絶版の棚
ひと晩かけて出てきたのは、二百行の表だった。
中古の相場に歪みがある。ノアはそう書いていた。同じものが、店によって、地域によって、時期によって違う値段で売られている。そして買い取る側の値段は、売る側の値段ほど動かない。
『安く買える場所と、高く売れる場所が、自転車で行ける範囲にあります』
言われてみれば、当たり前の話だった。当たり前のことが、二百行の表になって目の前に並ぶと、別のものに見える。俺が十八年住んでいた範囲に、値段の段差が何十箇所もあった。見えていなかったのは、測っていなかったからだ。
※
狙うものは二種類だと、ノアは言った。
一つは中古のゲームソフト。特定の時期に出た本数の少ないもの。この年の夏に続編が出る予定のもの。もう一つは専門書。絶版になっていて、図書館にしか置いていない種類のもの。資格試験や実務で使う本。
『どちらも、需要が消えないのに供給が増えません。歪みが大きいのはそこです』
読みたい人間は必ず一定数いて、その一定数は値段をあまり見ない。そういう説明のされ方をすると、俺にも理屈が飲み込めた。
俺は自転車で環状の国道沿いを端から端まで回った。土曜の朝から夕方まで。坂を三つ越えて、二駅先の乗り換えができるほうの駅まで出た。
ワゴンの底を一枚ずつめくって、背表紙を端から読んで、型番をノアに打ち込む。四分待って次を見る。四分は長い。だが待っているあいだにもう一台の棚を見れば、四分は消える。前の人生の派遣先でも、俺はそうやって時間を潰していた。潰し方だけが上手くなっていた人間が、いま、潰さない使い方を覚えている。
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一軒目は、環状の国道沿いの家電とおもちゃと本を一緒に置いている店だった。
ゲームソフトのワゴンは入り口のすぐ横にある。二百円と三百円と五百円の札が立っていて、中身は混ざっている。値段は札ではなく、一本ずつ貼られたシールで決まっていた。
俺は端から抜いて、裏を見て、型番を打ち込んだ。四分待つあいだに、隣の棚の背表紙を読む。四分経ったら戻って次を抜く。三十本見て、二本買った。
二本しか買わなかったのは、ノアが残りの二十八本に「該当しない」と返したからだ。
『相場が高いのは、供給が止まっているものです。中古で流通している本数が多いものは、値段が下がり続けます。棚にたくさんあるということは、その市場に本数が多いということです』
棚に並んでいる量が、そのまま「買ってはいけない理由」になる。言われるまで、まったく逆に考えていた。たくさん置いてある店はいい店だと、俺は思っていた。
※
二軒目は二駅先の古本屋だった。
こっちは専門書だ。店の奥の背の高い棚。建築、電気、簿記、危険物。誰かが資格を取るために買って、取り終わって手放した本が並んでいる。
値段の付け方が店によってまるで違った。この店は厚さと状態で決めているらしい。中身で決めていない。だから、十年前に出て、いまは絶版になっている本が百円の棚に入っていた。
俺は八冊のうち五冊をこの店で見つけた。
レジの主人が俺の持っている本を見て言った。
「学生さん、これ、読むの?」
「……はい」
「積算やるなら、そっちの棚の新しいやつのほうがいいよ。こっちは載ってる値段が古いから」
俺は「ありがとうございます」と言って、その古いほうを買った。
主人の言っていることは正しい。実務で使うなら新しいほうがいい。だが俺は読むために買っていない。読むために買う人がどこかにいて、その人がこの本を探しているから買っている。
この二つはまったく違う商売だった。俺は嘘をついたわけではないが、本当のことも言わなかった。店を出るとき、少しだけ背中が重かった。
※
三軒目と四軒目は坂を二つ越えた先だった。何も買わなかった。
何も買わないというのが、いちばん難しかった。三時間かけて坂を越えて、手ぶらで帰るのは、無駄足に見える。無駄足に見えると、つい何か買いたくなる。
『買わなかった時間は、損失ではありません。値段の地図が一枚ぶん埋まっています』
その一行で俺はペダルを漕ぎ直した。この相手はこういうときだけ、妙に人間の慰め方を知っている。
夏の夕立が来るのが早い土地だ。四軒目を出たときには、西の山のほうに雲が立っていた。俺は降られる前に坂を下った。
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夕方までに十二本と八冊が集まった。
ゲームソフトは一本二百円から四百円。専門書は百円の棚から拾ったものが多い。いちばん高かったのは、十年前の建築の積算の本で、八百円した。全部で3,980円。
手元に残ったのは、645円だった。
ノアの表によれば、これが12,000円から15,000円になる。三倍。八千円を作るのに三週間かかったことを考えると、笑いたくなるような数字だった。
※
その夜、俺は押し入れの中で紙袋を数え直した。
十二本と八冊。一つずつ、汚れを落として、値札のシールをドライヤーで温めてはがして、乾いた布で拭いた。ケースの中に髪の毛が一本入っているのを取り出したとき、自分が少し楽しんでいることに気づいた。
前の人生で俺は何かを手入れしたことがあっただろうか。
部屋も、服も、体も、全部、壊れるまで放っておいた。壊れたら諦めた。諦めるのが早いことを、自分では身の程を知っていると呼んでいた。身の程というのは便利な言葉で、あれを使っているあいだは、自分が何も選んでいないことに気づかずに済む。
いま、俺は150円で買った本の角を指で伸ばしている。
これが売れたら、次は何を買うか。ノアの階段の二段目は何か。俺はその夜、そんなことばかり考えていた。
『明日、確認しておきたいことがあります』
画面にそう出ていたのを俺は見た。見てそのままにした。四分待つのが惜しかったからだ。明日になれば分かる、と思った。
この一行を思い出すのに、俺は二日かかることになる。
日曜の朝。母は九時に出ていった。日曜のランチは混む。
俺は自転車の前かごに紙袋を二つ積んで、荷台に一つくくりつけた。坂を下って、二駅先の乗り換えができるほうの駅まで。行きは下りだから、二十分で着いた。
買取カウンターのある店は十時に開く。
九時五十分に着いて、俺はシャッターの前で紙袋の口を何度も折り直していた。
── STATUS ──────────────
早坂 拓実/15歳(高1)
資金 645円
演算力 0.003/100
動産 格安スマホ、ジャンクノートPC×2
中古ゲームソフト12本、専門書8冊
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