第36話 決意
「あのズリエルという男は、引き裂いたドレスから溢れ出たマリアンヌの胸を、執拗に舐めていたんだ。それ以外に興味はないと言わんばかりに、それはそれはねちっこくね」
「…………」
「むしろ下半身は、スカートすら捲くられていなかったよ」
「…………」
私は犯されておらず、処女は守られたはずなのだが、なんとも言えない気持ちになってしまう。
ズリエルは婚約者時代、地味な私を嫌っていた。
それでも私の胸は好きだったようで、たまに揉まれたりしていたのだ。
私としては将来の夫となるズリエルの機嫌を損ねないようにと、何も言わずに好きにさせていた。幸いにして、前世が高級娼婦だった所為というかお陰というか、羞恥心もなく無感情でいられたので、私的には問題なかったのだ。
そして彼が婚前交渉を求めてこなかったのは、あんな男でも貴族として”閨事は結婚後”という不文律を守っているのだと思っていた。
しかしどうやら違うらしい。
ズリエルは、本当に私の胸にしか興味がなかったのだ。
「と、ところで、ズリエルはどうしたのですか?」
話題を変えるつもりが、思わずズリエルについて質問してしまった。
「少し思うところがあってね、今は我が邸の地下牢に入れているよ。いずれは王都守衛隊に引き渡す予定だけれど、マリアンヌは仕返しがしたいのかい?」
「い、いえ、そういう訳ではないです。ただどうしたのか気になっただけで……」
王都守衛隊に引き渡す予定なら、レオポルドが私刑でズリエルを滅多打ちにしたりしないだろう。
もしそんなことをやるようであれば、レオポルドが被虐性に目覚めてしまう可能性がある。そうなれば、いずれ私も……。
そんなことを考えてしまったからだろう、レオポルドが豹変してしまうのではないか、という不安がまたもや湧き上がってしまった。
しかし一方で私は、レオポルドに抱えられて安堵したり、無意識に抱きついて泣き喚いて落ち着いたりしている。
だがそれは、本当に無意識なのだろうか?
私は愛を知りたくなる。と同時に、レオポルドのために役立ちたいと思った。
それどころかレオポルドのみならず、私に関係する皆が幸せになれるようにとも思った。
これらは意識的に考えたことのはず。
それを私は、不安になると『無意識』だと思い込むことで、自分に言い訳をしているだけなのかもしれない。……いや、言い訳をしている。
これでは、少し前に悩んでいたときから何も変わっていないではないか。
自分の利益ではなく、他者を思い遣る。そうすることで、私は変われるかもしれないのだ。
「…………」
そうよ、私はレオポルド様の役に立ちたかったのだわ。無意識ではなく、しっかり考えてそう思ったはずよ。
でも私が公爵家にいると、却ってレオポルド様に迷惑をかけてしまうわ。
役に立つということは、迷惑をかけないという事も含まれている……と思うの。
レオポルド様と離れたくない気持ちが大きくなってきているけれど、これは私の利己的な考えなのよね。
だから私は右手で胸元をギュッと握り、今度こそ決意を固めた。
「レオポルド様、私はシモンズ男爵家に戻ります。なので、私と縁を切って義妹のドミニカを娶ってくださいませ。そしてシモンズ男爵家とも、きっちり縁を切っていただきたいのです」
仮に私が実家に戻り、義妹をレオポルの婚約者にしても、あの継母が迷惑をかけるに決まっている。ならば、私だけが被害者になれば良い。
今までの私は、自分のことしか考えていなかった。だから罰だと思い、それを受け入れる。折檻されるのは辛い……辛いが、自分勝手だった私が受けるべき報いなのだ。
もしかしたら、苦痛に耐えた先に明るい未来があるかもしれない。そこから目を逸していただけで、本当はそれこそが正解の可能性もあるのだから。
「マリアンヌは何を言っているんだい?」
「そ、それは、レオポルド様にご迷惑をかけないようにと……」
「マリアンヌの実家のことだよね?」
「は、はい……」
「それなら僕は、迷惑などと思っていないよ」
「ですが……」
どうやらレオポルドの意志は、私の軟弱な決意とは比べ物にならないほど硬いらしく、何を言っても了承して貰えなかった。
「大丈夫、マリアンヌのことは僕が必ず守るよ。少し窮屈かもしれないけれど、暫くは公爵家の敷地から出ないでいて」
「分かり、ました……」
結局、私は今までどおりの生活をすることとなった。――決意とは一体なんだったのか……。
一方のレオポルドは、暫く王都で暮らすことにしたらしい。だが、書類仕事が多いのだろうか、日中は執務室に閉じ籠もって仕事をしているようだ。
彼の執務室には、今まであまり見かけなかった従者の出入りが増えているが、レオポルドが領地に行けない分、従者が行き来しているのだろう。
なんにしても忙しそうだ。
「マリアンヌ様、この辺りの情報は画期的です。王国一の侍女を自称する私ノーラでも、これは思いもよりませんでした」
「マリアンヌ様、これは凄く可愛らしいです。きっと次の流行りはコレに違いありません。将来王国一の侍女になる私リリーが見立てたのです、間違いありません」
自室で日々あれこれ余計なことを考えてしまう私に、ノーラとリリー母娘が情報収集を手伝ってくれている。しかも、普段は言わないようなことを口にしてまで、私の気を紛らわそうとしてくれているのだ。
だがそれはありがたい気持ちと同じくらい、申し訳ない気持ちを私に抱かせた。
「マリアンヌ、今日も夕食を一緒にできなくてすまなかったね」
「いいえ、気にしておりません。むしろレオポルド様はお忙しいのですから、私のことなど気にせず生活してください。そして、ご自分のお体を優先してください」
「何を言っているんだい。僕はマリアンヌにこうして会うことで、気力を充填しているんだよ。それができなくなってしまったら、むしろ倒れてしまうよ」
レオポルドは、目の下に濃い隈を作っていた。
元々体が弱いのに、今はとても無理をしている。だというのに、毎晩必ず私の部屋を訪れてくれるのだ。
そんなレオポルドを見ると、益々申し訳ない気持ちになり、自分は出ていった方が良いと思ってしまう。
だが同時に、愛を知りたい、彼と離れたくない、という気持ちが大きくなってきている。
どうすればいいのか分からない……。
私の葛藤は、日増しに混迷を深めていた。




