マルガレット、帝国からの客人を管理小屋に迎える
疲労困憊の国賓ムスタファム皇子の謁見イベントを終えた私は、逃げるように王宮をお暇し、心の平穏が約束された我が薬草園管理小屋へと戻ってきた。
貴族の闊歩する王宮など私の性には合わないとしみじみ思う。
小屋に入ろうと扉を開けつつちらりと薬草園の方を見遣れば、青々と茂る薬草たちの合間に金色の尻尾が見える。
あ、タヌキがまた来てる、と思ったら、その向こうにいつぞや大挙して押しかけてきた鹿たちの姿も見えるではないか。
何をしているのか興味をそそられた私は、開けかけた扉を閉め、畑の方に向かった。
畑に入ってくる私に気付いたのか、タヌキが私を見上げてくる。
そのつぶらな瞳を眺めていると、頭の中に響く声。
『あ、どうも。今日は鹿さんたちも呼んでいますよ。雑草の駆除なら彼らの方が得意ですからね。なんでもこの畑に生える草は驚きの美味さだそうでして、噂が噂を呼び、ここに来たがる鹿さんが増えています。あ、もちろん薬草や作物は食べないようにお願いしてありますよ。助っ人も呼べて畑の世話ができるこのタヌキを今後ともよろしく』
……今日はなかなかの長文だった。それにしても人間臭いタヌキである。
「みんなありがとうね。近いうちに森に入るから、リンゴを落としてあげよう」
私はタヌキたちにそう声をかけると部屋に戻る。
再びドアを開け、部屋に入る際にチラリと畑を顧みると、タヌキは歓喜の踊りを踊っていた……なかなかかわいい奴である。
明けて翌日。
部屋で薬草の調合などをして過ごしていると、扉を叩く音がした。
誰かが訪ねてきたようだ。
「マルガレット殿はご在宅か?」
……聞き覚えのある声である。さて、この声は誰であったろうか。
記憶を探りながら、応対のため玄関に向かう。
「はい、いますよー。どなたですかー?」
言いつつ扉を開けてみれば、そこには見知った顔があった。
「久しぶりだな。約束通りあなたを訪ねてきたぞ。さあ、天界樹の枯れ木のもとへ案内してくれ」
「ワシもおるぞ」
玄関に立っていたのは、アルメニアン帝国の客人である植物学者、トルガーロウと、イリス山東側登山道麓の街の医師、マルコ老だった。
なるほど。私たちに恩を感じている人物を連れてきたと言っていたが……フェリスが言っていた私に会って欲しい人というのはトルガーロウのことだったわけね。
しかしマルコ老も一緒とは……普通の状態でプルプル震えているほど高齢なのに、こんな遠くまでよく来たな、と私は感心してしまった。それにしても診療所はいいのだろうか。
「遠いところをはるばる訪ねていただきありがとうございます。何もない小屋ですが、どうぞ中へ」
私は旧知の二人を小屋の中へと誘った。二人に座ってもらい、お茶の用意をする。
せっかく我が国に来てもらったのだから我が国特産のハーブ茶を淹れてあげよう。
お茶を淹れながら私は二人に話しかける。
「昨日王宮でムスタファム皇子が仰っていた私を訪ねてくる人ってトルガーロウさんだったんですね……でもマルコさんはどうして? 宿場町の診療所はいいんですか?」
私の疑問に軽く肩を竦めるマルコ老。
「そりゃああれじゃよ。まずトルガーロウの奴は未だ病み上がりじゃ。それなのに他国への表敬訪問などという長旅についていくと言って聞かないからワシが念のために同行することにしたのじゃよ」
そう言うとマルコ老はチラリとトルガーロウを見る。トルガーロウは「私の傷はもう癒えた。平気だと言ったのだが、マルコが過保護なのだ……」などと言い訳をしていたりする。
マルコは再び肩を竦めると、話を続ける。
「帝都の医師たちは陛下の看病で一人たりとも今回の訪問に同行させる余裕がないからの。引退して暇なワシは適任じゃろう? 宿場町の方は少々ワシが留守にしても問題ない。他にも診療所はあるからな。あっちも心配いらんよ」
なるほど。マルコ老はトルガーロウを心配して付いてきたようである。
一度診た患者は完治するまでしっかり面倒を見る。
さすが皇室の侍医を長年勤めた名医である。
医者の鏡ね。と感心していると、二人のじゃれ合いが始まった…
トルガーロウが「私はもうすっかり元気だ。過保護だぞマルコ」と言えば、マルコが「ふん。怪我をした奴は大体そう言う。そして無理して傷口が開き、青い顔をしてまたワシのところへ来るのじゃ」と返している。
「プルプル震えておるくせに……年寄りの冷や水ではないか」
「なにおう! ワシゃまだまだ若いもんには負けん!」
……仲良しさんか!
どうやらこの二人、結構ウマが合うようだ。そういえばトルガーロウが怪我をして診療所に運ばれる前から二人は交流があったと言っていたし、こうして見ているとなかなかいいコンビである。
「トルガーロウさんは天界樹の枯れ木が見たいんですよね? 私が大森林で見つけた岩山がほんとに天界樹かはわかりませんが、それでも良ければご案内します。マルコさんはどうしますか?」
「無論だ。ぜひ案内してもらいたい」
「ワシはこいつの見張り役じゃ。森の中で無理しないようワシも共に参るぞ」
私の問いに即座に答える二人。二人の恰好を見れば、森に入る気満々の装備であることに気付く。
私はこっくりと頷くと森へ入るための準備にかかることにした。
「わかりました。じゃあちょっと着替えてくるのでお二人はお茶でも飲んで待っていてください」
「ほほう。これがマルガレット殿の薬草園か」
「なんと! アカツメクサにオオイヌノフグリ、赤花のタンポポまで!! こんな貴重な薬草をどこで!?」
大森林に入るには薬草園を通らなければならない。
私が各地で集めてきた薬草が植えられた畑を見た二人は早くも興奮している。
「マルガレット殿! しばらくあなたの小屋に滞在してもよいか!? この薬草園は植物学者にとっては楽園だ!! 隅々まで見たい!」
「なんの! 医師にとっても楽園じゃ! ワシも隅々まで見たい!!」
二人して同じようなことを言ってくる。なるほどこの二人、似た者同士なのか……気が合うのがわかる気がする。
私としては滞在するのは別に構わないのだが……うちの小屋、ベッド一つしかないよ? 床で寝るのかしら。
薬草園を通り過ぎ、森に入る。小川が流れているところで、畑への自動給水システムがあるのを見つけ、またまた興奮する二人……
「マルガレット殿! この器械仕掛けは一体!? 畑のあちこちに細い樋があったが、あれはなんだろうと思っていたが!」
「おぬしが作ったのか!? これはどういう仕掛けなのじゃ!!?」
胸を逸らして自慢げに答える私。
「なんと、これは私が長期間留守にしても朝と夕方に自動的に畑に水遣りをしてくれる画期的な自動給水システムなのです!」
「「おおおおおお!!!」」
……いちいち大げさに反応してくれるので、作ったこちらとしては嬉しくもあるのだが、いまだ森に足を踏み入れたばかりだ。今からこの調子ではあの岩山にたどり着いたころにはへとへとになっていないか心配である。
小川の自動給水システムの場所を過ぎれば、緩やかな上り坂の続く大森林である。キラキラと輝く小川が美しく、いつもながら気がつくとつい目が吸い寄せられている。
同行者二人の様子を見れば、普段プルプル震えているマルコだが、しっかりした足取りで歩いている。
緩やかではあるが上り坂が続くので心配していたが、その必要はなかったようだ。
思えば、患者を見る時のマルコ老はピンと背筋が伸びる。その気になれば山歩きなど平気なのかもしれない。
そしてトルガーロウは……小川に注目しているようだ。
トルガーロウは、緩やかな上り坂を上りながらじっと小川を凝視し続けていたが、突然ぽつりと言葉を漏らした。
「マルガレット殿。この小川はこのまま天界樹まで続いているのか?」
私は一つ頷くとトルガーロウの問いに答える。
「ええ。岩山の中ほどからしみ出していたわ。私はこの小川、岩山が蓄えた雨水か、どこかから流れてきている地下水なのかと思ったんだけど……あれが元々木だったっていうなら中は空洞になっているわよね……中に雨水でも溜まっているのかしら」
「私がバーラート王国で見た天界樹の枯れ木は裂け目ができていて、そこから中に入ることができた。その中は不思議な景色が広がっていたな。森の続きのようにその中には様々な植生が確認できたのだが……なんと木の内側と外側とでは全く違う植生が展開されていて驚いたものだ」
私は首を傾げる。
「というと?」
「辺り一帯の森では一切見ることのできない変わった種類の植物がびっしり生えていたのさ。あれには驚いたよ。枯れることによって日の光が当たるようになった天界樹の内側は、かつて天にも届くほど高くそびえていた頃、鳥たちが運んできた遠くの地の種が芽吹いて森とは違う独自の植生が育っていたんだろうな」
森の中に佇む大木の枯れ木の中を覗けばまったく別の植生が展開されているなんて……何その胸熱展開。
「へえー。そんな珍しい植生だったのなら私も見てみたいな」
「同行したバーラートの医師と薬師が異様なテンションで目を輝かせていたからな。おそらく今頃はもう何も残っていないだろうさ。あやつら、共謀して根こそぎ持ち帰って自分の研究施設で育てているに違いない」
なんと。うちのアカデミーの教授たちのような狂人がバーラートにもいるのか……珍しい植生の数々を是非見てみたかったものだが、どうやらバーラートにある天界樹を見学するのは諦めた方がよさそうである。
しかし、それにしても……
「……医師と薬師って。森の探検をするにしては変わった組み合わせですね」
「あやつらの薬草に対する執着心にはちょっとついていけん。うっかり天界樹の調査に行くと言ったら連れて行けと二人掛かりでうるさくてな。だからもしあなたがバーラート王国に行ったとしても、『医者』『薬師』と名乗る二人組に会ったら関わるんじゃないぞ。あやつらの通ったあとには禿山しか残らんからな」
ひえっ。そんな人たちを連れてきたら、森の主の大猪が怒るだろうなあ……まあ、あの岩山が果たして本当に天界樹なのかはわからないのだが。
「私はバーラートでそんな二人組に会ったことはないけど、今度行くことがあったら気をつけるわ……でも、これから行く岩山は大丈夫だと思うわよ」
「なぜだ?」
「だって岩山に裂け目なんてなかったもの」
トルガーロウの問いに、私は肩を竦めて見せる。
そういった話をしながら歩き続けていた私たちの目の前に、相変わらず唐突に視界いっぱいの岩山が現れた。
「さあ、ついたわよ。ここがその岩山です」
私の言葉に、二人が正面を見る。
「こ、これは……端が見えん……なんという巨大さだ」
「これは、地殻変動で盛り上がった断層なんじゃないのかの? 岩山というよりは……崖じゃな」
二人は、岩山を見上げて絶句している。無理もない。私も初めてこれを発見した時は、驚いて二の句が継げなかった。
「崖に沿って歩いてみたら元の位置に戻ってきたから、間違いなく円形をしているわ。そして裂け目はどこにもなかったから私はこれを岩山だと思っていたんだけど……どう? トルガーロウさん。これは天界樹の枯れた物なの?」
トルガーロウは岩山に近づいて、その岩肌をしげしげと観察し始めた。岩肌の中ほどから水が染み出ているところも念入りに触ったりしている。
「なるほど。なかなかの水量だ。確かにここからしみ出しているな」
「ほほう、これは硬い。岩にしか見えないが……ほほう、やはり……」
何やら一人でブツブツ呟きながら触ったり離れて眺めたりしている。完全に一人の世界に入ったトルガーロウは、私たちのことなどすっかり視界から消えているようだ。
見れば、マルコ老は、やれやれというふうに呆れ顔をしながら近くに転がっている手頃な岩に腰かけている。
私は、トルガーロウが満足するまで放っておくことに決め、例のリンゴの木を見上げる。
しばらく来ていないうちに、リンゴの木は上の方に鈴生りに実をつけている。
私は背中の矢筒から矢を引き抜くと、弓につがえ、引き絞る。
私の放った矢は狙いたがわず木の上の方に生ったリンゴの実を枝ごと落とした。
がさがさっ!ぼとっ!!
大きな音を立て、落ち葉の積もった地面に鈴生りのリンゴが落ちる。
がさっ!
その瞬間、リンゴの木の近くの落ち葉が吹き上がり、タヌキがひょこっと顔を出した。そして小躍りしつつリンゴに近づいていく……
『やあ、お待ちしていましたよ。これこれ、私、このリンゴ、大好きなんですよね。畑の世話を頑張りますので、またよろしくお願いします』
リンゴの実が鈴生りについた枝を器用に咥え、タヌキは私の顔を見つめてくる。
例によって私の脳裏には、タヌキの言葉が響いたのである。
「リンゴを落としてあげるって約束だからね。この間の鹿さんの分、それで足りる?」
私の言葉にタヌキはこくりと頷いた。
「なあ、マルガレット。そのタヌキと会話ができるのか?タヌキもお前さんの言葉に相槌打っとるし……突然弓を取り出すから何事かと思えば……リンゴを射落としたのはそのタヌキのためか。しかしよくタヌキがいるとわかったの」
不思議そうな顔でタヌキを見ていたマルコ老が、私を振り返って言う。
がさがさっ!
マルコ老の言葉に、どう説明をしようかと考えていると、突如私の背後で大きな音がする。
私を見ていたマルコ老が目を大きく見開き、口をパクパクさせながら私の後ろを指さした。
さては……
『久しぶりだな。天界人の小さき人よ。そのリンゴ、我も取ってよいか?』
振り返った私のすぐ目の前に佇んでいたのは、森の主、大猪だった。
……今回ははっきりと聞き取れる。私、大猪に『天界人』と言われたんですけど。
久しぶりに例の岩山を訪れたマルガレット。
マルガレットがリンゴの実を落とすと、必ずタヌキと大猪がセットで現れます。
人間には甘さが全く感じられないこのリンゴ、森の動物たちには大人気のようです。




