森の主、天界樹の謎を語る
「な! な! なんというでかさだ……マルガレット! 猪から目を逸らさずに少しずつ下がるんだ!」
森の主の大猪と見つめ合っていると、口をパクパクさせていたマルコ老が私に小声で緊迫したアドバイスを送ってくれる。
私は、そんなマルコ老を安心させるため、マルコ老を振り返って言った。
「大丈夫よ、マルコさん。知っている猪だから。この猪はこの森の主で、たぶんリンゴを落としたから現れたのよ」
『……小さき人よ。それではまるで、我が食い意地の張った残念な獣みたいではないか』
私の説明に、すかさずツッコミを入れる大猪。ただ、この頭の中に響く声は、私にしか聞こえないらしい。
「だって。このリンゴを落としたらいつも現れるじゃない。金の尻尾のタヌキもだけど」
『前に言ったであろう。我は天界樹の守護者であると。なれば天界樹の近くにいるは少しも不自然なことではない』
前回は聞き取れなかったが、今回、猪が『天界樹』というのをはっきりと聞き取ることができた。言葉ではなく、実際には頭の中に直接響く声で会話をしているので、私が知らない物のことはよく聞き取れなかったということなのだろう。
「ねえ猪さん。あなたが言う天界人って、私のこと? 私って天界人なの? そして天界樹って、あの岩山のこと? それともこのリンゴの木のこと?」
この際だ。自らを天界樹の守護者と名乗り、私のことを天界人と呼ぶ猪に、いろいろ聞いてみることにした。なんせ当事者である。天界樹と天界人のことに詳しいはずだ。
『なんと……其方、自分が何を為す者であるか、そしてこの地が何を為す場所であるか理解しておらぬというのか』
「私は王都よりもうちょっと北西に行ったところにある小さな町の孤児院で育ったどこにでもいる孤児よ。自分のことは孤児であるということしか知らないわ。だいたい、天界樹とか天界人なんて存在を知ったのもつい最近なのよ」
『記憶を持たぬほど小さき折にこの地上へ舞い降りたというのか……小さき人よ……其方は確かに天界人である。このリンゴを我ら地上の者に分け与えることができるのが何よりの証。そしてこれが我が守護する天界樹。この地上を覆いつくす不浄の気を浄化し、美しく清浄な大地を取り戻した時、かつての繁栄を取り戻すためにここにある』
ん?どういうこと?
別に、いまこの大地を人や動物が住めないような汚れた空気が覆っているということはないと思うけど……
そういえばアルメニアン帝国で悪事を働いていた天界人とやらが言っていたな……
『地上の猿どもが大地を汚す』とかなんとか……
『いかにも。かつて、この大地は清浄な気で満ち溢れ、今よりもっと力強いさまざまな生き物で溢れていた。大いなる災いがこの大地を覆った時、そのほとんどの種がこの大地にて生きる術を失ったのだ。天界樹の役目はかつての清浄な大気を取り戻し、今は失われたかつての力強い生態系を再び蘇らせることにある』
私の心の中での呟きを拾い、猪が答える。『いかにも』と猪が肯定したということは、『地上に住まう猿』つまり人間が何らかの悪事をしでかした結果、空気が激しく汚染され、そこに住んでいた生物たちが絶滅しかけたということだろうか?
猪の語ることはよく理解ができないものだった。ほとんどの種がこの大地で生きられなくなったということだが、現在、この大陸には多様な動植物が生活している。
われわれ人間にしても、いろいろな大陸にたくさんの人種が住んでおり、それぞれ独自の文化を発達させ、栄えている。
正直、この大地にはたくさんの生物で溢れ返っているように私は思えるのだが……これでもかつてに比べると、生物が少なくなってしまったということなのだろうか?
『今の汚染された大地に適応した種が地上にはびこっている。天界樹の役目とは、大地の清浄化と失われた種の保存である。大地の浄化が成った折、この天界樹の内に納められたかつて滅んだ種が再び大地に解き放たれるであろう』
「なるほど。天界樹や猪さん目線だと、この大地はまだ汚れていて、浄化をしているところ。浄化しきったら天界樹の中に保存している滅んじゃった種類の植物を解き放つってことかな?」
『その通りだ、小さき人よ。それが天海樹、そして其方ら天界人の役目』
うーん。天界樹の中にあるかつて栄えた植物ってのはとても興味があるけれど……大地が浄化されちゃったら今生きている人や動植物はどうなっちゃうのだろう。解き放たれたかつての生態系に駆逐されなきゃいいけど……
『小さき人よ、それは……』
「うわあああああ! マ、マルガレット殿!! な、なんだそのでかい猪はああああ!!!」
私の懸念に答えた猪の言葉は、しかし最後まで聞くことはできなかった。
猪の姿を見たトルガーロウが絶叫を放ったからである。
「トルガーロウさん、大丈夫ですよ。この猪、知っている猪だから。岩山の観察はもういいんですか?」
「あ、ああ。しかしマルガレット殿、あなたは獣使いか何かなのか? 私をイリス山中から運び出してくれた際も、人の背丈ほどはある大きな牡鹿に私を乗せて下りてきたらしいではないか」
私は頭を抱える。
ち、違うもん。この猪さんも、あの時の神の御使いの牡鹿も、成り行きだもん。私が呼び出したんじゃないから!
『小さき人よ。天界樹と其方の役目が聞きたくば、其方を育てた者を訪ねるとよい。天界樹のあるところ、守り人たる我らあり。そして天界樹のあるところ、鍵を開けかつての力強い種を解き放つ天界人あり。それが其方である。其方は記憶をなくしているようだ。幼少期より其方を大事に守り、育てた者なら其方の役目も存じておろう。小さき人よ。またこの地を訪れて、リンゴを落としてほしい』
そう言うと、猪は私の頬に鼻先を押し付けて、落ちているリンゴを一つ咥え、去っていった。
「な、なあマルガレット。やはりお前は獣使いなんじゃろう?」
「違いますっ!!!」
呆然とつぶやくマルコ老に、私は全力で否定の言葉を投げつけたのだった。
「それはそうと、トルガーロウさん、やっぱりこれって天界樹ですよね? さっきの猪さんが言っていました」
私の言葉に驚く二人。
「なんと、猪と会話ができるのか?」
「マルガレットが猪に話しかけていたからまさかと思っていたが! 猪語がわかるのだな?」
……猪語って。
「猪語じゃなくて、猪の言いたいことが頭の中に直接流れてくるんですよ」
顔を見合わせる二人。
「やっぱりお前……」
「違いますっ!!」
すごく疑いの眼差しで見てくる二人。いかん、このままでは本格的に獣使いなどという怪しい存在にされてしまう。余計なことは言わないでおこう。
「それでトルガーロウさん、どうでした?」
私はさっさと話題を戻すことにした。
「あ、ああ。一周回ってきたが確かに円形をしているな。あの異常なでかさの猪が喋り、これを天界樹と言ったのだろう? ならば疑いの余地もあるまい。しかし、これほどの大きさ……私が今まで見たどの天界樹よりも大きいぞ」
そうなんだ。
「そしてあちこちから水がしみ出している。案外、この中には雨水が溜まっているのかもしれんな。裂け目はどこにもなかったので、中を窺うことはできなかった」
猪の言うことが本当なら、この中には太古の昔に栄え、今は絶滅したさまざまな種の植物が眠っていることになるのだが……そんなことを言ってしまうと、植物大好きのトルガーロウのことである。岩山によじ登ってでも中を見たいと言ってここから離れないような気がするので、黙っておくことにする。
それにしても、天界樹と天界人の役目か。猪が言ったように、私を育てた孤児院の院長先生が知っているとは思えないが……ちょうど久しぶりに孤児院には顔を出そうかと思っていたところだ。院長先生に聞きたいこともできたわけだし、さっそく孤児院を訪ねてみよう。
そんなことをぼんやりと考えていたら、リンゴの木の方で複数の足音が聞こえ始めた。
なんだろうと三人で振り返ってみれば、金色の尻尾のタヌキを先頭に、この間うちの畑に来ていた鹿たちがやって来ていた。
『やあ、リンゴをありがとうございました。鹿さんたちもこのリンゴ、とても気に入ったようです。畑の整備、今後もより一層頑張りますので、またリンゴをよろしくお願いします』
頭の中に響くタヌキの声。
それに続いて、体の一部が金色に色付いた鹿たちが、一頭一頭私のところに来て、いつぞやのように私の腕やお腹に鼻先を押し当てては去っていく。
『私、このリンゴ、大好きなんですよね。またよろしくお願いします』
私の頭の中にそう言い残し、落ちている残りのリンゴを器用に前足で抱え、タヌキは鹿たちと共に去っていった。
呆然と見送る私たち三人。
あのリンゴを食べると、動物たちは体の一部が金色になるのかー……
などとぼんやり考えている私に、同じく呆然としたまま、二人がつぶやいた。
「やっぱりあなたは……」
「やっぱりお前は……」
「「獣使いだったんだな……」」
違いますっ!!!!!
森の主の猪が語る天界樹と天界人の役目。
猪が言うには、マルガレットを保護し、育てた者が天界人の役目を詳しく知っているはずだと。
それを聞いたマルガレットは、久しぶりに里帰りを決意します。
次回はフェリスが管理小屋にやってきます。




