第二話 夜道の馬車
舞踏会の夜。
グランベルク伯爵邸には、重い空気が流れていた。
客間の中央で、アルフレッド・フォン・グランベルクが立っている。
その前には、父――グランベルク伯爵。
怒りを抑えた低い声が響いた。
「お前は」
静かに言う。
「何を捨てたのか、分かっているのか」
アルフレッドは言葉を失った。
伯爵は続ける。
「アルヴェルン伯爵家の娘」
「植物魔法を継ぐ家系」
「しかも優秀な令嬢だ」
その声には、押し殺した怒りが滲んでいた。
「それを、お前は――」
言葉を切る。
そして、ゆっくりと視線を向けた。
ミレーヌ・フォン・カストラへ。
その目は冷たかった。
ミレーヌの背筋に、冷たいものが走る。
伯爵は短く言った。
「今日はもう下がれ」
「……お前もだ」
ミレーヌは慌てて立ち上がった。
「し、失礼いたします」
屋敷を出たあと、胸の鼓動が早くなる。
夜の王都は静かだった。
男爵家の馬車に乗り込み、御者に告げる。
「出してちょうだい」
馬車はゆっくりと動き出した。
だが――
しばらく進んだところで、突然止まる。
ミレーヌは顔を上げた。
「どうしたの?」
御者が外から答える。
「申し訳ありません」
「前に、侯爵家の馬車が――」
その瞬間、扉が軽く叩かれた。
そして、ゆっくりと開く。
ランタンの灯りの中に、優雅な令嬢の姿が現れた。
「夜分に失礼いたしますわ」
穏やかな微笑み。
イザベラ・フォン・ダグラスだった。
ミレーヌは驚いて目を見開く。
「ダ、ダグラス令嬢……?」
イザベラは優雅に言う。
「少し、お話してもよろしいかしら?」
断る余地はなかった。
ミレーヌが頷くと、イザベラは静かに馬車へ乗り込んできた。
向かいに座り、ゆったりと扇を開く。
「舞踏会、お疲れさまでした」
柔らかな声だった。
だがその瞳は、じっとミレーヌを見ている。
「……見ておりましたわ」
小さく笑う。
「あなた」
「ずいぶんと困った立場にいらっしゃるようね」
ミレーヌの胸が跳ねた。
イザベラは続ける。
「グランベルク伯爵は、相当ご立腹のようでしたわ」
その言葉に、ミレーヌの顔が青くなる。
イザベラは、ふっと微笑んだ。
「でも――」
扇を閉じる。
「方法がないわけではありませんわ」
ミレーヌは思わず身を乗り出した。
「方法……?」
イザベラは静かに言う。
「兄をご紹介して差し上げてもよくてよ?」
「ルーカス・フォン・ダグラス」
侯爵家の嫡男の名だった。
(ルーカス・フォン・ダグラス)
ミレーヌの心臓が大きく鳴る。
イザベラはゆっくりと立ち上がった。
「ただし――」
扉を開けながら言う。
「少しだけ、お願いを聞いていただきますけれど」
そう言って、優雅に馬車を降りた。
外では侯爵家の馬車が待っている。
イザベラは振り返り、微笑んだ。
「では、また」
扉が閉まる。
侯爵家の馬車は静かに夜の道を去っていった。
ミレーヌは動けないまま、座っていた。
胸の奥で、鼓動が高鳴っている。
「……ルーカス様」




