だった。
リディアの心臓が、大きく鳴る。
逃げられない。
だが――
逃げたいとも思わない。
カイルは手を離さない。
ただ静かに、見つめている。
その瞳には、揺らぎはなかった。
回廊の静けさの中で――
二人の距離は、確かに変わっていた。




