第四話 逃から攻へ
馬車の車輪が石畳を叩く音が、夜の静寂に響く。
背後からは数騎の追手の蹄の音が迫っていた。
「所長、捕まっていてください」
彼女が鋭く叫び、手綱を強く引く。
馬車は横転せんばかりの勢いで急角を曲がり、かつて運河として使われていた湿った地下通路へと滑り込んだ。
暗闇と苔の匂いに包まれた場所で、ようやく馬車が止まる。
「……ここなら、連中の鼻も利かないでしょう」
彼女は御者台から飛び降りると、何事もなかったかのように衣服の乱れを整えた。
「特殊監査官、か。道理で、俺の帳簿のミスに厳しいわけだ」
私は馬車から降り、苦笑いしながら煙草に火をつけた。
「……笑い事ではありません。総裁は、あの男――軍情報部の『ハイドリヒ大佐』がアヘン密輸の元締めであることを突き止めていました。
彼は、この国を薬物による偽りの繁栄で塗り替えようとしていた。
総裁はそれを公表しようとして、消されたのです」
彼女の瞳に、初めて微かな怒りの火が灯った。
「私に遺されたのは、総裁が死の間際に飲み込み、スラムの隠し場所に吐き出した『貸金庫の鍵』だけです」
「なるほど、それがこの事件の『心臓』か」
私が煙を吐き出すと、彼女は懐から、どす黒く汚れた小さな銀の鍵を取り出した。
「ハイドリヒ大佐を失脚させるには、アヘン貿易の全容が記された裏帳簿が必要です。
それは、王立劇場の地下にある総裁専用の金庫に眠っています。
……ですが、あそこは今や軍の監視下にあります」
私は空になったワイングラスの代わりに、古びた鍵を指で弾いた。
「敵は軍部、舞台は王立劇場。報酬は……1万メールじゃ足りなさそうだが、恩師の仇討ちなら、色を付けてもらわないとな」
霧の向こうで、王立劇場の時計塔が午前0時を告げる鐘を鳴らした。
名探偵と、その最強のパートナーによる、決死の奪還作戦が始まろうとしていた。




