第七話 宰相家の青年
その視線に、まだリディアは気付いていなかった。
鍋の中のスープを静かにかき混ぜながら、火加減を確かめている。
澄んだ黄金色のスープ。
生姜と香草の穏やかな香りが、厨房の空気にゆっくりと広がっていた。
「……ほう」
ふいに、小さな声が聞こえた。
それに気付いたのは、セドリックだった。
振り向き、軽く目を見開く。
「おや」
「これは珍しい」
厨房の入口に立っていたのは、黒髪の青年だった。
濃い青の瞳。
落ち着いた佇まい。
カイル・フォン・ヴァルディークである。
セドリックはにやりと笑う。
「宰相家の御子息が、厨房とは」
「今日はまた、珍しいお客様ですね」
厨房の料理人たちが一瞬だけ動きを止める。
ベルナールもゆっくりと視線を向けた。
カイルは静かに一歩進む。
「突然邪魔して申し訳ない」
落ち着いた声だった。
「王女殿下の料理について、少し興味があってね」
セドリックは肩をすくめる。
「なるほど」
「それなら、ちょうど良いところですよ」
そう言って、鍋の前に立つリディアの方へ視線を向けた。
「お嬢様」
「こちらはカイル・フォン・ヴァルディーク様」
「宰相家のご子息です」
リディアは初めて振り向いた。
黒髪の青年と、目が合う。
その落ち着いた視線に、思わず背筋が伸びる。
ただ者ではない。
そう直感した。
リディアは静かに一礼する。
「リディア・フォン・アルヴェルンと申します」
カイルはわずかに目を細めた。
(アルヴェルン伯爵家……)
なるほど、と心の中で頷く。
そして穏やかに名乗った。
「初めまして」
「カイル・フォン・ヴァルディークです」
その声は低く落ち着いていた。
カイルはゆっくりと鍋へ視線を向ける。
「生姜の香りですね」
「王女殿下のための料理ですか」
リディアは頷く。
「はい」
「殿下は体が冷えやすいようでしたので」
「体を温め、胃に優しい料理を考えております」
カイルはしばらく鍋を見つめた。
そして、静かに言う。
「……理にかなっている」
短い言葉だったが、確かな評価だった。
その瞬間――
セドリックが楽しそうに笑った。
「でしょう?」
「このお嬢様、なかなか面白い料理を考えるんですよ」
カイルは再びリディアを見る。
その瞳には、先ほどまでの観察とは違う光が宿っていた。
(なるほど)
(ただの噂ではないらしい)
王女の体調を変えた料理。
そして――
その料理を作る侍女。
カイルの興味は、確かに動き始めていた。




