第十二話 待っていた言葉
王宮の厨房。
いつものように、穏やかな香りが満ちていた。
だが――
リディアの手は、どこか落ち着かない。
鍋をかき混ぜる手が、ほんのわずかに遅れる。
(……どうして)
ふと、思う。
さっきのことが、頭から離れない。
廊下での会話。
カイルの言葉。
「私が先に、申し込みます」
その声が、何度も蘇る。
(……どうして、あんな)
胸の奥が、落ち着かない。
熱いような、苦しいような。
だが――
嫌ではない。
むしろ。
(……安心、した?)
その感情に、自分で驚く。
その時だった。
「リディア様」
料理人の声がする。
「……少し火が強いです」
はっとして、鍋を見る。
慌てて火を弱めた。
「すみません」
小さく頭を下げる。
だが、その直後。
視線が、ふと扉へ向いた。
(……来る)
理由は分からない。
だが、そう思った。
胸が、少しだけ高鳴る。
足音が近づく。
そして――
扉が開いた。
「リディア嬢」
その声に、顔を上げる。
そこにいたのは、カイルだった。
一瞬だけ、息が止まる。
(……やっぱり)
その姿を見た瞬間。
胸の奥のざわめきが、すっと整う。
安心するように。
リディアは、ほんのわずかに笑った。
「カイル様」
声が、少し柔らかくなる。
自分でも気付かないほどに。
カイルは一歩だけ近づく。
周囲の空気が、自然と遠のく。
「少し、よろしいですか」
静かな声。
リディアは迷わなかった。
「はい」
すぐに頷く。
そして――
気付く前に、言葉がこぼれた。
「……お待ちしておりました」
その瞬間。
自分で、はっとする。
(……え?)
言ってしまった。
無意識だった。
だが、もう遅い。
カイルの動きが、わずかに止まる。
その瞳が、リディアを捉える。
逃げ場のない視線。
リディアの頬が、ほんのりと染まる。
「……あの」
言い直そうとする。
だが――
カイルが、先に口を開いた。
「そうですか」
低く、静かな声。
だがその奥に、確かな熱があった。
「それは――」
ほんのわずかに、距離を詰める。
「嬉しいですね」
その言葉に、リディアの心臓が大きく鳴る。
逃げられない。
逃げたくもない。
ただ――
そのまま、見つめ返してしまう。
カイルは、ふっと目を細めた。
「では」
一拍置く。
「そのまま、少しお時間をいただきます」
リディアは小さく頷く。
言葉は出ない。
だが――
拒む気など、最初からなかった。
厨房の喧騒の中。
二人の間だけが、静かに熱を帯びていく。
その変化に気付いている者は――
まだ、誰もいなかった。




