第十六話 穏やかな日常
結婚式から、数日後。
ヴァルディーク公爵邸は、穏やかな空気に包まれていた。
朝の光が、やわらかく差し込む。整えられた庭。静かな廊下。そのすべてが、落ち着いた時間を感じさせていた。
その一角――書斎の扉が、静かに開く。
「……カイル」
控えめな声とともに、リディアが姿を見せた。
手には、小さな盆。湯気の立つ茶と、軽い焼き菓子が乗っている。
カイルは書類から顔を上げ、わずかに表情を緩めた。
「リディア」
その声は、以前よりも柔らかい。
リディアは部屋に入り、机の脇にそっと盆を置く。
「少し休まれてはいかがですか」
穏やかな声音だった。
カイルは小さく息を吐き、ペンを置く。
「……そうですね」
そして自然な動きで、手を伸ばした。
リディアの手に触れる。
まるでそれが当たり前であるかのように。
リディアの指が、わずかに揺れる。
けれど、引かない。
そのまま、そっと握り返した。
「……お仕事の邪魔ではありませんか」
少しだけ視線を逸らしながら、そう言う。
カイルは静かに首を振った。
「いいえ」
短く答え、続ける。
「来てくださる方が助かります」
リディアは目を瞬かせ、ほんの少し頬を染める。
「……そうですか」
小さく微笑む。
そのまま、カイルに手を引かれるまま隣へと腰を下ろした。
肩が触れる。
距離が近い。
それでも、もう戸惑いはなかった。
けれど――
この静けさは、退屈ではない。
むしろ、心地いい。
隣を見る。
カイルがいる。
それが、当たり前になっている。
リディアは、そっと目を細めた。
絡めた指先に、温もりがある。
離す理由など、もうどこにもなかった。
ほんの少しだけ、力を込める。
すると、カイルが気付いたように視線を向ける。
「……どうしました」
低く、やわらかな声。
リディアは小さく首を振る。
「いいえ」
けれど、そのまま。
ほんの少しだけ、カイルの肩に寄り添った。
意識したわけではない。
ただ、そうしたいと思ったから。
カイルは一瞬だけ動きを止める。
だが、すぐに何も言わず、そのまま受け入れるように肩を寄せた。
距離が、さらに近くなる。
窓の外では、やわらかな風が庭を揺らしている。
何気ない時間。
けれど――かけがえのないもの。
「……幸せですね」
ぽつりと、こぼれる。
カイルは、わずかに目を細めた。
「ええ」
短く、確かな返答。
リディアはふっと微笑み、そのまま目を閉じた。
穏やかな時間の中で。
新しい日常が、静かに続いていく。




