ルシウスと少女
リリスはルシウスが思った通りの動きをしてくれた。
差し出した母をリリスが嬲り殺しにしている間、ルシウスは馬を走らせた。可能な限り早く、駈歩で別荘を離れると今度は馬車に乗る。そんなことを繰り返し、ルシウスが向かったのはフネラル公爵家の本邸だった。
「どうなさったんですか、ルシウス様。それに奥様は……」
目を見開き、戸惑った様子の使用人にルシウスは「父であるフネラル公爵と話がしたい」と命令する。その理由の説明はない、とにかく早くしろとしか言わないルシウスに使用人は慌てて走りだす。その間にルシウスは自室で「資料」の準備を始めた。
リリア、リリカについて記されたカインからの手紙。北の療養所に赴き、面会した時のイアンの様子。使用人がルシウスを呼びに来ると、それらを全てまとめ執務室へ向かう。ドアをノックし、入室すれば打――ルシウスの、そしてリリムの父親であるフネラル公爵が机に座っていた。
凛々しく、厳つい顔つきではあるがどことなくリリムに似たところもある美丈夫。そんなフネラル公爵に向かい、ルシウスは「落ち着いて聞いてください。にわかには信じがたいお話ですが……」と話し始める。
イアン元王太子とその取り巻きたちの死、その裏でリリムそっくりの少女が目撃されていたこと。そして今日、「リリス」を名乗る少女が自分たち親子の前に現れ――ルシウスの母が無残にも命を奪われたこと。
「母上は僕を逃がすために、身を挺して僕を庇ってくださいました」
ルシウスがそう断言すれば、フネラル公爵の顔が忌々し気に歪む。
「出来損ないの娘め、よくも私の妻を……!」
「このような行い、許されるはずがありません……それに、次に狙われるのはきっと僕と父上です」
これ以上、フネラル公爵家の名に泥を塗られるわけにはいきません
何の迷いもなく、平然と言ってのけるルシウスにフネラル公爵も頷く。
「ならば、私たちでそのリリスと名乗る女を葬ってやろう。もう二度と舞い戻ってくることのないよう、徹底的に」
怒りを露わにしながら、それでもフネラル公爵は――ルシウスに似た嗜虐的な笑みを浮かべた。
◇
ルシウスが母を犠牲にし、必死に公爵邸へと向かっていた頃。方向こそ別だが、あの少女――リリルの手足を切り落とし、リリスの命令を聞いた少女もまた別荘の敷地内を走っていた。
生垣の隙間にある、辛うじて人が通れるくらいの藪の中。一般の使用人は存在すら知らないだろう、「道」とも呼べない細い道。それを必死に進んでいれば、薔薇の茨や他の木々の枝で少女の体に切り傷ができていく。だが少女は止まらなかった、ただひたすらに足を動かして少女は別荘を目指す。
やがて別荘の裏口が見えるとそっとその扉を開き、中に誰もいないかを確認した。
――別荘とはいえ公爵家の館、しかも今はルシウスと公爵夫人が滞在している。それなのに扉に鍵がかかっていない、それどころか使用人の一人も屋内にいない。その状況は明らかに不自然だったが、少女は構わず別荘の中に入り……静かに、だが素早く廊下を駆けていく。
少女の足取りに迷いはなかった。頭の中には向かうべき場所、リリスに「命令」された道筋が記憶されている。その通りに進み、ある部屋の前まで来ると――少女はノックもせずに扉を開き、室内を見渡した。手入れが行き届いていないのか、全体的に薄汚い部屋。あるのは机と本棚だけだ。
「この部屋が……」
呟いた少女は本棚に近づき、一番下の棚から本を取り出していく。だが目当ては本ではようだ、空になった本棚の奥に顔を突っ込み、目を凝らせば小さな取っ手らしきものが見える。少女はそれを、隠し棚のつまみを躊躇いなく引いた。
中に入っていたのは小さめの花瓶だった。少女がその中に、おそるおそる手を入れれば紐のようなものが当たる感触がある。
その瞬間、少女の脳裏に流れ込んでくるものがあった。
――リリム・フネラルはその日、王立学園の図書室にいた。
机につき、静かに勉強していた彼女だがそこに「おい」と声をかけてくる者たちがいる。リリムが顔を上げれば、同じ制服を着た集団――婚約者であるイアンと彼に寄り添うアナベル、その二人を両脇から守るように聳え立つカインとエドガー、四人とリリムを観察するように一歩下がった場所にいるルシウスがいた。
「リリム・フネラル。どうしてお前はそう、僕を不快にする」
「……一体何のことでしょう」
不躾に尋ねてくるイアンにリリムは穏やかに返す。内心うんざりしているが、それを表に出すようなことはしない。あくまで美しく、淑女らしい態度を崩さない彼女にエドガーは「とぼけるな!」と怒鳴り散らした。
「お前は、イアン様と懇意のアナベルが疎ましくてアナベルのノートやダンス練習用のドレスを破り捨てただろう。アナベルは泣いていたぞ、公爵令嬢のくせになんと卑劣なことを……! 女とはいえこのような行い、騎士として許せない!」
強く拳を握りしめ、今にもそれを振り上げそうな勢いのエドガー。学園ということで剣こそ下げていないものの、あったならば今すぐでもリリムに斬りかかりそうなほどだ。騎士であるエドガーが声を荒げ、凄んでみせればそれだけで聞いている方は恐怖を感じる。既に図書室に居合わせた、無関係な学生たちは青ざめた顔で成り行きを見守っていた。リリムにとっていつものこと、だが決して慣れることはないこの状況――それでもリリムは背筋を伸ばし、赤い唇をそっと開く。
「申し訳ございませんが、私リリム・フネラルはそのようなことをただの一度も行っておりません。恐れ入りますが、どなたか別の方がなさったのではないかと……」
「いいえ、犯人はあなたしかありえません」
今にも爆発しそうなエドガーを制し、今度はカインがリリムの前に出る。
「破られたアナベルのドレスには、あなたのものと見られる長い黒髪が付着していました。ノートを捨てられた日には、あなたがアナベルのいる教室に出入りしているところを目撃した生徒がいます。それに、『あなたが日頃からアナベルに暴言を吐いていた』ということも大勢の生徒が証言している……言い逃れは、できませんよ」
恐ろしいほど真っすぐな目でそう告げるカインに、リリムは心の中で呆れ返る。
リリムは確かに美しい黒髪の持ち主だ。だが黒髪の令嬢はリリム以外にも大勢いる、数本程度であれば他所から入手することも可能だろう。同じ学園にいるのだから、同じ教室に出入りすることがあるのは当たり前だ。証言をしたという、「大勢の生徒」とは一体誰のことなのだろう。アナベルの傍にはいつも取り巻きの誰かがいるので、リリムと二人で話す機会など全くないのだが……一つ一つ、指摘していくことは可能だろう。だが涙声のアナベルによって、それは阻止された。
「リリム様が、私を気に入らないことはわかっています。でも……事あるごとに私を睨みつけてきて、酷いことを言ったり物を壊したりするのは止めてほしいです。私は何度も申し上げていますよね? ただイアン様たちと、仲良くしたいだけだと。なのに、なのにどうして……」
わざとらしい演技は、第三者が見れば実に白々しいとわかるだろう。だが渦中にいる者たち――その中心であるイアンはそれに気づかない。
「リリム、お前は存在するだけで目障りな女だ。その深緑色の髪も、『公爵令嬢』ということを鼻にかけた態度も、全てがおぞましく気色悪い。その上、僕の愛する人まで害するとは何様のつもりだ? 王家に纏わりつく汚らわしい害虫め、なぜ生まれてきた? なぜ厭われるような行動しかできない? お前に、何の価値がある?」
威圧的に語り掛けるイアンは、リリムに反論の余地を与えない。それでもなお、アナベルの取り巻きたちはリリムを一方的に責め立てていく。後ろに控えているルシウスはたまに「イアン様のおっしゃる通りです」などと口を挟むだけで、リリムに冷ややかな目を向けていた。今朝がた、たまたま廊下で鉢合わせしたという理由だけで継母に激怒されたことを家族である彼は知っているはずだが……理不尽な言いがかりをつけてくるイアンたちに、リリムは耐え忍ぶことしかできない。
王家もフネラル公爵家も、学園の生徒も使用人たちも。彼女の味方はどこにもいないのだ。だからリリムは一人でこの状況に歯を食いしばる。
どんなに傷つき、苦しみ、涙を流したとしても――リリムは打ち震える以外の選択肢がないのだ。その状況に、リリムはただ絶望していた――
「あっ……あっ……」
リリムの日常を追体験した少女は、手に触れた紐――生前のリリムの、深緑色の髪を編み込んだ一房を握りしめる。
気づけば少女の瞳から、涙が溢れていた。それはリリルを前にした時のような、恐怖から来るものではない。リリムの苦痛と絶望の一端、それを味わったことによりもう少女からは恐れが失われていた……どこか冷静になった少女は花瓶の中を探り、もう一つの物体を確認する。
リリスの指示通りのものが、そこにあったことを確認すると――少女は急いで花瓶を持ち去った。
『別荘の、かつてリリムの部屋だった場所に隠された花瓶とその中身を王家に届ける』
そのリリスの命令を、少女は忠実に実行へと移した。
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