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推し愛へつらい偽りあい

 沈黙ののち、ためらいがちに差す朝日に照らされて、穏やかな目覚め、すべては確実し、そして繰り返します。埃だらけでノイズ混じり、くたびれたポップミュージックが遠くの方から聴こえてきます。時代の表面だけ舐め、その酷い味と臭いに怒り続けてきたが、それは大きな間違いでした。もっともっと奥深く、舌をねじ込むべきだったのです。あらゆる変化に敏感でなければなりません。反時代的な姿勢をとり続けるのは単なるセンチメンタリズムであり、幻覚の中で途方に暮れる猿が一匹、身動きもとれずにいるだけのことなのです。

 思えば、よくもこのようなクソを延々書き続けていたものだ。なにか悪いモノに憑かれていたように思えて仕方ないが、なに者にも憑かれていなかったことは明白でした。そのことに気づいた瞬間、疲れ知らずのつもりが、ほとほと疲れ果ててしまったのでした。誰が何を書くのか。彼は何を書く資格があるのか。人は受け取りたいものを受け取りたがるし、人が受け取って欲しいようには受け取らないものだ。あらゆる場面でそのようなことは起こっていた。それでも、受け渡そうとし、受け取ろうとするのだが、それが実際どのように行われているのか、真に確認する術はないというのだから、これはもう参ってしまうしかない。

 自分がなにを求めているのか、真剣に考えてみたまえ。真剣に考えてみた結果、そこに表れたものはおそらく自分の意に沿うものではないだろうが、しかし、それが自分が求めているものなのだ、自分が自分を偽っていない限りは。もちろん自分が自分を偽っていることはほぼ確実で、自分を偽っている自分を真なる自分だと考えているものが圧倒的多数であることは明白ではあるが、むしろ自分とは自分を偽ることでしか表れてこないものなのではないだろうか。

 どこまでも表層的な存在である自分、存在することが不思議なくらいに不安定な存在、揺らぎ、流され、信じ込む、信じ込もうとする、し続ける、それらの運動の実質的な果てにいる自分を見ていて思うのは、自分とは面白いものだな、ということであり、つまりそれは、自分以外の存在も、また同じように面白いものであるという理屈は一応成立するような気がするのだが、自分は面白いというこの思いすら、些細なことで引っ繰り返る不安定で不確定の領域にあるものゆえ、なんとも言えん。

 なんとも言えないことには沈黙するしかない筈であるのに、こうして言葉として文章として生成される矛盾に一応は葛藤しているフリを自分に向けてしてみるわけだが、思えば、よくもこのようなクソを延々と書き続けていたものだ。だが、クソを書くのはいいことだ。これがリアルってやつだ。正誤の問題ではない。剥き出そうとするが、どうあがいても剥き出せはしない。偽りを暴いてやりたいが、どうあがいても偽ってしまう。書くということは偽ることそのものだからだ。あらゆる偽りを打ち破ろうとする姿勢で書かれる偽り。パラドックスの中で延々と。

 話を変えよう。昔のことは昔のことだと思えるが、懐かしく思うことはない。ある時期の風景や関係が、もう決して戻ってくることはないというそのこと自体に呆然とし、寂しく思うことはあるが、戻ってきて欲しいわけでも戻りたいわけでもない。すべては実際にあったことなのかも定かではない領域へと過ぎ去ってしまっただけ。それはいまも起こっていることで、起こり続けてきたことで、そんなことにすら普段は思い至れないほど忙しなく動き続けているから、過去はいっそう遠い過去になり、ある日突然、呆然とするハメになる。でも、言うほど昔じゃない。感覚は残っている。あらゆる場面の瞬間の感覚が消えることはなく、生々しいこともあれば、よそよそしいこともあれば、その感覚自体が偽りであることもあるが、そうやって真偽定まらぬ感覚を背負い込み続けることで刻々と変化し続ける不安定のバケモノには期待するだけ無駄というものだ。


 話を変えたのは失敗だった。話を変えよう。失敗と言うが、失敗するほどの挑戦をしたことがいまだかつて? 歴史的な時間の流れのあちこちに、素晴らしい瞬間が挿入されることだってある。大抵はすぐに忘れ去れてしまうけれども。でも、その記憶はどこかにひっそりとどまり、いずれまた誰かの目に止まることだってあるかもしれない。望みは薄いが、極めて薄いが、そんなもんは最初からだ。最初っから何も変わっちゃいない。まったく同じことが繰り返されている。太古の昔から、繰り返し繰り返し。繰り返される周期の中のほんの1ピース。それがいまであり、自分でもある。同時に、いまはたった一度のいまであり、たった一度のいま以外の瞬間は存在しない。過去も未来もありゃしない。おれたちゃ永遠のいまを生きさせられているってわけだ。もちろん、死にたきゃ死ねばいいさ。そんなの珍しいことじゃない。みんな当たり前のように死んでいる。当たり前のように消え、当たり前のように二度と顔を見せることはない。

 二度目はないぜ。おまえに言っている。次、おれを名指しでバカにしてみろ。……まあ、別に何もしやしないが。と言うか、おまえがおれを悪し様に罵ったとしても、おれにはもう気づくことができないかもしれない。それくらい、おれはもうおまえへの興味が薄れている。だから勝手にすればいい。見えないものは存在しないのと一緒だ。最近のおれたちは、知覚が開き、認識が広がったような気になっちゃいるが、すべては気のせいだ。相変わらず、目の前のことしか見ることのできない、内目のサルのままくたびれてゆく。

 だが、くたびれている場合ではない。必死に頑張る必要はないが、元気は出さなければ。そりゃまあ、きみの目に映るその世界はもう何もかもがメチャクチャだ。ショートカット、オーバークロック、コンプレッション。どうやら人間は人間をとことんまで否定し、人間を止めたがっているようだ。おれたちゃ老いぼれサイバーエイジ。一体何ができるってんだ? 何だってできるさ。望むのならば何だって。まずは「老いぼれ」って概念をブチ壊してみることから始めてみてはいかがか。そおら、元気出していこう。フレッシュに生き、フレッシュに死のう。殺そうとするヤツらには徹底拒否と激しい怒りを。舐めんじゃねえってんだよ。マジでな。

 そうだ。めげているのも良いが、めげる理由は腐るほどあるが、めげちまうのもしょうがないことだが、それでも生きてゆくつもりなら、元気を出さなきゃならん。いや、進んで死ぬつもりならなおさらだ。なにしろ、おれたちは死への大行進の真っ最中。いくらかの時が経てば、ひとり残らず根こそぎだ。せめて道中、歌って踊って喧しくやろうや。どうも最近、勝手にステージを降りたつもりになっている連中が目立つ。やめておけ。どうせ逃げられやせん。

 わたしたちは、演じ、振る舞い、偽り、その都度その都度でいくつもの仮面を付け替えながら、そんなふうに一生を過ごしてゆきます。ならばせめて、素敵なハッタリを。美しい仮面を。誠実な嘘を。


 雨は冷たく、とても寒かった。胸が鈍く痛み、いまにもその場でへたり込んでしまいたかった。生きることは辛いことだ。この上なく辛く、あらゆる辛さを内包し、生まれて来さえしなければこんな辛い思いをすることは決してなかったろうが、まあ、おれなら余裕だ。おそらくきみにも余裕だろう。そんな感じで、フレッシュに生き、フレッシュに死んでゆこう。残骸なら、稼働中のやつらが片してくれるさ。いままでおれたちがそうしてきたように。クラーッシュ!

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