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プラッチック・ラヴ

 そんなこんなで、また振り出しに戻って、あらゆるスケールで、サイズで、再演される作動活動、そこにかつて振り切ったままの日々の続きを、薄汚れた姿で、卑怯そのものの眼差しで、けちくさい生活を成り立たせんがための、ただそれだけのためだけの、これまたけちくさい仕事を求めて、このあたりを徘徊していた。それもこれも、生まれてきちまったせいだ。生き続けているせいだ。

 何も知らないまま、知ろうともしないまま、どうせ何ひとつ知ることはないのに、それでもあくまで知ろうとすることを望んでいるのは、とにかくラクになりたかたっただけなのだが、結局かろうじて知り得たと言えるのは、ラクになることは不可能であるという事実であった。生きることはどこまでもラクじゃない。ラクとは掛け離れ、断絶され、決して交わることのない活動、それが生きる、もしくは存在するという活動だ。そんなアホらしい活動の中にあって、勝ち誇ることができる憐れなやつだって当然のようにいる。

 やつらは何を信じているのだろう? おそらくは、何も信じていやしないし、何も見えていやしない。自分が生きていることさえ知らないのかもしれない。それでも死だけは人一倍恐れているというのだから、どこまでも憐れなんだ。

 生は死であり、死は生であり、そいつはまったくラクなことじゃない。どこまでいってもだ。笑えることやゴキゲンなことで溢れちゃいるが、気が晴れることはなく、日々肥大してゆく怪しい腫れ物のように、失望や絶望が光を遮っているのを自覚するためだけに、おれは眠り、おれは目覚める。


 何をしていても人間が寄ってくる。立ち止まっていても、寝転がっていても、森の中に入りアカゲラを眺めていたって、ふと気づけば、そこに人間がいやがる。振り切ってやろうと、足早にその場を去る。振り返りたくはない。振り返れば、そこにまだいるのだろう。何かひとつふたつの助言でもしてやりたいってな顔をして。言うべき言葉などは持っていないくせに、何かを言おうとする連中にはもうウンザリだ。かろうじて絞り出してくる助言ったって、どうせ、壊れかけた機械を何本かの輪ゴムで繋ぎ止めて動かそうとするような、おそろしくセコくみみっちい処し方を、さも唯一当然の真理のように説いてくるのだから閉口してしまう。

 そのまま黙り込み、目を閉じ、考えるフリをしながら、この状況をどう切り抜けようか、ただそれだけを考えてはみたが、結局こういう場合には笑顔で、ありがとう助かったよ、ただそれだけ言って、さっさと逃げるに限るようだ。拒否を試みたって無駄だ。連中は拒否を個人的な攻撃だと捉えて、勝手に傷つき、そのお返しだとばかりに猛烈な攻撃を加えてくる。狂っているんだ。善意や好意のつもりか知らないが、いらないものはタダでもいらん。たったそれだけのことがまったく理解できない。狂っている。狂った手でおれに触って欲しくない。だが、おれはベタベタと触られてしまうのだ。きっとおれが魅力的なせいだろう。年を取れば取るほど、どうやら連中の遠慮がなくなってきたようだ。人はある程度の年を重ねれば、刺々しい部分がなくなり、不用意に触れたって噛みつかれることはないと勘違いをしているようだが、決してそうではなく、ただ噛みつくのが面倒になっただけだ。

 あらゆることが面倒になり、それでも不愉快だけがしつこく居残り続ける。そいつを振り払ってやろうとめったやたらに手を振りまわしていたが、そんなことはいつまでもしていられるものではない。いずれ誰もが疲弊し、小さくくたびれてゆく。それすらも気に喰わず、まったくなにもかもが気に喰わない。おれが自己自身であろうと欲するのだってとにかく気に喰わない。惨めさは至るところに、おれの内にも外にも、そこかしこで溢れかえり、まったく気に喰わない光景が目の前に広がり、おれはいっそ自己自身をどこか奥深い地底にでも閉じ込めておきたい。二度と表に出てこないでもらいたいものだ。おれは自分の卑怯さに吐き気がするし、おれ以外の連中の卑怯さにも吐き気がする。笑顔で、ありがとう助かったよ、だなんて……! まったく大嘘もいいところだ!


 最近、気に入っているのはすぐに眠くなるところだ。あれこれと考えていたってしょうがない。眠るに限る。一日の四分の一をすっ飛ばせるのだから、こんなに爽快なことはない。一生を眠って過ごしたって良いくらいだ。とにかく一生なんてものは早く過ぎ去ってもらいたいのだから。どうすることもできない罪の重さに押し潰され、歪んだ醜い顔で救いを懇願するしかない、そんな惨めな生き物はやはり生まれてくるべきではなかった。だが、生まれてきてしまった。生まれてきてしまったからには生きるのだ。たった少しの間だけのこととは言え、生まれてきたなら生きるしかない。どう生きるか、どう死ぬか、なんてのはどうでもいい。生きるしかないから生きるのだ。それならいっそ、ずっと眠っていたいのだが、眠りは勝手に覚めてしまうのだから、もうどうしようもない。覚めなければいいのだ。覚めないものは誰であろうと何があろうとどうにもできないだろう。放っておくしかない。放っておいてくれ。

 停止しながら変化に流され、粘つく速度の中で決して止まらず、それでもきっといつかはすべてが消え去ってくれる。おれはその瞬間を願って止まないのだ。すべてを止め、いっさいを消し、忘却界の彼方に。本当は今すぐにでも止めたいのだが、楽しみが残っているから生きてゆけるとも言える。どうとでも言える。結局は生きてゆくしかないのだから。

 目で捉えたものについて考えることを見ると言うように、生きることを考え続けることが生きると言うのだろう。それは同時に死を考えることであり、おれの人生においてまだ足りていないのは死だけなので、おれの生を完全とするために死を欲するのは、生者としては当然の欲望ではないだろうか。なにしろ終わりがあるのはいいことだ。安心する。プラトンは、なぜそれが終わりだと思う? と、ソクラテスの姿を借りて問うてきたが、おれは、勘弁してくれよ、そう答えた。だが、まあ、死ねばわかるだろう。わからなくたっていい。おれは哲学者ではないのだから、どうせすべてを忘れてしまうだろう。それでいい。


 それでいいのは、まあいいのだが、それでも続くのがドブ臭い生活というやつだ。パンデミックから向こう、多くの人間の頭が変になったまま帰ってきやしないので、人間社会ってやつはこれからますますメチャクチャになってゆくだろうが、それでも、まあ、めげずに生き続けなければならないような気がしてきた。クソみたいな連中の動向に気を煩わせるのはもうよそう。クソはいつまでもクソのままで、それならそれで、もういいじゃないか。良くないと言ったってしょうがない。もはやとっくの昔に修復不可能なくらいにぶっ壊れていたんだ。クソどもが醜悪さや汚らわしさを隠さなくなったからといって、それがどうしたと言うのか。そいつはもちろん最上級に不愉快なことには違いないが、逆に言えば、人類は欺瞞を捨てて正直になりつつあるとも言えるわけで、もしかするとそれは歓迎すべき事態かもしれない。つまり、社交辞令や建前、世間体などは不要なものになり、心置きなくおれたちはこう叫べるわけだ。

 クソッタレどもめ、さっさとくたばれ、地獄に落ちやがれ、このクソッタレども!

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