第五話 侯爵令嬢の呼び止め
王女の部屋を出たあと。
リディアは静かな廊下を歩いていた。
昼の食事を終えたばかりの王宮は、どこか穏やかな空気に包まれている。
その時だった。
「――あなた」
背後から、ゆったりとした声がかかる。
リディアは足を止め、振り返った。
そこに立っていたのは、赤い髪の令嬢だった。
イザベラ・フォン・ダグラス。
侯爵家の令嬢である。
その後ろには、数人の侍女たちが控えていた。
イザベラはゆっくりと歩み寄る。
そして、リディアを上から下まで眺めるように見た。
「あなたが、例の侍女ね」
リディアは静かに一礼する。
「リディア・フォン・アルヴェルンと申します」
イザベラは小さく笑った。
「王女殿下のお食事を整えているとか」
「それに――」
その瞳が、わずかに細くなる。
「肌が綺麗になる料理を作るそうね?」
廊下の空気が、わずかに張りつめた。
リディアは落ち着いた声で答える。
「殿下のお体に合わせてお作りしているだけでございます」
イザベラは軽く肩をすくめた。
「まあいいわ」
そして、当然のように言う。
「私の分も作りなさい」
それは頼みではなく――
命令だった。
イザベラの言葉に、廊下の空気がわずかに張りつめた。
リディアは静かに視線を下げる。
「申し訳ございません」
落ち着いた声で言った。
「私は第二王女殿下の侍女でございます」
「殿下のお食事を整えるのが務めですので――」
わずかに間を置き、続ける。
「他の方のお食事をお作りすることは出来ません」
その言葉に、イザベラの眉がぴくりと動いた。
「……出来ない?」
小さく呟く。
そして、ゆっくりと笑った。
「侯爵家の令嬢の頼みを断るの?」
その声には、先ほどまでの優雅さはなかった。
廊下の空気が、さらに冷える。
イザベラは一歩、リディアへ近づく。
「侍女の分際で」
その時だった。
「――何をしている」
低い声が、廊下に響いた。
その場の空気が、一瞬で変わる。
振り向くと、廊下の奥に一人の男が立っていた。
長い銀灰色の髪。 鋭い瞳。
堂々とした佇まい。
王弟――
アルベルト・エルフィリア。
イザベラの表情が、わずかに固まった。
「……殿下」
リディアも静かに一礼する。
王弟はゆっくりと近づいてくる。
そして、リディアとイザベラを交互に見た。
「王宮の廊下で声を荒げるとは」
静かな声だったが、威圧感があった。
「侯爵令嬢ともあろう者が、感心しないな」
イザベラは慌てて微笑む。
「い、いえ」
「少し侍女と話をしていただけで――」
王弟の視線が、リディアへ向く。
ほんの一瞬。
そして、またイザベラを見る。
「そうか」
短く言った。
「ならば――」
「ここで終わりにしておけ」
その一言で、完全に勝負がついた。
イザベラは悔しそうに唇を噛む。
「……失礼いたします」
そう言って、侍女たちを連れて廊下を去っていった。
静けさが戻る。
王弟はゆっくりとリディアへ視線を向けた。
銀の髪。
落ち着いた佇まいと、どこか品のある仕草。
「アルヴェルン伯爵家の娘か」
低く呟く。
ほんのわずかな沈黙。
「……なるほど」
その視線には、わずかな興味が宿っていた。




