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3.「歓喜の先」





―――西日が赤く染め上げる放課後の公園。


その古びたベンチで、物語は静かに、けれど決定的な速度で動き出す。


高校生になった一花――今はその過去を捨て、母親の姓にて柊 一花(ひいらぎ いちか)と名乗る彼女は、目眩がするほど間近にある夏目 朔也(なつめ さくや)の顔を見つめていた。


ドクン―――ドクン―――。


自分のものか、あるいは彼のものか。激しい心臓の音が、うるさいほどに耳の奥まで伝わり、響き渡っている。

一花は朔也の瞳から、決して目を逸らさない。まるで瞬きという行為そのものを忘れてしまったかのように、その端正な顔立ちを、網膜の裏へと冷酷に焼き付けていく。


ゆっくりと、躊躇いなく伸ばした彼女の細い指先が、朔也の柔らかな頬へと優しく添えられた。

あまりに突然の触球に、朔也は驚いたように一瞬だけ丸い目を見開く。けれど、目の前にいる一花のあまりの美しさと、その瞳に宿る吸い込まれそうな熱に圧されるように、彼は抗うことなく、ゆっくりと重い瞼を閉じていった。


受け入れられた。その確信を得た瞬間、一花の瞳孔が微かに揺れ、標的を絞り込むように鋭く開いていく。

彼女の胸の奥底では、他人に決して見せることのない、どす黒く、濁りきった感情が生き物のように蠢いていた。


(この心臓の音が、貴方に伝わってしまうんじゃないか――)


あまりの高鳴りに、思考の片隅で少しばかりの焦りが小さな灯をともす。けれど、それは決して恋のトキメキなどではない。

一花はゆっくりと自分の目を瞑り、心の中で冷たく呪文を唱えた。


(あともう少し……あともう少しよ、一花。)


閉ざされた視界の裏側で、朔也に対する底知れない軽蔑の念と、何年も温め続けてきた『復讐のステップ』が今まさに完成しようとしていることへの暗い興奮が、複雑に混ざり合って大きな渦を巻いていく。それは、ドロドロとした歪んだ感情がもたらす、至高の歓喜だった。彼のすべてを奪い、あの日の自分と同じ地獄へ引き摺り下ろすための、甘い罠の仕上げだ。


触れ合う寸前、お互いの唇の距離が、あと数ミリまで近づいたその時だった。


ブーーー、ブーーー。


無機質な、スマホのマナーモードの振動音が、静まり返った二人の空間を容赦なく引き裂いた。


ピクっと、朔也の身体が強張って動きを止める。


「あっ」


短い困惑の声を漏らしながら、朔也はハッと我に返ったように、ゆっくりと一花から身体を離した。


重ねようとした唇は虚しく空を切り、一花の指先から、彼の頬の熱がするりと逃げていく。

閉じられた瞼を開けた一花の瞳には、すでにいつもの、愛らしくて無害な少女の光が、完璧に作り直されて宿っていた。





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