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一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第一部 八千円から百万円

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8/42

あの子に頼めば直る

 手を売る、というのがどういうことか、俺には最初よく分からなかった。


 分かったのは、矢島の母親から電話が来たときだ。団地の別棟に住んでいてうちの母とは棟の役員で一緒だった人だ。うちに電話が来ること自体月に一度もない。


「拓実くん、機械詳しいって圭が言ってたけど。三号棟の澤田さんが困ってるのよ」


 矢島が何をどう言ったのかは分からない。たぶん「新聞配ってる」のどこかが、勝手に変換されたのだと思う。この団地では、情報は正確さを失いながら速く伝わる。


   ※


 三号棟の三階。澤田さんは七十二歳でひとり暮らしだった。


 部屋に入ると、畳と古い木の匂いがした。奥の六畳に机があってその上に灰色のデスクトップが載っている。もう十年は前の機種だ。横に使っていないプリンタと、封の切られていない年賀状の束が積んであった。


「電源は入るんだよ。でもそこから先に行かない」


 俺は電源ボタンを押した。ファンが回って、黒い画面に白い文字が出て、そこで止まる。


 ノアに症状を打った。四分。


『三つ、順に確認してください。一つ、内部の埃。二つ、電源からマザーボードへのケーブルの緩み。三つ、記憶装置の空き容量』


『順番が重要です。可能性の高い順ではなく、確認にかかる手間が少ない順です』


 俺は側面の蓋を開けた。埃が綿のように詰まっていた。


   ※


 直った理由は拍子抜けするほど単純だった。


 埃と、緩んだケーブルと、いっぱいになったディスク。その三つだけだ。魔法でも何でもない。ノアは十年後の知識を一つも使っていない。ただ確認する順番を間違えないだけだ。


 俺がやったのは、掃除機の先にストローをつけて埃を吸い、ケーブルを挿し直し、いらない写真を外付けの媒体に移したこと。二時間半かかった。そのうち二時間は掃除だった。


 澤田さんは写真のフォルダが開いた瞬間に、少し黙った。


 亡くなった奥さんの写真だと、あとで矢島の母親から聞いた。俺はそのとき何も知らずに「これ、消していいやつですか」と訊いていた。澤田さんは「いや」とだけ言って、それから何も言わなかった。


「三千円って言ってたけど、これ、安すぎるよ」


 澤田さんは四千円を出そうとした。俺は三千円だけ受け取った。ノアがそう言ったからではない。四千円受け取ったら、次から四千円が相場になる。それくらいは俺の頭でも分かった。


   ※


 押し入れに戻って俺は数字を並べた。


 仕入れ、ゼロ。在庫、ゼロ。名義、不要。年齢、訊かれない。支払い、現金。


 これがモノを売るのとの違いだった。原価がゼロだから、入った金はそのまま次の機材になる。売れ残るということが、そもそも起きない。


『あなたが売っているのは時間と手間です。どちらも、法律が未成年から取り上げていないものです』


「じゃあ最初からこれを言えよ」


『あなたは、自分の名前で商売がしたかった。手っ取り早い方法を最初に提示していたら、あなたは納得しないまま従っていたはずです』


 俺は返事を打たなかった。


 二十点の在庫は、まだ押し入れの隅に積んである。四千円分の売れない荷物。あれがなければ、俺はいま澤田さんの家に行っていない。そういう納得のさせ方をされた、ということだけが分かった。


 納得させられたことに気づいているのに、それでも納得しているというのは、妙な感じだった。


   ※


 二軒目はその週のうちに来た。四号棟の印刷が出ないという家。


 ノアが言ったとおり、インクではなく紙送りのローラーだった。ゴムが硬くなっていたので、拭いて少しだけ紙やすりをかけた。十五分で終わって二千円もらった。手間と報酬が釣り合っていない気がして、俺は落ち着かなかった。


 三軒目は五号棟。孫が使っていたノートパソコンが起動しない。これは電源のアダプタが断線していて、部品取りの二台目から同じ規格のものを持っていった。3,500円。


 あの3,800円の二台が、ここで一度、元を取った。


   ※


 四軒目で俺は初めて断った。


 二号棟の家でテレビが映らないという話だった。行ってみると、テレビではなく、建物側のアンテナの問題だった。俺が触っていいものではない。


 「管理のほうに言ってください」と言ったら、その人は少し不服そうな顔をした。来てもらったのに何もしないのか、という顔だ。


 俺は交通費も取らずに帰った。帰りながら、ノアに打った。


「断るのって、損か」


『損です。ただしその場だけです』


『直せないものを直したふりをすると、次から全部が疑われます。この団地は噂が回るのが速い。速い場所では、失敗も同じ速さで回ります』


 速さは、両方に効く。それは分かった。


   ※


 値段はだんだん決まっていった。


 起動しないのを直すのが三千円。印刷が出ないのが二千円。データを移すのが二千円。写真の整理まで頼まれたら、五千円。


 決めたのは俺ではない。最初の三軒が払った額が、そのまま相場になった。澤田さんから三千円だけ受け取ったことが、この団地の全体の値段を作っていた。


 もしあのとき四千円受け取っていたら。


 その差が、五棟ぶんの依頼が溜まるころには二万円近くになる。俺はその計算を、ノアにさせなかった。自分で紙に書いた。書いてみて、鳥肌が立った。


 最初の一回に何をいくらで受けるかが、その後の全部を決めている。二十六年生きて、俺はそういう一回を、何度も何も考えずに通り過ぎてきたはずだった。


   ※


 給水塔の下は、団地でいちばん噂が回る場所だ。桜が終わって、まだ蚊が出る前の洗濯を干しに出る時間帯。


「405の早坂さんとこの子、機械直すんだって」

「あの子に頼めば直るよ」


 俺の知らないところで、俺の値段が決まっていった。


 掲示板に貼った三行の紙は、もう剥がしていた。剥がしても、依頼は減らなかった。紙より、給水塔の下のほうが速い。三十年かけて母が作ってきたのは、こういう速度のことだったのだと、あとになって思う。


 五月の終わりに俺は数えた。


 五棟ぶんの依頼が、返事待ちのまま溜まっている。土日だけでは回りきらない。夕刊配達を休むわけにはいかない。押し入れの機材は、夜しか動かせない。


 時間が足りない、と初めて思った。


 そう思った瞬間に、いちばん最初の一行を思い出した。


 時間が足りません。まず、電気を。


── STATUS ──────────────

早坂 拓実/15歳(高1)

資金   9,645円

演算力  0.003/100

動産   格安スマホ、ジャンクノートPC×2

     精密ドライバーセット、外付け記憶媒体

     (在庫:売却不能のまま)

────────────────────────


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