表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/51

第34話 幸せって……

「夜会ぶりだな」

「は、はい……」


 派手な山吹色の短髪男は、いつもなら不機嫌そうに眉根を寄せて睨んでくるはず。だが今は、下卑た笑みを浮かべて話しかけてきた。

 そして鉛色の瞳は、どこか楽しそうに鈍く輝いている。


「そんな所に突っ立ってないで、もっとこっちにこい」

「……はい」


 入り口で立ち止まってしまった私は、扉を締めて重い足を引き摺るように、一歩、また一歩とゆっくりズリエルに近付く。

 だがここは、使用人が控えるための部屋。彼との距離はあっという間になくなってしまった。


「夜会ではよくも恥をかかせてくれたなっ」


 バシッと頬を叩かれた。

 痛みと驚きで、私の頭は混乱してしまう。

 大柄で筋肉質で脳まで筋肉な馬鹿男であるズリエルは、私に冷たい態度をとっても暴力だけは振るわなかった。夜会で掴まれた腕は痛かったが、あれは彼にとって暴力ではない。

 そう考えると、今の平手打ちはズリエルから受けた初めての暴力。

 継母から受ける鞭とは違う痛みだが、体が痛みを感じてしまった以上、私の体は痛みに支配されて恐怖心が増幅し、もはや何がなんだか分からなくなっていた。


 すると、ズリエルはおもむろに私の胸ぐらを掴み、グイッと力を入れてそのまま私を押し倒す。

 躊躇なく倒された私は咄嗟の受け身がとれるはずもなく、したたかに後頭部を床に叩き付けられた。

 その衝撃はかなりのもので、クラクラしつつも意識が残っているのが不思議なくらいだ。


 直後、腰骨辺りにずしりとした重みを感じる。

 きっと、ズリエルが私に伸し掛かってきたのだろう。

 辛うじて繋がっている意識は、自分でも驚くほど冷静だった。


「地味でなんの取り柄もない女だが、お前、胸だけは上物だからなっ」


 三下のチンピラが言いそうな台詞ね、などと思ってしまう。

 なぜそんなことを思ったのかと不思議に思うと、どうやら前々世の記憶が思い出されたようだ。


「…………」


 前々世の私は、権力、金、腕力に物を言わせ、こんな感じで女性を蹂躙していたのね。やはり碌でもない人間だわ。

 でも当然よね。鞭で女性を叩いて、恐怖に慄く姿を見ることに愉悦を感じるような人間ですものね。


 今まさに、ドレスの胸元を引きちぎられた私だが、何だかすべてがどうでもよくなっていた。


「…………」


 なんだろうこの感覚…………ああ、前世で孤児だった頃に、こんな感じのことがあったのね。

 そうか、私……今から犯されるのだわ。


 今度は前世の記憶だ。

 次々と思い出される禄でもない記憶。

 そして今、記憶の中の自分のように犯されそうになっているというのに、どこか他人事のように思え、抵抗する気などさらさら起きない。


 だがおかしい。

 記憶の中の私はひどく乱暴に扱われ、苦悶の表情で叫び声を上げているというのに、今の私には痛みが一切襲ってこない。

 もはや痛覚まで麻痺してしまったのだろうか? と、やはり他人事のように思ってしまう。


「…………」


 ああ、私はこれからこの男に(しいた)げられ、物のように扱われるのね。

 それとも、もう殺されてしまうのかしら?

 まだ結婚していないのだから、殺されるのはその後ね。


 徐々に思考が今世のものになってくる。

 だが視界はぼやけており、耳も音を拾っていない。

 ただただ自分の中だけで、私の時間は動いている。


「…………」


 こんなことなら、レオポルド様に愛を教えてくれと、言葉にして素直に頼んでみればよかったわ。

 結局、今世の私も愛を知らないまま一生を終えるのね。少しだけ、悲しいわ。

 あーあ、公爵家の皆となら、幸せな生活を送れたかもしれないのに。

 でも幸せって……、いったい何なのかしらね?


「…………ヌ!……ン……ヌ! …………」


 あら? 何だか雑音が……。


「……お……リ……ンヌ!」


 声?


「マリアンヌ! おい、マリアンヌ!」


 レオポルド様?!


「……――ん……」

「マリアンヌ! 気付いたのか?」

「……レオ……ポル、ド……さま……」

「良かった、マリアンヌ」


 まだ視界は覚束ないが先程よりはマシになっており、金色の輝きが目に入った。

 ぼやけているが、大地を彩る新緑を思わせる深碧も二つ見える。

 はっきり見えていなくとも、この二色が感じられたのだ、レオポルドで間違いないだろう。


「旦那様、ブランケットをお持ちました」

「よこせノーラ!」


 レオポルド様らしくない言葉遣いだわ、などと呑気に思っていると、ほんのり体が暖かくなった気がした。

 更に、ガッと強い力で全身が覆われ、少しだけ苦しさを感じてしまう。


「……くる、しい……です……」

「ハッ! すまんマリアンヌ」


 だがその苦しさが逆に良かったのだろう、かなり意識が戻ってきた。


「ここは、実家、ですよ、ね?」

「ああそうだよ」

「どうして、レオポルド、様が、ここに?」

「それは――」

「ぬあぁー、なんなんだお前は!」


 少し離れた場所から、ズリエルと思しき声が聞こえた。が、その声が近付いてくることはない。

 声の聞こえた方へ顔を向けると、数人の人影が見えた気がする。


「あの男は護衛達に取り押さえさせた。だから安心して」

「はい、ありがとう、ございます」

「マリアンヌ、体を動かしても大丈夫そうかい?」

「たぶん、大丈夫、です」


 そうか、というレオポルドの声が聞える否や、私の体が一瞬だけふわっとしたかと思うと、力強くも温かい何かに包まれた。

 どうやら、レオポルドが私を抱きかかえて立ち上がったらしい。


「帰ろう、マリアンヌ」

「はい……」

「ちょっ、ちょっとお待ちくださいませ!」


 レオポルドが動き出すと嫌な声が聞こえ、私の体が瞬時に硬直してしまう。


「大丈夫だよマリアンヌ」

「…………」

「シモンズ男爵未亡人、突然大声を出さないでいただきたい」

「申し訳ございません公爵。ですが、どうしてもお話を聞いていただきたいのです」


 継母の出す猫なで声が私に話しかけるときと全然違い、違和感があってとても気持ち悪い。


「実はこちらの不手際がありまして」

「この惨状のことかい?」


 ようやく視界の戻った私の目に、見上げる形でレオポルドの顔がよく見える。

 彼は珍しく険しい表情で、剣呑な雰囲気を纏っていた。


「そうではございません。本当の公爵の婚約者は、このドミニカです。マリアンヌはそのことを伝えに行ったただの使いの者。しかしマリアンヌから連絡がなく、こちらは訂正もできず困っていたのですわ。――ほらドミニカ、婚約者にご挨拶を」

「……は、はじめまして公爵。ドミニカ・シモンズと、も、申します」


 どうやらドミニカもいたらしく、継母の戯言の後に挨拶などしている。

 レオポルドにお姫様抱っこをされている私は、彼の右手で頭を抱えられており、継母とドミニカの方を向けない。

 きっとドミニカは、緊張した顔をしているのだろう。私にだけは強気だが、本来のドミニカは内気なのだから。


「そういうのは要らない」


 要らないのは挨拶なのか、それともドミニカなのか分からない。

 とにかくレオポルドは、継母の戯言に耳を貸す気などなさそうだ。


「後日改めて話し合いの場を設ける。今日のところはこれで帰らせてもらうよ」


 それだけ言うと、レオポルドは歩き出した。

 継母はまだ何か言っているが、レオポルドは私の耳を塞ぐように頭を抱え直し、不要な雑音が聞こえないようにしてくれた。


 レオポルドに抱きかかえられた私は、馬車に乗っても抱えられたままだ。

 しかし男爵邸を出た安堵感からか、私は何か言うより先に意識を失ってしまったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
お読みいただきありがとうございます!

『ブックマーク』『感想』などを頂けると嬉しく、励みになります

下のランキングタグを一日一回ポチッとしていただけるのも嬉しいです
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ