第十一話 公爵家の覚悟
ヴァルディーク公爵邸。
重厚な扉の前で、カイルは足を止めた。
執務室。
この先にいるのは――
宰相であり、公爵家当主。
そして、自分の父だ。
一度、静かに息を整える。
迷いはない。
扉を叩く。
「カイルです」
短く告げる。
中から、低い声が返ってきた。
「入れ」
カイルは扉を開けた。
室内は静かだった。
書類が整然と並び、窓からの光が机を照らしている。
その中央に座る男。
ヴァルディーク公爵――宰相。
鋭い瞳が、こちらを見ていた。
「どうした」
無駄のない問い。
カイルは一歩進む。
そして、迷いなく口を開いた。
「リディア・フォン・アルヴェルン嬢について、お話があります」
その名前に、宰相の目がわずかに細められる。
「ほう」
短く返す。
それだけで、すべてを察したようだった。
カイルは続ける。
「彼女に、婚約の申し込みをしたいと考えております」
静かな声。
だが、一切の揺らぎはない。
室内の空気が、わずかに張り詰める。
宰相はしばらく黙っていた。
ただ、カイルを見ている。
その視線は鋭い。
値踏みするように。
「……理由は?」
低く問う。
試すような声だった。
カイルは迷わない。
「必要だからです」
即答だった。
だがそれだけではない。
一拍置き、続ける。
「公爵家にとっても」
「王宮にとっても」
「そして――」
ほんのわずかに間を置く。
「私にとっても」
その言葉に、宰相の視線がわずかに変わる。
「……なるほど」
小さく呟く。
そして椅子にもたれた。
「感情ではない、と?」
試すような問い。
カイルはまっすぐ答える。
「感情も含めてです」
その一言。
逃げも、誤魔化しもない。
宰相はしばらく沈黙した。
そして、ふっと息をつく。
「相手は、王女の侍女だ」
「王宮顧問の話も出ている」
「そして――」
視線が、鋭くなる。
「王弟殿下の名もな」
重い言葉だった。
カイルは一歩も引かない。
「承知しております」
短く答える。
その声音には、揺らぎがない。
宰相はその様子を見ていた。
そして、静かに言う。
「簡単な話ではないぞ」
「公爵家としても」
「王宮としても」
「そして――」
一拍置く。
「お前自身にとってもな」
カイルはわずかに目を細めた。
「承知の上です」
その言葉は、静かだった。
だが、確かな覚悟があった。
宰相は、しばらく何も言わなかった。
ただ、息子を見ている。
やがて――
「いいだろう」
短く言った。
空気が、わずかに変わる。
カイルの瞳がわずかに揺れる。
だが、言葉は続く。
「ただし」
その一言で、再び緊張が走る。
「結果を出せ」
低く、はっきりとした声。
「言葉ではなく、行動で示せ」
カイルは静かに頷いた。
「承知いたしました」
宰相はそれ以上何も言わない。
すでに、試練は与えた。
あとは――見届けるだけだ。
カイルは一礼し、踵を返す。
扉へ向かう。
その背中に、声がかかることはなかった。
だが――
その沈黙こそが、答えだった。
扉を開ける。
外の空気が流れ込む。
カイルは一度だけ立ち止まり――
ゆっくりと、息を吐いた。
「……必ず」
小さく呟く。
その声には、迷いはない。
そして、歩き出す。
その足取りに、もう迷いはなかった。




