第十話 帰り道の距離
王宮夜会は、静かに終わりを迎えようとしていた。
最後の音楽が流れ、貴族たちは少しずつ大広間を後にしていく。
煌びやかな灯りの中にも、どこか落ち着いた空気が漂っていた。
その中で――
リディアは王宮の廊下を歩いていた。
窓の外には夜の庭が広がり、月の光が静かに差し込んでいる。
その時だった。
「リディア嬢」
聞き慣れた声が、後ろからかかる。
振り向くと、カイルが立っていた。
黒髪に、濃い青の瞳。
夜の灯りの中でも、その存在ははっきりと分かる。
リディアは小さく微笑んだ。
「ヴァルディーク様」
カイルは軽く一礼する。
「お帰りになりますか」
「はい」
リディアは頷く。
「少し疲れましたので」
カイルは静かに言った。
「では」
一歩近づく。
「外まで、お送りいたします」
自然な申し出だった。
だが、どこか当然のようでもあった。
リディアは少しだけ驚いたように目を瞬かせる。
そして、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます」
二人は並んで歩き出す。
長い廊下。
足音だけが静かに響く。
しばらくは言葉がなかった。
だが、不思議と気まずさはない。
やがて、リディアがふと口を開いた。
「今日は……」
少し迷うように続ける。
「とても楽しかったです」
カイルはわずかに目を細めた。
「そうですか」
短い言葉だった。
だが、その声はどこか柔らかい。
リディアは少し笑う。
「こんなに踊ったのは久しぶりでした」
「皆さまに、感謝しないといけませんね」
カイルは少しだけ視線を落とした。
「……そうですね」
そして、一拍置く。
「ですが」
リディアを見る。
「私は、あまり感謝していません」
リディアは思わず足を止めかけた。
「え?」
カイルはすぐに歩調を戻す。
「いえ」
静かな声で言う。
「少し、賑やか過ぎましたので」
その言葉に、リディアはくすりと笑った。
「確かに」
「少し驚きました」
二人は再び歩き出す。
やがて、王宮の外へと続く扉が見えてきた。
外には夜の空気が広がっている。
その手前で、カイルがふと立ち止まった。
「リディア嬢」
呼び止める声。
リディアは振り返る。
カイルは一瞬だけ言葉を選ぶように黙った。
そして、静かに言う。
「今夜のドレス」
「……とても、よくお似合いでした」
リディアは少し驚いたように目を瞬かせる。
そして、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます」
その笑顔に、カイルの視線がわずかに揺れる。
だがすぐに、いつもの落ち着いた表情に戻った。
「お気をつけて」
短く告げる。
リディアは小さく頷いた。
「はい」
そして、外へと歩き出す。
夜の風が、ドレスを揺らした。
カイルはその背を静かに見送る。
やがて姿が見えなくなると、ゆっくりと息をついた。
「……まったく」
小さく呟く。
その声には――
わずかな名残惜しさが混じっていた。




