リリスとフネラル公爵家
「本当なら我が妻が受けた苦痛を、何十倍にもして返してやりたいところだ。だが、今はお前の顔を見ることすら不愉快……代わりにこのまま、ここで確実に死なせてやる」
さっさと死ぬがいい。
言い捨てるフネラル公爵に、リリスは目を剥くが……それ以上は何もできなかった。体に刺さった矢は、確実にリリスの身体を蝕んでいる。傷口からは血が流れ、指一本でも動かそうとすれば激痛が襲い掛かってきた。止まることを知らない真っ赤な血と共に、白い肌からは生気が失われていく。形の良い唇からは呻き声が漏れ出し、美しかった瞳は視点が定まらなくなっていった。
リリスはもう、死にかけている。その様を満足そうに眺めるフネラル公爵だったが――ふと違和感を抱いた。
通常、刃物などで体を刺された場合は無理にそれを引き抜いてはならないとされている。刺さっている間は凶器そのものが栓となって出血を防ぎ、強引に引き抜けば血管を傷つけ大量出血に繋がる可能性もあるからだ。
だが、今のリリスは矢が刺さったままであるにも関わらずあまりに血が流れすぎている。それどころか、傷口だけでなく目元や額からも血が流れてきているようだ。
「姉上……?」
リリスの最期を一目見ようと、屋敷から飛び出してきたらしいルシウスが戸惑いがちにそう呟く。
しかし、リリスの異常は止まらず――それどころか出血がどんどん酷くなっていった。やがてその血の勢いによって、体に刺さっていた矢が内部から押し出されポロポロとリリスの体から外れ落ちていく。それでもなお、リリスの血が止まることはなく――やがてリリスの顔と全身が血に包み込まれた。異様な光景を前に思わず立ち上がるフネラル公爵に、硬直するルシウス。
だが、大量の血液に包まれたリリスはそのままふらりと立ち上がると――全ての血が体の中へと戻っていき、何事もなかったかのようにその場で佇んでみせた。あれだけ刺さっていたはずの矢は全て押し返され、傷跡すら残さずに消えている。それどころか、身に着けていた服も薔薇の装飾をふんだんにあしらった豪華なドレスへと変わり……真っ赤な唇は、妖艶に弧を描いた。
「許さない。あなたたちだけは、絶対に」
微笑みと裏腹に、はっきりと告げられたその言葉には明確な敵意が感じられる。揺るぎない憎悪、ここにある全てを塗り潰してしまおうという覚悟、そして――自らの負の感情を隠そうともしない、剥き出しの殺意。それがリリスの全身から放たれ、フネラル公爵家の空気を穢し染み渡っていくようだった。その禍々しさに、先ほどまで勝利を確信していたはずのフネラル公爵が後ずさる。
だが、その足元がぬかるんでいることに気づきすぐに足を止めた。
リリスから流れ出た大量の血が、フネラル公爵家の地を染めている。赤黒いそれはリリスの血が止まったにも関わらず、いつまでも広がり続けていた。思わず足を上げ、避けようとする公爵だったが――地面から伸びてきた、茨のようなものに絡めとられて動けなくなった。
「ゔっ……!?」
公爵の足に巻き付いたそれは先ほど、リリスの全身を包み込んだ血と同じ色をしていた。鋭い針は足を貫き、動こうとすればするほど深く突き刺さっていく。藻掻き、苦しむ公爵の後ろでは同じように動けなくなったルシウスがいた。焦り始める二人を前に、リリスはまず公爵に近づく。その手には、自分に刺さっていたはずの矢が握られていた。
「っやめ……!」
何をされるか、凡そ想像がついたのだろう。公爵は口を開こうとするがそれより先にリリスが矢を思い切り公爵の顔に突き刺す。右目玉を狙ったそれは、正確に眼球を抉り公爵は野太い悲鳴を上げた。
「たった一本で、ずいぶんと大袈裟なこと」
あなたから賜った贈り物は、まだまだこんなものではないのに。
そう告げるリリスの後ろで、地面から次々と血でできた茨が伸びてくる。それはまるで、地獄を抜け出そうとする死者が我先にと手を伸ばしているようで……その先端にはリリスを狙って放たれた、矢がしっかりと握られている。
「お返ししますわ」
リリスの言葉と共に、全ての矢が公爵に向かって勢いよく打ち込まれる。弓で射られたそれと違い、茨の矢は念を入れるように四方八方から公爵の体を貫いた。
「ぅぐっ、があ゛あ゛あ゛ああぁっ!!!!!!」
耐え難い激痛に公爵は、彷徨わせるように腕を上下させる。だが公爵の全身は何かで固定されたかのように動かず、リリスはその手を叩き落とすと――今度はルシウスの方へと向かった。
「……僕にも同じことをするつもりですか? 姉上」
さすがのルシウスも、足に巻き付いた茨は痛むらしくわずかに表情を陰らせている。それでも父親ほど取り乱したりしない彼に、リリスはくすりと笑ってみせた。
「そうね。でも……その前に、全てを終わらせないと」
その言葉と共に、ルシウスたちの背後から轟音が鳴り響く。
振り向けば、フネラル公爵家の屋敷が業火に包まれていた。中からは使用人たちの絶叫が響き、さながら地獄のような光景を繰り広げている。だが咲き誇る薔薇のような炎は、誰も逃すまいと燃え広がり……もはや誰も助からないだろうと察したルシウスはそのまま、リリスの方に向き直った。
「フネラル公爵家を終わらせるつもりですか? そんなことをして何になるんです」
足を固定する痛みに耐えながら、ルシウスは続ける。
「どう足掻こうと公爵令嬢リリム・フネラルが苦しみ抜いて、自害した事実は変わらない。あなたの母親はもう帰ってこないし、フネラル公爵家を取り戻すこともできない。むしろ僕と父上、そしてフネラル公爵家の屋敷まで消してしまえばもうフネラル家を名乗る者すらいなくなる……」
そんな無意味な復讐の果てに、何を望むつもりです?
問いかけるルシウスは、この状況にも関わらずまだリリスを嘲り笑っていた。そんな彼を、リリスはじっと見据える。
「そうね。私や私の母が愛したフネラル公爵家は、もう存在しないし帰ってこない。でもそれは、あなたたち親子がいても同じこと……なら私は、自分の恨みを晴らす。誰のためでもなく、私自身のために。憎み、呪い、地獄へ落ちることを願った相手を……私は絶対に許さない……!」
リリスの言葉と共に、ルシウスを絡めとる茨の力が強まる。
「づっ……!?」
ルシウスの足に食い込んだ茨の棘が、皮膚を突き破り体の中へと入りこんでいく。それは細い針金のように、ルシウスの体内を強引に進んでいき想像を絶するような痛みをもたらした。
「あなたたち親子に協力した使用人たちは皆、ここで灰燼に帰す。ただし、あなたとあなたの父親は簡単には殺すつもりはない」
リリスの一言は、大勢の人間が唸り泣き喚く中で一際はっきりと聞こえた。




