第七話 春の舞踏会
その日の夕方。
アリアナ王女の部屋には、穏やかな空気が流れていた。
窓から差し込む夕日が、柔らかな橙色で室内を染めている。
クラリスが、ふと思い出したように言った。
「そういえば、来月は春の舞踏会よ」
リディアは静かに顔を上げる。
舞踏会。
ほんの少し前まで、当たり前のように参加していた社交界の行事。
だが今は――
クラリスは楽しそうに続けた。
「王宮で一番大きな舞踏会なの」
「貴族たちがたくさん集まるのよ」
アリアナ王女も頷く。
「毎年、とても賑やかなの」
そして、リディアを見て微笑んだ。
「リディアも参加すればいいのに」
リディアは少し驚いたように目を瞬かせた。
「私が、ですか?」
クラリスは当然のように言う。
「あなた伯爵令嬢でしょう?」
「舞踏会に出ても何もおかしくないわ」
リディアは小さく息を吐いた。
「ですが……」
言葉を選ぶように続ける。
「最近は、そのような場に出ておりませんので」
三人とも、その理由を知っている。
婚約破棄。
あの社交界の出来事。
アリアナ王女は、静かに言った。
「だからこそ、よ」
リディアは顔を上げる。
王女は優しく微笑んでいた。
「嫌な思い出があるなら、上書きしてしまえばいいの」
クラリスも大きく頷く。
「そうよ!」
「変な男のせいで舞踏会を嫌いになるなんて、もったいないわ」
その言い方に、リディアは思わず苦笑した。
その時だった。
「――それは正しい」
落ち着いた声が部屋に響いた。
振り向くと、扉の前に立っていたのはカイルだった。
カイル・フォン・ヴァルディーク。
彼はゆっくりと部屋へ入ってくる。
「舞踏会は社交の場です」
「避け続ける理由にはならない」
静かな口調だった。
だが、その視線はまっすぐリディアへ向けられている。
クラリスがにやりと笑う。
「ほら」
「カイルもそう言ってるわ」
アリアナ王女も楽しそうに頷く。
リディアは少し考えるように目を伏せた。
舞踏会。
かつて当たり前だった場所。
だが今は、少しだけ遠く感じる。
その時――
カイルが続けた。
「もし参加されるのであれば」
一瞬だけ間を置く。
そして、静かに言った。
「私がエスコートしましょう」
部屋の空気が、一瞬止まった。
クラリスの目がぱっと輝く。
「まあ!」
王女も驚いたように目を瞬かせた。
リディアは思わず顔を上げる。
カイルは表情を変えない。
ただ、落ち着いた声で続けた。
「王宮の舞踏会には様々な者が集まります」
その瞳がわずかに細くなる。
「不用意な接触を防ぐためにも」
「エスコートは必要でしょう」
その言葉に、クラリスがくすりと笑う。
「なるほどね」
王女も微笑んだ。
「それは安心だわ」
リディアは少し戸惑いながらも、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
カイルは小さく頷いた。
「では」
「舞踏会で」




