リリスのダンス
ルシウスの体に入り込んだ棘は茨となって、さらに小さな棘を生やしていく。
「あ゛っ…あ゛ぁッ……!」
ルシウスの口から醜い呻き声が漏れ、美しい顔が苦痛に歪んだ。だが、茨の動きが止まることはない。むしろルシウスの体を這い上がっていくかのように茨は進み、棘がルシウスの体を食い破って体外にまで姿を見せてくる。もはや表現しようもないほどの激痛に、やがてルシウスは悲鳴を上げ始める。
だがそれでも棘は止まらなかった、悶え続けるルシウスにリリスは冷たく言い放つ。
「その棘は、あなた方が今まで苦しめてきた人間の数と思いなさい」
嫌悪感を隠そうともしない、リリスの冷たい一言。しかしルシウスの耳に、その言葉は届いていなかった。父であるフネラル公爵も同様だ、二人は苦痛に悶えるばかりでもはや意味のある言葉も口にできない。それでもリリスはルシウスと公爵に、義弟と血の繋がった父親にゆっくりと語りかける。
「あなた方はご存知ないかしら。フネラル公爵家には悪魔が住んでいる、という噂……『フネラル公爵家領は行方不明者が多く、特に公爵邸から生きて帰った者は誰もいない』とか、『フネラル公爵家はメイドの入れ替わりが激しいのに、公爵家の紹介状を持ったメイドは誰も見たことがない』とか。……問題は、その全てが作り話というわけでもなかったことですわ」
おかげで無関係の私や、私を産んだ母親まで「悪魔」と言われるようになった。
静かに話していたリリスの声音にほんの少し、忌々し気な色が籠る。だがそれは一瞬のことで、次の瞬間にはすっと全ての感情が抜け落ちたような表情を浮かべてみせた。代わりに誰かへ訴えかけるように、右手を広げ赤い唇を開く。
「ある先生はおっしゃったわ、悪魔なんて非現実的な存在を肯定すべきではない。仮にそれを認めるとするなら人間の悪意だ、と。全くもってその通り、フネラル公爵家に悪魔なんていなかった。いたのは悪魔のような『人間』だけ……皆が不気味がる私の深緑色の髪なんて、大した問題じゃなかった。フネラル公爵家を蝕んだのは公爵と公爵夫人に納まったあの女、そしてその息子であるルシウス……そう、お前たちのせい。お前たちのせいで、我がフネラル公爵家は悪魔の巣窟となってしまった……!」
それまでとは打って変わって、抑揚のついたリリスの口調。その言葉に合わせて公爵邸を包み込む炎が、ルシウスと公爵を痛めつける茨の勢いが、より一層激しさを増していく。ルシウスと公爵は引き裂かれるような悲鳴を上げ始めた。それでもなおリリスは、ルシウスと公爵に語り掛けるのをやめない。
「ねぇ、教えて。一体何が楽しかったの? 自分よりずっと弱い立場にいる人間を、一方的に虐め抜くことが。罪もない相手を意味なく虐げ、一挙手一投足に文句をつけることが。他人が深く傷つき涙を流すところを、嘆き苦しんでいるところを見ることがそんなに面白かった? ……わからない、わかりたくもないわ。他人を踏み躙ることを良しとすること、しそれに愉悦を感じること。そのためにわざわざ手間暇をかけることも……あなたたちは悪魔よりよほど醜く、惨たらしい存在だわ」
言い放ったリリスはくるりと一回転し、軽やかにステップを踏み始める。
そのままリリスは、優雅にダンスを踊り始めた。ぴったりと揃えられた指先、揺れるドレスの裾、長い髪の毛の一本一本までもが洗練されこの世の全てを超越した完璧な美を作り出している。泣き叫ぶ人々の声も、フネラル公爵家の地獄のような光景も。全てがリリスの動きに合わせて、華を添えているようだった。
「ゔ……あ゛っ……」
リリスが舞っている間にも、茨はルシウスの体を蝕んでいく。その棘は胴体の辺りにまで突き進んでいたが、臓器は避けているのかルシウスの意識はしっかりと残ったままだった。狂うことも、気を失うこともできない中でルシウスは涙に鼻水、涎まで垂らし始める。美しい顔をみっともないほどに歪めたその姿に、澄ました顔で他人を嬲っていた頃の面影はどこにも残っていなかった。
「……助……げっ、で……!」
悲痛な叫びが響く中で、ふと誰かがそう漏らす。
ルシウスも公爵も、フネラル公爵家の使用人たちも。全員が死を目前にして、藻掻き苦しんでいた。五感全てを使って味わう壮絶な苦痛、その中で燃え尽きようとする己の命。他者に縋り、命乞いするしかない状況に陥るのも仕方のないことだった。
だがリリスはそんなものに耳を貸さない、それどころかこの状況を楽しんでいるかのように微笑みながら舞う。その美しさを褒め称える余裕のある者など、誰もいないのに……それでもリリスは踊り続けた。
「……な……い゛っ……!」
――その声を聞いて、リリスは初めて動きを止めた。
「っだぐ……ない゛……」
茨が喉にまで達し、声すら出せなくなろうとしたその時。ルシウスは瀕死になりながら、必死で口を開いた。
「っじ……っ死にだぐ、ない゛っ……!」
ルシウスはか細い声で、確かにそう呟いた。
それは許しを請う言葉でも助けを求める言葉でもない。生存本能から出ただけの、ただの願望だった。だがリリスは踊りを止め、ルシウスを見据えたかと思うとそっと目を細める。
「――いいわよ」
優しい声で紡がれたその言葉に、ルシウスとフネラル公爵が動きを止める。
リリスは全てを赦す女神のような、柔和で穏やかな笑みを浮かべていた。その美しい顔つきが奇妙な深緑色の髪と、地獄と化したこの状況に異常なまでの違和感を添える。
「もともと、あなたたち親子を殺すつもりはなかったの。言ったでしょう、『簡単には殺すつもりはない』と……だから、殺さないでいてあげる」
リリスが言い終わるが早いか、ルシウスとフネラル公爵の慟哭がフネラル公爵邸に響く。
そうして、フネラル公爵邸の全てが炎に包まれると――後にはたった二人だけが残された。




