始動
翌日、センチと博士の家にパスカルの部下たちが突入した。
が、すでにそこはもぬけのから。
携帯で部下からの報告を受けたパスカルは困惑した。
実は昨日ミリの家を襲ったと同時に、部下たちにキロのいるアジトにも押し入らせたのだ。
が、キロは包囲網を突破し、捕獲から逃れてしまったという。
これでは後に回していたミリと博士の処理が間に合わない。
というか…どこへ逃げるというのだろう?
まさか逃げるとは思わなかった。
博士ほどの腕ならば、一緒にいるミリに逃げたキロを引き合わせることなど、造作もなくやれるだろう。
腐っても国家研究所元所長…ハックのレベルも国家機密レベル。
彼の情報操作は完璧だったから、国家は彼の捜索を諦めたのだ。
…だが、今さらどこへ?
パスカルは機内の指定席に座り、サングラスを外す。
『まさか、被験体を狙って行動したというのか?
もしそうなら…おそらく最初に目指すのは研究所…我々の本国。
だが本国に足を踏み入れ、研究所に入ったなら、二重のプロテクトを掛けられたようなもの。
…しかも行動人数は四人。
脱出は不可能だろう…』
とりあえずパスカルの乗った機体は、独逸の地を目指した。
それより少し前…まだ朝日も射さない夜明けに、玄関の扉を閉める博士の姿があった。
そして辺りを警戒するように目を凝らせている二人――ミリとキロがいた。
パスカルの予想したとおり、すでに博士の手によってキロはミリと接触を果たしていた。
博士はミリの時計型遺伝子抑制装置についているGPS機能へ、独自のソースで侵入し、監視に使用している衛星を数秒ジャック。
キロのデータへと信号を送って、博士宅へと誘導した。
走り回っていたキロは、その信号に従って合流したのだ。
博士は二人に目くばせをした後にうなづき、
ポケットから小さな電子手帳を取り出す。
ミリはそれが電子手帳ではないことを知っている。
それ一つで衛星ジャックをこなしていたのだ。
黙々と歩きながら、それのキーを押していく。
画面はどこかの回線にでもつながっているのか、複数の作業を行いつつ、『完了』の文字が次々と画面に列挙されていく。
「博士、それは…?」
キロがこらえきれずに問うと、博士は画面に目を向けたまま、「わしの娘を呼んでいるのじゃよ」と微笑む。
ミリは寸刻前に話された博士の言葉を思い出していた。
『センチは実験体ではない』
センチは、普通の人間の…可能性の一部だった。
彼は以前から実験対象になっていた遺伝子を含む卵子と精子を人工授精して誕生した――いわば普通の人間。
『わしが遺伝子の可能性を探り始めた、きっかけなのじゃよ』
ミリはセンチに惹かれていた。
最初は同じ実験体だというシンパシー。
…そして、彼への憧れから。
同じ実験体なのに、あんなに明るく楽しそうに。
でも、センチは普通の人間だった。
自分とは違う生命、人間じゃない自分とは違う存在だった。
「『娘』も久しぶりの再会を喜んでおる。
頑張ってドイツまで運んでもらおうかの」
博士の持つ電子手帳の画面には、『了解』とだけ浮かんでいた。




