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一花は瞬きを忘れるほどに、じっとその蝶々から目が離せなくなっていた。
小さな胸の奥が、トクン、と熱く脈打つ。
泥にまみれ、引き裂かれ、それでも生きることを諦めずに抗うその姿が、五歳の一花の心を強く揺さぶった。
「……っ、きれい……」
それは、ただの昆虫の姿に対する言葉ではなかった。
一花は蝶々を通して、そのずっと先にある、まだ見ぬ遠くの世界を見つめるように、うっとりとそう呟いていた。
ボロボロになってもなお、気高く輝こうとする命の美しさに、生まれて初めて触れた瞬間だった。
やがて蝶々は、目の前に立ちはだかる大きな木の幹へと辿り着き、垂直の樹皮を懸命に登っていった。
一歩、また一歩と、気の遠くなるような時間をかけて。
そして、ついに低く伸びた木の枝の上まで登りつめた。
世界を見下ろすその場所で、蝶々はゆっくりと、ふらふらしながらも、残された青紫色の羽を大きく広げた。
一度、二度。
頼りなく空気を叩いたあと、蝶々は風を捕まえ、今度こそ空へと羽ばたいていった。
光の中に消えていく青紫色を、一花は立ち上がり、首が痛くなるほど見上げ続けていた。
幼い胸に深く刻まれたのは、あの泥を這う痛々しさと、それゆえの絶対的な美しさの記憶。
――それが、一花にとっての『原風景』であり、のちに彼女の運命を狂わせる物語の、静かな始まりだった。




