マルガレット、故郷への帰省を思い立つ
フェリスが持ってきてくれた貴重な素材を惜しげもなく使って、私はあの王都を震撼させたとんでもなく臭い魔香を再び作成した。
海の向こうの大陸に産する恐ろしい食人植物をたちどころに紫色に変色せしめて枯らしたのはグッジョブだったが、王都中の洗濯業者や主婦の皆さんから臭いと苦情を頂戴してしまった曰く付きの香である。
あれだけ不評だった魔香をなぜまた作る気になったかというと、食人植物に取り込まれかけたアルメニアン帝国皇帝を救うためである。
食人植物が獲物を取り込むために放ったフェロモンにやられてしまい今もなお中毒からくる禁断症状に苦しんでいるという皇帝のために、フェロモンの中毒緩和に効果があるのでは……と期待したフェリスが要望してきたのだ。
明けて翌日。調合を終えた私は、依頼者たるフェリスが来訪するのを管理小屋で待っていた。すると……
「マリー、いるかい?」
玄関から聞こえるフェリスの声。フェリスは午前中にやってきた。
出てみると、フェリスとカリンが二人で来ている。今日はトルガーロウたちは来ていないようだ。
「トルガーロウさんとマルコさんは今日は来ないんですか?」
二人を部屋に案内しながら聞いてみる。
フェリスは私の問いに目を丸くして「今日は来ないんですかって……あの二人、まさか毎日ここに来ていたりしないだろうね」と呟いている。
……残念ながら毎日来ていますよ、あの二人。
私の問いには苦笑いしつつカリンが答えてくれた。
「お城の文官たちが高名な植物学者たるトルガーロウさんの話を聞きたがってお茶会に招待しています。いつも知らない間に逃げられて誘えなかったらしいですけど、今日は朝からお部屋の前で待機してお誘いしてましたから。だから今日は来ないと思いますよ」
ここに来た時のトルガーロウは、薬草園に入り浸り、目を輝かせてはしゃぎ回ってまるで小さい子供のようだからつい忘れがちになるが、あれでも世界的に有名な植物学者なのである。
喋らずに黙って座っていればそれなりに偉い学者に見えるし。
まあ、そういう日もあるかと私は納得して、二人の前に綺麗な緑色に輝くお茶を置いた。今日のお茶は海の向こう、醤油を産する東国のお茶である。
これまたやんごとない二人に出しても恥ずかしくない名品なのだ。
「フェリス。ご注文の品できたわよ。使う際はくれぐれも気をつけてね」
美しく香しい緑色に輝くお茶を、目を瞠って眺めつつそっと啜るフェリスの前に、紙袋に包んだ魔香を差し出すとフェリスは嬉しそうに破顔する。キラキラがまぶしい。
「ありがとう、マリー。でも気をつけるというのはなんでだい?」
「めちゃくちゃ臭いから下手なところで炊くと帝都が大惨事になるからよ」
目を丸くしつつ「そんなに臭いのかい?」と聞いてくるフェリスに、私ばかりかカリンまでもが顔を顰めて「ええ」と答える。
「それに、その香は本来獣避けを目的に作ったものだから例の食人植物のフェロモンをうち消す効果があるかどうかはわからないわよ」
フェリスは「ええっ?」と驚いた声を上げる。
「でもその香の匂いを嗅いで食人植物は枯れたし、国王陛下も正気に戻ったんだろう?」
この問いにはカリンが答える。私はその現場を見ていないからわからないのだ。
「確かにそうなんだけど、元々そこまでフェロモンの影響がなかったのか、あの香の強烈な臭いで正気に戻ったのかはわからないのよね。そもそもお父様は、正気に戻るって言うほどおかしくなっていたわけじゃないもの」
「ふむ。なるほど……まあでも、香が植物を枯らしたのは事実なんだろう? 締め切った部屋ででも使ってみることにするよ」
締め切った部屋……中毒は治まるかもしれないが別の症状を発症しそうだ、と私は会ったこともないアルメニアン帝国皇帝に密かに同情する。
カリンも同じ思いだったようで、王都中に漂ったあのひどい匂いを思い出してげんなりしている。
「締め切った部屋の方が帝都への被害は少ないと思うけど……閉じ込められている皇帝陛下に同情するわ」
カリンちゃん、私と同じこと考えてるし……
カリンの呟きに、私は心から同意したのだった。
フェリスに獣除けの魔香を引き渡した私は、いよいよ自由の身となった。
受けていた依頼はこれにてすべて達成したし、薬草園の植物たちの生育状況も順調だ。
これなら数日出かけても差し支えないのではないだろうか、という状況になったので、私はかねてから気になっていた故郷の孤児院に顔を出すことにした。
国内だからカリンちゃんに報告しなくてもいいよね?
ただ、出かけるにしても一つだけ懸念点がある。
その懸念点をどうしようかと考えていると玄関から私を呼ぶ声がした。
「マリー殿、今日も来たぞ」
噂をすれば影。
昨日は王宮でお茶会に参加していたらしく我が管理小屋に来なかったトルガーロウとマルコ老が今日はやってきた。
そう、懸念点とはこの二人のことである。
私は、森の猪と鹿たちが切……齧り拓いてくれた広大な薬草園のあちこちに、各地で採集してきた貴重な薬草や作物の種を植えて育てている。
世界的に有名な植物学者であるトルガーロウにとっては、珍しい植物がたくさん植えてある我が薬草園はこの世の楽園なんだそうだ……
あれから毎日、私の薬草園の見学に来るこの二人をほったらかして数日留守にしてもいいものか、私は迷っていたのである。
せっかく遠くから来て毎日通ってくれるわけだから留守にしてしまうのはなんだか申し訳ない。
そのうちフェリスも自国に帰るだろうし、そうなったら彼らもフェリスと一緒に帰っていくだろう。
それまで待ってから孤児院には顔を出せばいいかと思っていたが、どうやらフェリスは当分帰る気がなさそうだし、なんとなくここ数日、孤児院のことが気になって仕方がないのだ。
一度気になると頭から離れなくなるもので、なるべく早く孤児院に顔を出したくなったのだ。
どうしようかと思っていたら、ちょうど向こうの方からやってきたので、私は二人に意向を問うことにした。
「いらっしゃい、トルガーロウさん、マルコさん。今日は二人に相談があるんだけど……」
「む? あらたまってなにかな?」
「どうしたんじゃ?」
二人に席を勧めつつ、私は相談事を切り出した。
「ちょっと時間ができたから、アカデミーを卒業して以来ずっと帰っていなかった故郷の孤児院に顔を出しに行こうかと思ってるの。卒業の報告とアカデミーに就職したってことは手紙で知らせたんだけど、直接会いに行って報告した方がいいかなと思って」
「ほほう、それは感心だな。いいじゃないか。故郷に錦を飾るということだろう?」
アカデミーの職員、薬草園管理人が錦を飾るほどの出世かといえば微妙だが、まあ孤児だった私からしたら充分錦を飾ると言える出世なのかもしれない。
一応王立の公的機関の職員だからね。公務員というやつである。ほとんど管理小屋にいないけど……
「それでね。私の故郷はここから北東へ数日歩いた先にある田舎町なので、帰るとなると十日ほど留守にすることになるんだけど……」
私の説明に顔を見合わせる二人。そして頷きあうと二人は口を開く。
「ならば我々も同行してよいか? あなたは私の命の恩人だ。あなたの親代わりの人にも助けられたことを報告し、きちんとお礼がしたい。それに北部には北部の植生があるだろう? この薬草園にもいくつか植えられていたが、野生の状態ではどのように繁殖しているのか興味がある」
「ワシはこやつの監視役兼お守じゃからな。ワシも行くぞ」
ついてきてくれるんだ。
「ついてきてくれるなら心配することないね。ではお二人を我が故郷に案内しましょう」
こうして懸念点が解消された私は、二人を伴って故郷へ帰省することにした。
10日ばかり留守にするだけだが、一応念のために私はアカデミーに報告し、騎士団にも顔を出しておいた。
そして同行することになったトルガーロウとマルコ老にもフェリスにちゃんと断っておくようにと伝えておく。
トルガーロウたちに聞いたフェリスから話が回ってきたのだろうか、それとも騎士団が報告したのか、すぐにカリンが管理小屋に来て「国内だから今回はついていきませんがあまり寄り道せずすぐに帰ってきてくださいね」とひんやりとした笑顔で釘を刺されてしまった。
どうやら今は国賓のフェリスがいるから軽々しく外に出られないらしい。
「マリーさんの故郷なんて、私も行きたかったのに」
カリンは膨れっ面をして帰っていった。
こうして準備を万端に整えた私たちは、一路私の故郷、リュヒタルを目指し、翌日王都を出立したのである。
里帰りを思い立ったマルガレットですが、天界樹の枯れ木を一緒に見に行って以来、毎日遊びに来るトルガーロウとマルコをどうしようかと悩んでいました。
「帰省したいから留守にする」と二人に告げたところ、なんと二人はマルガレットについてきてくれるようです。
二人を伴い、故郷を目指すマルガレット。
次回はマルガレットの故郷のお話です……本当は今回、故郷に顔を出すところまで行く予定が……次回こそ故郷編です。




