第八話 王家の視線
王宮の廊下は、静けさを取り戻していた。
先ほどまでの緊張が、まだわずかに残っている。
アルベルトは、ゆっくりと歩いていた。
隣には、リディア。
一定の距離を保ちながら並んでいる。
しばらく、言葉はなかった。
やがて――
「驚いただろう」
アルベルトが静かに口を開く。
リディアは少しだけ目を瞬かせる。
「……はい」
正直に頷いた。
「婚約の話など、全く存じませんでした」
アルベルトは小さく息をつく。
「だろうな」
あっさりとした口調だった。
だが、その声音には確信があった。
「噂は、先に独り歩きするものだ」
淡々とした言葉。
感情は見えない。
リディアは少しだけ安心したように、息を整える。
「では……」
迷うように問いかける。
「そのようなお話は――」
アルベルトは歩みを止めた。
リディアも足を止める。
静かな廊下。
窓から差し込む光が、二人を照らしている。
アルベルトはリディアを見た。
まっすぐに。
「現時点では、ない」
はっきりと告げる。
その一言で、空気がわずかに緩む。
リディアの胸の奥にあった緊張が、少しだけ解けた。
だが――
アルベルトは続ける。
「だが」
一拍置く。
その瞳が、わずかに鋭くなる。
「可能性がないとは言わない」
その言葉に、リディアの呼吸が止まる。
逃げ場のない現実。
だが――
そこに、甘さはない。
ただ事実を告げているだけだった。
「君は、王宮に必要な人材だ」
静かな声。
評価そのものだった。
「王女も、皇太子も」
「そして、陛下も」
「そう判断された」
リディアは目を見開く。
思っていたよりも、重い言葉だった。
「……過分なお言葉です」
小さく頭を下げる。
だがアルベルトは首を振った。
「事実だ」
短く言い切る。
そして、わずかに表情を緩めた。
「それに」
続ける。
「君は、自分で思っている以上に目立っている」
リディアは少し困ったように笑った。
「そのようですね」
その反応に、アルベルトは小さく笑う。
ほんのわずかに。
だが確かに。
「だからこそ」
声の調子が変わる。
穏やかだが、芯がある。
「不用意に動かない方がいい」
「王宮の外では、特に」
その言葉に、リディアの胸がわずかにざわつく。
(……外門)
ほんの一瞬、記憶がよぎる。
だが、すぐに消えた。
「……気をつけます」
静かに答える。
アルベルトは頷いた。
それ以上は何も言わない。
ただ、リディアを見ている。
観察するように。
見極めるように。
その視線に、敵意はない。
だが――
逃げ場もない。
「さて」
アルベルトが軽く視線を外す。
「そろそろ戻るとしよう」
何事もなかったかのように言う。
そして、歩き出した。
リディアもその後に続く。
廊下に、再び足音が響く。
だがその空気は――
先ほどまでとは、少しだけ違っていた。
王家の視線。
それは、静かに。
確実に。
リディアを捉え始めていた。




