第3章:神への反逆と受け継がれし「言葉」 / 第2節:初始(しし)の謎と元源への接続
シルとキルミが見つけた手掛かりは、何もなく後に行くほど子供の日記レベルになるほどのものだった。
それに愕然するシルだったが、キーニャは違うようだ。
第2節:初始の謎と元源への接続
シルは本の表紙を指で軽く叩きながら愚痴を漏らす。だが、キーニャはただ本を見つめ、何かを考えていた。
「どうしたの、キーニャ? そんなに深く考え込んで」
「え? そうね……本当に子供の日記なのかなって。最初の方には説得力があったんでしょ? それが最後になると子供の日記になるなんておかしくない? それに、子供の日記だから嘘って決めつけるのもどうかな、って思うんだけど……」
「どういうこと?」
シルはキーニャの言葉に納得がいかないといった表情を浮かべ、尋ねた。キーニャはシルの目を見つめ、静かに語る。
「そのままよ。もし本当に子供の日記なら――子供ほど、すべてを素直に口にする子はいないと思うから」
シルはキーニャの言葉に疑いを抱きつつ、再び本を手に取ってページを捲る。
「ん? シルちゃん。何か挟まってない?」
「え? そんなはずないわよ。最後まで読んだんだもの。何かが挟まってるなんて……」
「だけど……本の下の方から、何か出てる……」
シルは本を高く持ち上げ、ニャンコとキルミもそれを覗き込む。
「キーニャ……何も挟まっておらんぞ?」
ニャンコは不思議そうにキーニャを見つめ、キルミに目を移すが、キルミもまた怪訝な顔でキーニャを見ていた。
「そうよ、何もないわ。何かと見間違えているんじゃないの?」
「わ、私にだけ見えているの? そ、そんなはず……」
「はぁ……キーニャには見えているのね。だったら……あ、ここは『刻まれない』場所だったわね」
キルミはキーニャの額に自身の額を当て、彼女の記憶を覗き見る。
「やっぱり、間違いでしょ? あなたの記憶にも残っていないわよ」
キルミは自身の言葉に少し困惑の表情を浮かべ、もう一度額を重ねて尋ねる。
「キーニャ、今は見える?」
「え? ええ、見えてます。本の下から紙が……」
「本当に見えているのね? 間違いなく、確信を持って言えるのね!?」
キルミの語気に、キーニャは驚きながらも肯定した。「見えている」と。
「……なら、どうして。記憶に残らないのよ、その『紙』の存在が。キーニャの意識にあるはずの『紙』が記憶にはない。けれど、確かに『紙』の認識は今ここにある……」
「なら、見間違いじゃなくて、私たちが『認知できていない事態』が起きているだけね。キーニャ、その『紙』を取ってくれる?」
シルに促され、キーニャは紙に手を伸ばした。そのまま抜き取ると、手元で内容を確認する。
「キルミ、もういいでしょ。納得いかないのはわかるけど……仕方ないじゃない。それで、なんて書いてあるの?」
シルはキルミを脇へやり、キーニャの前に立って返答を待つ。
「……えっと、『過去に答えがある。初始こそ答え』……」
「は? しし? 十六? 獅子? 四肢? それに過去に答えって……過去に戻れってこと?」
「『初始』は『初めての始まり』って書いてるから……“しし”かなって。……ごめんなさい」
「初めての始まり? 原点ってこと? 原点って何よ……」
キルミは椅子に腰かけ、ぶっきらぼうに口を開いた。
「原点は原点よ……キーニャも言ったでしょ? 過去に答えがあるって。もしかしたら、その本にもちゃんと答えの続きが記してあるのかもしれないわ。私たちが子供の日記だと一蹴した中身にもね。だから、もう一度見返してみたら?」
シルは手元の本を改めて開き、今度は一ページずつ真剣に読み進めていく。
「……子供の日記は日記ね。だけど、おかしなポイントもあるわ。子供らしい表現……『水の遠いところに目がある』。分かる、キーニャ?」
「水の遠いところ?」
「そうよ。水の『深い場所』……に『目』があるらしいわ」
キーニャは記憶を辿るように顎に手を当て、思い出したようにシルを見る。
「あ、あの泉……。それに、シルちゃんが言ってた……窪み……」
「ええ、たぶんそこのことよ。その窪みの向こう側……」
「だけど、泉の入り口ってシルちゃんが閉じなかった?」
「閉じてはいないわ。ただ、簡単には出られないようにしただけ。もしご先祖様がまだそこにいたら、入った瞬間に襲われる可能性もあるわね……」
シルが対策を練っていると、キルミがシルの前に立った。
「それに関しては、大丈夫よ」
「どうして言い切れるのよ、キルミ」
「だって、私が彼女の記憶にボカシを入れておいたもの。直接彼女の視界に入らない限りは、襲ってくることはないはずよ」
シルは疑うような眼差しを向け、机を指で軽く叩きながら訊ねた。
「……なんで、そんなことをしたの?」
「なんで? そうねぇ……彼女が外に出るのは面倒だと思ったし。それに、あの時の彼女はシルを『狙ってはいなかった』のよ。キーニャを……いいえ、『私』を狙っていたの。まあ、シルも邪魔だとは思っていたでしょうけどね」
キルミは事もなげに言いながら、机に腰かけ足を組み、キーニャを見つめる。
「……なんで、私が……。あ、そういえば……あの時も、私を……」
「なんでだと思う? 彼女……いいえ、『聖魔獣』は自分を閉じ込めていた印そのものを消そうとしたのよ」
「印そのもの? なんで、キルミまで聖魔獣に関係してくるのよ? 私たち一族の……話じゃないの?」
「そうよねぇ。私もそう思っていたんだけど、この日記を見ているとそうもいかないみたいなのよね」
キルミは日記のページをめくり、ある箇所を指さした。そこには図形ともつかない、不可解な線だけが引かれていた。
「ん? なんじゃ? 線だけのページではないか……これに何か意味があるのか?」
「ったく、ニャニールン……あんた、本当に管理者だったの?」
キルミはため息をつきながら指でその線をなぞる。ニャニールンは未だにピンときていない様子だったが、それを見つめるシルの目は、徐々に大きく見開かれていった。
「そ、その印……」
「そっ♪ あんたのご先祖さまは『魔石碑』を使って、自分たちの中に古獣を封じ込めていたのよ」
「そ、そんなデタラメがあるか! 魔石碑の数など、伝達者の数……いや、それ以上に存在する。そんな無数の中から印を組み上げるなど……」
ニャンコが遮るように声を荒らげるが、キルミはただ、じっと彼を見つめた。
「そうよ。無限にあると言ってもいいわね。その上、魔石碑の印を維持するには、安定した力を持つ伝達者が必要になる。……キーニャのようにね」
「そうだとしてもじゃ……そんな力を持つ者が偶然に……」
ニャンコは何かに気づいたのか、キーニャからキルミへと視線を移し、戦慄を覚えたように口を開く。
「意図的に……『配置』したというのか? 『魔石碑の固定』は、死した瞬間に決まるはず……」
「そうね。伝達者たちが自ら知っていたのか、あるいはシルの先祖が彼らに、その場で『死ぬことを頼んだ』のか……そのどちらかでしょうね」
キーニャはキルミの発言に驚きを隠せないままシルを見る。
「そ、そんなことがあったんだ……。だけど、私のご先祖様もシルちゃんのご先祖様に協力していたってことよね?」
「ええ、そうなるわね。だとしたら、キーニャのご先祖様たちにも、私のご先祖様との協力関係から『自由』をプレゼントしなきゃいけないわ」
シルは悲しみを抑えた笑顔をキーニャに向け、それからキルミとニャンコを見た。
「さて、ここでどうこう言っていても仕方ないわね。まだ肝心なことは分からないけど、『場所』だけは分かったわ。キルミ、視界に入らない限りは大丈夫なのよね?」
シルは念を押すようにキルミへ尋ねる。キルミはシルを見つめ返した。
「間違いないわ。だけど、あなたの先祖はあなたとキーニャ……と言うより私を狙っている。キーニャを殺せば、私が姿を現すと踏んでいるはずよ」
「一つ聞いていい? なんで私のご先祖様は、あんたを狙うの?」
「……魔石碑というのが嫌いなんでしょうね。あなたの先祖は、伝達者にとって『普通』になることが耐えられないのよ。普通になれば、無自覚・無意識のうちに、何でも魔石に刻み込んでしまうからね」
キルミは語りながらキーニャを見るが、キーニャはその視線から目を逸らす。シルはそんなキーニャを見つめながら言った。
「普通って、ある意味残酷ね。だけど真実を……まぁ、私たちがそれを見ることは一生ないんでしょうけど。キルミは真実を知ることができている。それはキルミたちから見たら、些細で平凡な刺激のない記録かもしれないけれどね」
「あら? そういうことばかりじゃないわよ。中には馬鹿をやる伝達者もいるわ。それにシル、あなたのような人間に巡り合うこともある。そういう記録を見られたときは楽しいものよ」
キルミは机から降り、キーニャの両肩に手を置いた。
「いいかしら、キーニャ。あなたには力があるのよ。これは、刻むことや観察力の話じゃない。『黒魔法』を使う者としての力のことよ」
「えっ? 黒魔法……?」
「あっ、そうか。あなたたちは知らないのね。だけど、この地から遠く離れた場所にいる伝達者たちは黒魔法を使用しているわ。おそらく印を作る際、印となる者を守る必要があったんでしょうね。それ以来、当たり前のように使われているわ。単に、ここでは黒魔法の必要性がなかっただけ」
キルミはそう伝えてから、シルを見る。
「もう行くんでしょ? 私も流石にずっとここにいるわけにはいかないわ。職務放棄になっちゃうし……」
キルミはニャンコをからかうように見た。
「前管理者が放棄したものも、確認しなきゃいけないしねぇ」
「わ、ワシは放棄などしておらん! 勝手に消えてお前に任せただけじゃ」
「それを放棄って言うんじゃないの? 鳥になって知性まで衰えたかしら」
「馬鹿なことを言うなっ!」
ニャンコはキルミの前で羽をばたつかせて言い返すが、キルミは急に真面目な顔でニャンコを見つめた。
「良かったわ。なら、キーニャに教えられるわよね? 黒魔法使いとしての基礎と活用を。彼女、優秀な生徒なはずよ」
キルミはキーニャの腕を引き、ニャンコの前に押し出した。
「いい? キーニャ。この梟先生に教えてもらいなさい。私よりも詳しいし、時間がなくても的確に導いてくれるはずよ」
「へぇ……ニャンコって教えるのが……まぁ、上手いか。うん、そうね」
シルは顎に手を当て、小さく頷くとニャンコを見る。
「あ、当たり前じゃろ! お前にも色々と教えたではないか」
ニャンコはシルの顔面まで飛び跳ねて顔を突くと、机の上に戻ってキーニャを見た。その様子を離れた場所から見ながら、キルミは小さく呟く。
「……私たちの直系じゃなくても、孫のような子よ。伝達者と管理者。時間の流れが違っても、元々は一つの種族だったんだから。ニャニールンは忘れているみたいだけど」
「? どうしたの、キルミ。悲しい顔しちゃって」
「何でもないわ。私は戻るわね。ニャニールン先生、後は任せたわよ」
「待て、キルミ」
ニャンコは翼を広げ、くちばしで羽を一枚抜くとキルミへ投げた。
「いつでもここに来れる。それに、魔石碑に刻まれはしないが、ここの流れをいつでも知ることができるぞ」
「……そう。必要ないかもしれないけど、有り難くいただいておくわ」
キルミが帰りの道を開き、中に入ると静かに道が閉じていく。残された三人はその様子をただ見守り、誰も言葉を交わさなかった。
魔石碑が立ち並ぶ場所に空間の裂け目が開き、そこからキルミが姿を現した。彼女は手にした羽を見つめる。
「いつでも来れる、ね……。まぁ、行くことなんてもう無いでしょうけど」
キルミは羽を髪に差し、いつものように魔石碑の前に立った。そして伝達者たちからの刻印と、異変が起きていないかの確認を始めた。
『キルミ……いつ来ても良いんじゃぞ。ワシも時には話し相手が欲しいからの。それに、ワシらの孫に教育ができる機会をくれて感謝しておるぞ』
不意に頭の中に響いたニャンコの声に、キルミは小さく笑みを浮かべた。
「そうね……時々は行ってあげるわ。それに覚えていたのね、ニャニールン……」
ニャンコは、キルミの返答を受け軽く笑みを浮かべ、キーニャの方を向く。
「さて、時間はないが基礎から教えていくぞ。シルがいつも隣におっただろうから、ある程度の仕組みは心得ておるじゃろ?」
「えぇ、シルちゃんは滅多に魔法なんて使わないけど、ある程度の事は…」
「ほぉ、なんとシルは魔法を使わぬのか…楽しようとしょっちゅう使っていると思っていたぞ」
「馬鹿ねぇ…面白くないでしょ?楽なことなら動いた方が早いのが殆どよ。私よりもキーニャに教えなさいよ」
シルはニャンコの頭を軽く抑えながら促す。
「分かっとるわ。しかし、思った以上に真面目じゃのぉ。シルは…んで、どの程度を理解しているんじゃ?キーニャは?」
「えっ、え~と…確か、精霊との一時契約?みたいなことを言ってた気がするけど…」
キーニャは、シルを見ながら答える。
「なんで、私を見るのよ?聞く相手を間違っていないけど、『先生』を見て答えないとねぇ。『先生』」
シルは悪戯っぽくニャンコを見る。
「シルに先生なんぞ言われたくはないわ、気持ち悪い…キーニャなら、いつでも先生と呼んでもよいぞ」
「えっ、あ、え、え~と…」
「ニャンコ。馬鹿なこと言わないで。キーニャが戸惑ってるじゃないのよ…。けど、キーニャが言ったように『一時契約』はその通りよ。根本は各精霊のトップとの『本契約』をしてるの。そして、各々に属する精霊たちと『一時契約』って流れね。」
「えっ。本契約…そんな時間…」
キーニャは少し落ち込むが、ニャンコはキーニャの近くに寄っていく。
「まぁ、確かに今から本契約は無理じゃ。だが、『仮契約』をするという強引な方法もある。」
シルはニャンコの『仮契約』という言葉に微かに反応を示しながらもキーニャを見る。
「仮契約…ですか?一時契約とどう違うんです?」
「言葉的には似たもので、違うのは要する時間じゃ。一時契約はほぼほぼ、本契約に近くいつでも魔法につながる。だが、仮契約には詠唱というものが付いてくる。知っとるじゃろ?魔法を発動させるために唱える行為じゃ。本契約でも必要になるときはあるがな。足元に魔方陣を描くなどじゃ。」
「魔方陣…あっ」
「そうよ、あの時のご先祖様の動きを鈍らせた拘束重鎖。普段は魔方陣は必要ないものだけど、描くことで数段強くなる。けど、ニャンコ…あんたが言ってる『仮契約』ちょっと違うでしょ?」
シルは詰めるようにニャンコに顔を近づけるが、ニャンコは澄ました顔を通す。
「なぁに、シルの本契約に仮契約するだけじゃよ。難しくはないじゃろ?シルが我慢するだけじゃ。」
「が、我慢って…あの後、本元に煩く言われるし体力が削られるから阿保みたいに馬鹿食いするのよ…」
『それだけならいいんじゃないの?シルだけが太るってだけでしょ♪見てみたいわ♪』
頭に直接響く声に、シルとキーニャは周囲を見回す。
「キ、キルミ!?」
『あら?ニャニールンは言わなかったの?だけど、ホントね。キーニャの魔石碑には何も刻み込まれていない…何処で知ったのよ…真の図書室って侮れないわね』
ニャンコは胸を張り、
「どれほど長くここにおると思っておる? ここには面白い記述が腐るほどあるぞ。魔石碑に近づこうとした不届き者もおったようじゃが……。ま、それより、キーニャに魔法の基礎と仮契約の方法を教えねばならぬな」
ニャンコが再び視線を戻すと、キーニャの顔つきは先ほどよりもずっと真剣なものに変わっていた。
「そうじゃ。その意気が必要じゃ。ワシらがやろうとしていることは『封印』ではない、ある種の『改変』じゃ。その結果がどうなるのかさえ、ワシにも分からん」
「改変ね……そういえばお祖母ちゃんも、そんなことを言っていたわ……」
「いいかい、ルシ。私はね、お前が憎くてこんなことをしているんじゃないんだよ。ルシが大きくなった時、世界は変わってしまう可能性がある。……変わるだけじゃないかもしれない。ルシや、ルシのお友達がいなくなってしまうかもしれないんだ。お前が大きくなって、居なくなってしまうなんて嫌だろう?」
老婆は幼いルシの肩に触れ、言い聞かせるように優しく語りかける。
「お友達がいなくなるのは嫌だよ。だけど、私もみんなと遊びたいよ、お祖母ちゃん」
「ごめんね……そうさせたいのは山々なんだ。けれど、もう時間がないかもしれない」
老婆は壁に貼られた一枚の『紙』を見つめた。その紙は、黒から白へ、白から黒へと、ある時は速く、ある時は緩やかに変色を繰り返している。
老婆はルシを抱き寄せ、
「ごめんね……ルシがお勉強を頑張れば、お友達と遊べる時間が増えるかもしれないから」
「……うん。お勉強頑張って、お友達と遊ぶ」
ルシ――今はシルと呼ばれている彼女は、過去を思い出し苦笑した。
「我ながら……単純だったわ。お勉強どころか、年を重ねるたびに覚える量は増える一方だったし」
「来たかい、ルシ。今日はこの分を覚えてもらうよ」
少し成長したルシの前に積まれたのは、見たこともない文字で綴られた本の山だった。
「ちょっ……ちょっと待ってよ、お祖母ちゃん。む、無理だって、こんなの……」
「そうかい? ルシなら覚えられると思ったんだけどねぇ」
祖母は慈しむように目を細める。
「これだけの本、どこにあったのよ……。この家にあったとは思えないし、見たこともないわ」
「それは後で教えてあげるよ。この本の中身を理解できたら、の話だけどね」
シルは顔を青くしながらも、湧き上がる『知りたい』という欲求に抗えず、本と向き合った。
「……無理。まず、なんて書いてあるのかさえ分からないわ」
「その本に記されているのは神話語といってね、言葉では伝えきれないものなんだ。ルシ自身が『言葉を迎え入れる』必要があるんだよ」
「そういえば……お祖母ちゃんは、いつも私を『ルシ』と呼んでいたわね。理由は最後まで聞かなかったけれど、お祖母ちゃんだから許せていた気がするわ」
シルはニャンコへと視線を移した。
「やっと神話語を理解できた時よね。ニャンコに会ったのは……」
「? 誰じゃ、お主は。サラの知り合いか?」
「何を言ってるんだい、前に話しただろう? 私の孫だよ」
「おぉ、ルシだったか」
「ルシじゃないわ、シルよ。それに、ルシって呼んでいいのはお祖母ちゃんだけだから……」
サラはシルの頭を撫でながら、ニャンコに向き直った。
「そういうことだから、シルと呼んであげて。それから、ルシはもう『覚えた』わ」
ニャンコの表情が一瞬、険しくなる。
「そうか……覚えたのか。間に合った、と受け取ってよいのじゃな?」
「構わないわ。あとは、ルシに刻むだけよ…」
シルは手の甲にある印を解いて『目』を顕現させると、そのままニャンコへと視線を移した。
「ねぇ、ニャンコ。お婆ちゃんのこと、話したことあったっけ?」
ニャンコは不思議そうな顔でシルを振り返る。
「何を言っておる。そんな話は一度も聞いたことがないぞ。ワシもお主の個人的なことには興味はないしな」
「なによ。つれないわね」
シルは苦笑してニャンコを見つめ、それからキーニャに目を向けた。キーニャを包んでいた青白いオーラが霧散し、彼女もまたシルへと向き直る。
「あれ? そういえば、シルちゃんのお婆さん、亡くなったって聞いたけど……何でだったの? 元気だった記憶があるんだけど」
「んー、元気でも年齢には勝てなかったってことかな。急に倒れて、そのまま……って感じだったし」
シルはそのまま、図書室の奥をじっと見つめた。
サラはシルに近づくと、静かに口を開く。
「ルシ。これから、すごく痛いことをするけれど……いいかい?」
「えっ? 痛いことって……何をするつもりなの、お婆ちゃん」
「ルシがもっと大きくなった時……数年後かもしれない。その時の『対抗手段』のようなものだよ」
ニャンコも真剣な眼差しを向け、言葉を添えた。
「神の遊びに付き合いながら、『神と同等の力』を持つ……いや、シルに『持ってもらう』のじゃ」
「へ? 神様と同等……無理に決まってるでしょ!?」
「無理ではないわ。ルシが覚えた『神話語』……この文字は神と同等の力を持つ言葉。神がこの世に残した『暇つぶし』の遊びなのよ」
サラの言葉は重く、ゆっくりとシルに語りかける。その威圧感に、シルは何も言えずにただ祖母を見つめていた。
「暇つぶし?」
「そう。神話がなぜ存在すると思う? 神の威信や力を、私たちに示すためだと思うかい?」
サラの唐突な問いに、シルは答えられず見つめ返す。
「私たちに示すためなら、人の姿である必要はない。人に力を示すために人の姿をとるのではないのよ……人にも『可能』であると示しているの。それが『神話語』。だから、その力をシルに持ってほしい」
「わ、私じゃなくても……お婆ちゃんだって、神話語を理解してるんでしょ? だったら……」
シルは訴えるようにサラを見る。サラはゆっくりと首を横に振った。
「私が理解しているのは、ほんの一部。ルシが知っているのも一部かもしれない。けれど、私とは違う知識の深さがルシにはある。『言葉を覚える』ことは、『言葉を紡げる』ということなのよ」
「よく分からないけど、それが『対抗手段』になるのね?」
「そうじゃ。お主が唯一の『神へ対抗できる者』となる。そのために、その身へ『刻む』必要があるのじゃよ」
シルは『目』の刻印を再び隠し、小さく呟く。
「お婆ちゃんとニャンコの絶対的な知識が刻まれた目。それで、お婆ちゃんは死んだし、ニャンコの記憶も飛んだ……。それに私が知っている『言葉』。神と同等の力を持つ……。キルミが知っている以上の知識があるから、私にしかできない。けれど……」
シルはニャンコとキーニャに視線を移す。
「キーニャの力が必要になるわ。いくら私が神話語を知っていても、それは『後』で必要になること。『今』はキーニャがいないと。……私の最初のご先祖様も、神話語を知らなくても伝達者の力を見抜いていたのかしらね」
シルは二人に近づき、声をかける。
「どう、ニャンコ? キーニャ?」
ニャンコはシルに顔を向けた。
「キーニャは本当に天才的な能力を持っておるようじゃ。シルと違って理解力があるぞ」
「悪かったわね、理解力がなくて。それで、私との反則的な仮契約もできそうなの?」
「もうしばらくじゃ」
『あら? どうしたのシル。馬鹿食いは受け入れたのかしら♪』
脳内に響くキルミの声に、シルは小さく頷き、独り言のように返す。
「馬鹿食いなんて終わった後のことだって、今気づいたのよ。全てが終わってから考えるわ」
『……そうね。シル、あんたは私以上に知っているでしょ? 神話語のこと……』
「……そう言い切れるわ。私はキルミ以上に知ってる。言葉を創ることさえも……」
『神話語のレベルじゃないわね。だからこそ、シルにすべてを託したのかしら、ニャニールンは……』
「! 知ってたの……」
『知ってると言うより、ニャニールンの阿呆馬鹿さを見てたら何かが違うことぐらい分かるわよ♪ もうそろそろで終わりそうね。後はあなたと仮契約するだけ。ニャニールンが言っていたように、キーニャは素質があるわ。あんたの足手纏いにならないことだけは私が保証してあげるから、”制限”したら駄目よ?』
シルは微かな笑みを浮かべて続けた。
「何よ。私を激痩せさせるつもり?」
『嬉しいでしょ♪ 痩せられるんだから♪』
「嬉しいけど、強い回復魔法が必要になるかもよ?」
『いいじゃない♪ 終わった後の話でしょ?』
シルは笑みを深め、ニャンコとキーニャの前に座って両手を差し出した。
「キーニャ、私の手を握って。大元に『直接』繋いであげるわ」
「ちょ、直接じゃと!?」
「まぁ、馬鹿食いは変わらないし、説教レベルじゃ済まなくなるかもしれないけど……そっちが良いでしょ?」
シルは悪戯っぽくニャンコを見る。ニャンコは呆れ顔を見せながらも、どこか楽しげに笑った。
「そうじゃな。その方がキーニャ本来の力を出せる可能性が大いに高まる」
キーニャは不安そうにシルを見つめる。
「ほ、本当に良いの? そんなことして……」
「気にしないでいいのよ。これから向かうのは、生死なんてレベルじゃない場所なんだから。気にする方が馬鹿を見るわ」
シルはキーニャの手を強く握りしめた。
「いいわね? キーニャも少しは受け入れる準備をしなさいよ。今ニャンコに教わった以上のものが来るから」
シルの体がわずかに光を帯び、その光がキーニャを包み込む。キーニャは一瞬体を震わせた後、ゆっくりとシルを見つめた。
「……こ、これが大元なの……。それに……」
キーニャはゆっくりとニャンコに目を向ける。ニャンコは不思議そうな顔でそれを見つめ返した。
「? 何だ、キーニャ。ワシの顔に何か付いておるのか?」
「ただ、大元に驚いているだけよ。たまたまニャンコを見ただけ」
シルはキーニャの耳元でささやく。
「私の記憶も一部行ったみたいね。だけど、黙ってて。それがニャンコのためでもあるのよ」
「え? わ、分かった……」
キーニャはシルの言葉を飲み込み、小さく頷く。
『本当にやるなんて、さすがはシルね♪』
「キルミ……あんたが言ったんでしょ?」
『けど、まさかシルの記憶の一部を共有するなんて思わなかったけど♪』
キルミの無責任な響きが頭をよぎる。
「そうね。どのくらい行ったのかは分からないけど、大元との接続だけは確実にできたわ」
『キーニャの底力も計り知れないわね。大元との接続で普通の顔をしてるなんて。いくらシルが準備をしてって言っても、それなりに衝撃はありそうなものなのに』
「私の親友だし、そういうものでしょ? ね、キーニャ」
「えっ? 何が?」
「大元はどういう感じ?」
「ええと……何て言えばいいんだろう。自然の摂理っていうの? それを感じるというか、それ以上の……」
「それ以上……ねぇ……」
シルはある試みを思いついたかのように、神話語を口にする。
「え? シルちゃん?」
一冊の本がキーニャに向かって飛んだ。キーニャはそれを抵抗なく、自然に受け止める。
「あ、危ないよ、シルちゃん。こんなに厚い本を……」
「やっぱりね♪」
『……そうみたいね。あんたの大元はどこまでキーニャにあんたの記憶を渡したのよ……』
キルミの言葉をよそに、キーニャは少し不機嫌そうにシルを見つめた。
「シルちゃんっ!! もし私が受け止めきれなかったら、大ケガじゃ済まなかったわよ!」
「ごめんごめん。だけどキーニャ、何が来るか『理解』はできたでしょ?」
キーニャは受け止めた本を見つめ、それからシルに視線を移す。
「え? だって……そう言ったでしょ? ――って、あれ? 私……」
ニャンコが驚愕の表情でキーニャのそばまで飛んできた。
「キーニャ……お主、神話語を理解しておるのか!?」
「え? ええっ!? うそっ!」
「そこまで驚かなくてもいいじゃない。理解できるなら、私としては助かるわ。本当の意味で神話語を使うのは『後』になるけど、対峙した時や相手が使ってきた時に有利に立ち回れるもの」
シルは立ち上がると、ニャンコに目を向けて告げた。
「ニャンコ。今から行くわよ」
ニャンコとキーニャが顔を見合わせる。
「い、今から!?」
「そうよ。時間は待ってくれないわ。わかるでしょ?」
「そりゃそうじゃが……」
「シルちゃんの言うことはわかるけど……私はまだ……」
「大丈夫。キーニャはニャンコから基礎は聞いたでしょ?」
「それはそうだけど……実際の使い方は全然だし……」
シルへの大元に『直接』をしたことで覚醒したキーニャ。彼女の力はシルと同等の力を得た…
残るは…太古から繰り返され、終焉を迎えた時を終わらせる為に…




