第2章:真の図書室と世界の欺瞞 / 第1節:知恵を抱くフクロウ
シルとキーニャは離れにある図書室へ向かう。そこで出会う人語を話すフクロウのニャニールン・コーセイドルシンは真実を伝える。
離れの村に辿り着いた二人は、村の図書室へ向かった。
シルが木製の扉に手をかけ、軽く押し開ける。室内に入ると、そこには無尽蔵の本が整然と並んでいた。キーニャは驚きを隠せず、周囲を見渡す。
「えっと……この村に、こんなに本があったなんて知らなかったわ」
「そりゃそうよ。だって、“私”が開いたから“本来の部屋”に来られただけだもの。実際はこれだけの蔵書があるけれど、知っているのは私だけ。家にある古書を読み解いて、ようやく見つけた部屋だから。父さんや母さんも中身は知っていても、読み尽くさない限りこの場所には辿り着けないはずよ」
シルはキーニャに向かって悪戯っぽくウインクし、奥へと歩き出す。
「ちょっと待ってよ、シル! こんなに広いと迷子になっちゃう!」
「はいはい。そう簡単に迷子にはならないわよ。……それより、あそこが見える? 少しだけ光っているでしょう」
シルが指さす方向に目を凝らすと、確かに微かな灯火がゆらゆらと揺れているのが見えた。
「ロウソク? なんであんなところに……」
「まあ、行けば分かるわよ」
二人が灯火の下まで歩み寄ると、そこでは一羽の鳥が何やら作業をしていた。
「鳥? ……フクロウかしら」
「またあんたの知識が必要になるかもしれないわよ、ニャンコ」
ニャンコと呼ばれたフクロウは勢いよく振り向き、シルの顔に詰め寄って罵声を浴びせる。
「何度言ったら分かるのだ! ワシはニャンコなどではない! ニャニールン・コーセイドルシンという立派な名があると言っておろうが! ……ん? 誰じゃ、そちらは」
ニャンコはキーニャをじろじろと観察する。
「ふむ。伝達者の血を引く者か……しかし、面白い組み合わせよのう。白魔導士に伝達者か。ふん、離れの村などと称しながら、これほどの者たちを遠ざけておくとは、本村の村長共も安直な考えよ……はぁ」
深い溜息をつきながら長方形の机に降り立つと、彼はシルを見据えた。
「はて、そういえばまたワシの知恵を借りたいとな? おぬしの頭はどうなっておる。ある程度は教えたはずだが?」
シルはニャンコの頭を軽く小突きながら笑った。
「何言ってるのよ、あんたに言われたくないわ。私たちよりずっと脳みそが小さいくせに、人の言葉を解してこの図書をすべて把握してるんでしょう?」
ニャンコは威厳を示すかのように胸を張り、二人を見る。
「オホン。何を知りたいのじゃ?」
「魔石碑についてよ。キーニャから『伝達者が見た現象や物事を刻む石碑』だってことは聞いた。だけど、泉に印を施したとき、一瞬だけ泉の中から妙な気配を感じたのよね……生き物の動きじゃなくて、何て言えばいいのかな……空気でもないし……」
「……“記憶のぼかし”じゃな」
「記憶の、ぼかし?」
「そうじゃ。記憶そのものを弄るには、全てを書き換える必要がある。1を0にすることじゃからな。しかし、魔石碑は全てが繋がっておる。一つの魔石碑を直接弄ることは、他の魔石碑の崩壊を招く恐れがある。ゆえに『ぼかす』ことで目的を逸らすのじゃ。お主らは目的があって泉に向かったのじゃろ? その『泉に向かう』をぼかすと、目的地はあやふやになるが、事の次第は後々鮮明になる。わかるか?」
キーニャはうなずき、言葉を継いだ。
「“結果を遅らせている”ということですね。結果そのものを消すのではなく、到達を遅らせることで、直接的な書き換えを避けている。1を0にしたわけではなく、1を1のままにしている……」
「さすが伝達者じゃ、理解が早いのう」
ニャンコは満足げに羽を震わせ、キーニャを見つめた後、疑わしげな顔でシルを見る。
「小さな脳で悪かったわね。私にだって理解できるわよ! つまり、あの時の違和感が『ぼかし』だとしたら、何かを隠した……“魔石碑に関する何か”を隠そうとしたのかも知れないわね」
シルは椅子に座り、村長からもらった古書を机に置いた。ページを捲りながら、キーニャの左腕に目をやる。
「そういえば……ニャンコ。ここってどういう場所なの? 聞いたこともないけれど」
「どういうことじゃ?」
ニャンコはシルの視線の先に気づき、納得したように頷く。
「ああ、そういうことか。大丈夫じゃ、ここは魔石碑が“記憶する範囲”の外にある。どの時間、空間とも隔離されながら、同時に繋がっておる場所じゃ。だからこそ、これだけの書物がある。全てのように見えて、全てではないがの」
「えっ……全てじゃないんですか? こんなにあるのに……」
キーニャは果ての見えない書棚と、自分たちが通ってきた通路を交互に見つめた。
「そうじゃ、全てではない。今そこにある古書も初めて見るものじゃし、シルが家で読んだ古書もここにはない。誰かが持ち込み、積み重なった結果がこれじゃ。中には一部が欠けて読めない書物もある。おそらく欠損した部分は、お主たちの世界にあるのやもしれぬ。紙という媒体だけでなく、記された物なら何でもあるぞ」
シルはページを捲る指を止め、ニャンコに向き直る。
「記録の多さはわかったけど、ここの出来事は魔石碑に刻まれないのね?」
「刻まれることはない。たとえそれがキーニャの記憶であってもな。別の形……そうさな、ここに関する事柄は『空白』として刻まれていくじゃろう」
「空白ね。管理している側としては、違和感があるんじゃない?」
「大丈夫じゃろう。記憶の空白は無意味なものとして、いずれ詰められていくからの」
「結構詳しいのね。もしかして、ニャンコがここを作ったの?」
悪戯っぽく、それでいて核心を突くような目でシルが問う。ニャンコは笑うように答えた。
「そんなわけなかろう? ワシはずっとここにおるだけじゃ。ただの知識よ。いつ得たものかは忘れてしまったがな」
「ま、そうよね。ここの管理だけはちゃんとしているみたいだし」
シルは背もたれに体重を預けて大きく背伸びをした。隣を見ると、キーニャが頬杖をつきながら考え込むように棚を見つめている。
「どうしたの、キーニャ」
「え? ああ、ううん。ここの欠けたページが私たちの世界にあるって聞いて、心当たりがあったの。確か私の家にも、ところどころ破れている本があって。挿絵か何かが剥がれた跡だと思ってたんだけど、破れていても内容に違和感がなかったから……」
ニャンコは聞き耳を立てるようにしてキーニャへ歩み寄る。
「ほほう……それは面白い。初めての試みじゃが、やってみる価値はあるかもしれんぞ。なあ、シル」
「そうね。本当に失われたのか、それともこの無限の図書室のどこかに切れ端があるのか。物理的に消えたものがどう扱われるのか、試せるかもしれないわね」
幾多の魔石碑に情報が刻み込まれていく中、少女は一つ、反応の途絶えた石碑の前に立ち尽くしていた。
「おかしいわね……。さっきまであんなに刻まれていたのに、一切動きがない。神隠しにでも遭ったのかしら?」
少女はキーニャの魔石碑に触れ、最後の行動を辿る。
「離れの図書室? そんな場所があったなんて……。でも、図書室に入っただけで止まるはずがないわ。見たもの、感じたこと、思考のすべてが刻まれるのが、伝達者の責務であり、運命なのだから」
少女はキーニャが図書室へ入る場面を、何度も読み返す。
「ん? このシルって子……。入る直前に何かした? キーニャの視界からは外れているけれど、間違いなく何かをしたわね」
少女は魔石碑を操作し、シルの情報を洗うことにした。
「ふうん、かなりの古書マニアってところかしら。でも、それだけじゃない。記録を見る限り、相当な魔力も持っている。あの聖魔獣を前に平然としているなんて、愚かなのか、肝が据わっているのか、それとも自信があるのか……。それに、キーニャは気づいていないようだけど、私が聖魔獣の記憶をぼかしたのは、シルが泉を封印する直前だったみたいね。シルの目つきが変わっているわ」
少女は近くの魔石碑に目を移し、離れの図書室付近にいたはずの伝達者を探す。
「……いないわね。運がいいというか。あの子が何をしたのかさえ分かればいいのだけれど」
キーニャを起点にシルとの関連性を探り、近くにいた伝達者の記憶を遡り始める。幾つもの石碑を前に瞑想するように目を閉じ、情報を繋ぎ合わせ、少女はある一点に辿り着いた。それは、シルが漏らした独り言を偶然聞き取っていた者の記憶。
「『真の図書室』……。離れの図書室は、隠されている?」
顎に手を添え、思考を巡らせる。
「魔法で隠しているわけではなさそうね。もしそうなら、偶然見つけてしまう人間がいるはずだし、噂だって広がる。あの子がした『何か』が、真の図書室への引き金になっている……」
該当する記憶の解像度を引き上げ、前後の音を丹念に解析していく。すると、ある記述に微かな音の変化を見出した。
「なに……? この空気を裂くような音。でも、音は小さくなっていく……。伝達者の視界に入るその直前に、やはり何かをしていたのね」
「キーニャの破れた古書も魔石碑についても、すっごく気にはなるんだけど……ここに来た目的を忘れるところだったわ」
シルは開いた古書を指で叩き、小さな溜息をつく。ニャンコはシルが指すページを覗き込み、二人に言った。
「面白いものを持って来たのう。魔石碑ではなかったのか?」
「ま、ニャンコに聞いたのは魔石碑のことだったけど、これもあるのよ。どちらかと言えば、こっちが本命。村長が言うには先住民の古書ってことだけど、詳細はよく分かってないのよね」
「つまり、中身を知りたいという事じゃな?」
「そうよ。近道になる何かが、ここならあるって思ってね」
「……けど、ニャンコさんは読めるんですよね?」
何気なくキーニャが尋ねると、シルは驚愕の表情を浮かべてニャンコを見た。
「まあ、同じ文字の古文書を見た覚えがあるしな……。一部、見たことがない文字もあるが、前後の流れで推測は可能じゃ。今、シルが開いているページには、古獣のことが記されておるのぉ」
「古獣?」
「なんだ、知らぬのか? お主たちが神聖視している山は、古獣を押さえつけるための巨大な封印陣の上にある。そして、目覚めそうになった古獣を抑えるために聖魔獣を召喚したということを……」
シルはニャンコの話が理解しきれないようで、ただ呆然と見つめている。
「はぁ、本当に何も知らぬのじゃな。ワシも確実ではないが、この書物の中身は一応覚えているつもりじゃ。古獣は太古の昔に大暴れし、この世界を滅ぼそうとした獣じゃ。その者を滅することができずに、この地に封じて抑えの山を作り出したのが、お主の遠い祖先となる。それから数百年前、古獣の目覚めを感知した者が召喚したのが聖魔獣で、その力を恐れて内に封じたのが、シルの数代前の祖先じゃ」
「つまり、確実に泉の底で見たのは私のご先祖様ってことね……。聖魔獣がご先祖様の魔力を吸いきり、捉え方にもよるでしょうけど、ご先祖様は消えて聖魔獣に取り込まれたと見た方がいいのかもしれない……」
シルはキーニャを見つつ、ニャンコに話す。キーニャは己の記憶を辿り、小さく頷いて同意した。
「ニャンコさん、この古書を読めるんですよね。何て書いてあるか、教えてくれますか?」
キーニャはニャンコが見やすいように古書を閉じ、彼の前に置き直して椅子に座る。
「ふむ……。先ほどシルが開いていたページは確かに古獣のことじゃったが、改めて表紙を見ると少し違うようじゃな。ワシが言ったことより少し新しい記述のようじゃ。それでも数千年前ではあるが、代々の教えが記されておる」
「教え?」
ニャンコは古書に触れず、視線だけでページを捲り、中身を検分する。
「そうじゃ。古獣を封じた際の陣の描き方や、その際に用いた物や力……。ふむ、ここにある書物でしか見たことがない物質も書かれておるな。どこかに実在するのかも知れぬが……」
「気になることが嫌ってほどあるけど、そもそも古獣については書いてないの? ニャンコの話だと『大暴れした獣』ってだけでしょ?」
シルがニャンコの頭を軽く撫でながら聞くと、ニャンコは一歩退きながら答えた。
「不気味なことをするな! 古獣のことか? 待っておれ……。ん? これかのう……ふむふむ」
ニャンコは一通り読み終えると、二人を見て語り出した。
「明確なことは記されておらぬが、神話の一つとして古獣が描かれておる」
「神話ですか……」
「そうじゃ。この世界を作り出し、滅するために存在する一柱。創造神であり、破壊神。古獣が『滅』を望む時は古獣の最期であり、新しい次の獣の目覚め……世代交代というべきかの。そして、その名は『聖魔獣』……」
「ちょっと、ちょっと、ニャンコおかしくない!? さっき言ってたことと違うじゃない!」
シルは両手で机を叩いて立ち上がる。
「古獣を封じるためにご先祖様は聖魔獣を召喚したのよ。なのに、古獣の次代が聖魔獣になるっていうの!?」
「そうですよ……何処かおかしい。古獣と聖魔獣の位置関係が、神話と現在では全く違う。まるで、シルちゃん達の一族が古獣を消すために存在しているような……。そして、聖魔獣をわざわざ身体に封じている……」
キーニャの言葉に、シルは思わず自身の両脇を抱え込んだ。
「神話だなんて……都合良く作られたお話。どうして、私たち一族は何も知らないの? 私たちの命運が懸かっていることなのに。……一人の犠牲で済むというの?」
その時、シルの脳裏に泉で見た先祖の顔が浮かび上がる。自分と瓜二つの先祖が。
「もしかして、私の家系が聖魔獣を育むためのものなの? いや、おかしいわ。私はご先祖様を見た時、確かに驚きはしたけれど、不思議なほど冷静でいられた……」
キーニャは心配そうにシルを見つめ、ニャンコはさらに何かを言いたげに、しかし冷静に彼女を観察している。
「どういうこと……私の血筋に聖魔獣が潜んでいるの? だけど、ご先祖様が豹変した時、本能的に危険を察知した。だから、二度と出られないように泉を封印したはずなのに……」
「シルちゃん……」
「私の家系ですら預かり知らぬことなの? 血に刻み込まれた、無意識の……聖魔獣を育むための本能……」
「そうね。だけど、少し違うわよ」
図書室は普通の図書室ではなく、この世の無いと言われているモノがある異空間の図書館だった。
そして、その場所は魔石碑への刻みがない事を不振に感じた人物…




