第35話 羞恥心
目を覚ますとそこは見慣れた自室。
天蓋に覆われたベッドの中で、私はゆっくりと体を起こす。ただそれだけのことが、実に気怠く億劫に感じる。
「私、どうしてここに?」
確か、お義母様と会うために男爵邸へ行って、それから……そう、ズリエルが……。
「いやああああぁぁぁぁ!」
ズリエルの滅多に見せない不機嫌顔以外の顔、下卑た笑みを浮かべた表情が脳裏に蘇り、私は両腕で自身を抱き、無意識に叫んで震えてしまう。
「マリアンヌ!?」
名前を呼ばれたような気がするが、自分を抱いた格好のまま、私は腰を折って下を向く。
「マリアンヌ、大丈夫だ! 落ち着いて!」
焦ったように私の名を呼ぶ声が近付いてくると、そのまま優しく包み込まれた。
たったそれだけなのだが、私の体は急速に震えが止まる。だが頭は回らない。
「大丈夫、大丈夫だから安心して、マリアンヌ」
優しい声が、私の心を落ち着かせる。
そして暫くした後、私はゆっくりと頭を持ち上げた。
「大丈夫? 落ち着いた?」
「レオポルド、さま? レオポルドさまぁー」
不安げな表情のレオポルドだったが、私は彼を案じることもなく、遮二無二抱きついて大泣きしてしまう。
恐怖、不安、安堵。今の自分の感情など分からない。だが体は勝手に動く。
レオポルドを抱きしめ、ただただ泣いて大声を出す。
私の意思など関係なく。
そしてそんな私を、レオポルドは何も言わず受け止め、優しく包んでくれた。
「……ずびばぜん、わだじ……ひっく、ひっく……」
「落ち着いて」
「ひっく、はい……」
起きてからどれだけ時間が経っただろうか。ようやく落ち着いた私は、有ろうことかレオポルドに顔を拭いてもらい、水を飲もせてもらった。
「ご迷惑をおかけしてしまい、本当にすみませんでした」
「気にしないで」
レオポルドは、ようやくいつもの笑顔に戻ってくれた。
しかし、目の下に隈があり、少々弱々しく見える。
「レオポルド様、しっかりお休みになられましたか?」
「ああ、そこのイスで寝させてもらったよ」
ベッドの脇にあるイスを指さし、「案外良い座り心地だったよ」など言うレオポルド。いくら公爵家の素晴らしいイスとはいえ、体の弱かった公爵様が一晩を過ごす場所としては相応しくない。
「本当にすみません」
「公爵夫人の頭はそんなに軽くては駄目だよ」
少しだけ揶揄う感じのレオポルドは、とても気配りのできる男性のようだ。
「……レオポルド様、あのぉ~」
男爵家での出来事が聞きたい。でも怖い。それでも知っておきたい。
様々な感情が私の脳内を駆け巡る。
「無理をしなくていいんだよ」
レオポルドのその言葉で、なぜか分からないが聞くべきだと思った。
「無理はしていません。ただ知っておきたいので、シモンズ男爵邸での出来事を教えてください」
「マリアンヌが知りたいのであれば、僕は知っている範囲で答えるよ」
「ありがとうございます。では……」
あれ? そもそもブラックウェル公爵領にいたレオポルド様が、どうしてあの場にいたのかしら?
私の脳内は、質問をする前に大いなる疑問に包まれた。
「そ、その前に、どうしてレオポルド様がシモンズ邸にいたのですか?」
それはね――と語り始めたレオポルド。
私が実家と遣り取りを始めて少しした頃から、私の様子が傍目に見ておかしかったらしく、ノーラが急ぎの手紙を公爵領に送ったらしい。
それを受け取ったレオポルドは嫌な予感がして、慌てて王都に戻ってきたのが当日で、すぐさま男爵邸に向かったらあのタイミングだった、とのことだ。
「レオポルド様にご迷惑をかけまいと思って行動したのですが、逆にご迷惑をおかけしてしまいました」
「う~ん、迷惑どうこうは別にして、もう少し慎重に行動してもらいたいね」
「すみません」
「それに、ノーラやケイト、トムに相談をせず、マリアンヌの考えを伝えただけだったようだね」
そのとおりだ。後顧の憂いを排除するという自分本意な理由のため、自分で勝手に決定していた。
私に関係する皆が幸せになれるように、と思ったはずなのに、結局自分本意な考えで行動し、多くの者に迷惑をかけてしまったのだ。
「彼らは信用できないかい?」
「……人を信用するのが、少し怖いと思っています」
「裏切られると辛いから?」
「よく分かりませんが、そうなのかもしれません」
厳密には裏切られるというより、恨みを買うのが怖いのだろう。
しかしそれは、それなりの関係にあって何らかの理由で手のひらを返される、即ち裏切られるということだ。
だから裏切られる以前に、他人と親しくならないよう、十分に距離を置いて生きていた……、いや違う。そもそも私は、他者と親しくなると殺されてしまう。だから裏切られるなどと考えることもなく、親しくならないよう距離を置いて生きてきたのだ。
「…………」
あれ? 私、自分の考えがよく分からないわ。
「大丈夫。僕が言っても説得力がないかもしれないけれど、この邸の使用人は良い者ばかりだ。決してマリアンヌを裏切らないよ」
そう言ってレオポルドは私を抱きしめてきた。そして私の混乱が徐々に落ち着いていく。
少し冷静になると、こうして抱きしめられるのが、なんだか恥ずかしく思う。
自分には羞恥心などないと思っていたため、これには自分でもビックリだ。
「そ、それより……」
私は次の会話をしますよ、という感じでレオポルドを自分から引き剥がす。
あのままだと、私の思考が違う意味でおかしくなりそうだったからだ。
「レオポルド様の知っている状況を、詳しく教えてくださいませんか?」
「詳しく、か」
「お、大まかでもかまいません」
「分かった」
苦笑いからはじまり、少々険しい表情で終了したレオポルドの話を、ゆっくりと頭の中で箇条書にしてみる。
男爵邸に立ち入ると、ノーラとリリーが浮かない顔で廊下にいた。
邸の主に入室を断られているから、ただの使用人では入れないと言う。
そんな遣り取りをしていると、ドカッという大きな音が聞こえた。
急いで部屋に立ち入ると、継母とドミニカがソファーでニヤニヤしている。
さっと周囲を見回すが、そこに私がいない。
継母に「マリアンヌはどこだ?!」と問い質す。
彼女は驚いて何も言わないのでドミニカに聞いた。
義妹はがおずおずと指さした扉を開ける。
私にズリエルが伸し掛かっていた。
レオポルドは怒りに任せ、ズリエルの側頭部を蹴り飛ばす。
思いの外ぶっ飛んだズリエルに馬乗りになって数発殴る。
手が痛くなって正気に戻り、私に駆け寄った。
少しして部屋にきたノーラに、私を包む物を用意させる。
私をブランケットで包んだのを確認したノーラが衛兵を部屋に呼ぶ。
ズリエルを捕縛。
私が軽く目覚める
部屋を出ようとしたら継母が戯言を言う。
後日話し合いの場を設けることにして帰宅。
途中で意識を取り戻した私は、馬車の中で意識を失う。
ノーラ達に着替えなどを任せて布団に寝かせる。
そして今朝になって今に至る。
よくよく聞いてみると、実に間抜けな状況だ。
だが一点、とても気になることがある。
「私、ズリエルに……その、犯されて、なかったのですか?」
前世の私は孤児時代に犯された経験のある高級娼婦だ。
犯された記憶は先日思い出したばかりだが、高級娼婦だった記憶があったためだろうか、私は普通の貴族令嬢のように、処女を守ることに固執していない。
だが何故だろうか、そのことをレオポルドに聞くのは恥ずかしかった。
「それは……だね……」
レオポルドが珍しく口籠っている。
やはり犯されてしまったのだろうか?
「あのズリエルという男は――」
聞きたくなかった……。




