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一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第一部 八千円から百万円

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4/50

濡れタオル

 三日目に端末が熱で落ちた。押し入れの中で長い質問をひとつ投げて返事を待っているあいだのことだった。画面が急に暗くなって、触っても反応しない。背面を握ったら、指を離すくらい熱かった。


 三十分ほどして勝手に立ち上がった。画面の一行目にこう出ていた。


『連続稼働は避けてください。私は、熱で死にます』


 死ぬ、という言葉をそれは平気で使う。人間が使うと大げさになる言葉を、この相手は正確な意味でだけ使う。そのことに慣れるまで、俺はしばらくかかった。


   ※


 台所の冷凍庫には保冷剤がたまっていた。母が食堂から持ち帰る惣菜に、房子さんがいつも一つ入れてくれる。使わないまま奥で凍りついているのが、数えたら十一個あった。


 二つ持ち出してタオルで巻いた。端末の下に一枚、上に一枚。結露するので、あいだに新聞紙を挟む。三十分ごとに入れ替えれば、落ちなくなった。ついでに押し入れの中を作り直して、段ボールを切った台の下に隙間を空け、空気が抜けるようにした。


 扇風機は使えない。音が襖の外に漏れて、母に気づかれる。


 三日後に母が冷凍庫を開けて「保冷剤、減ってない?」と言った。俺は「捨てた」と答えた。母は「ああ」と言って、それ以上何も訊かなかった。たいした嘘ではない。ただ一度つくと次が軽くなる。


 結局、俺がやったのは冷やして、風を通して、待つことだけだった。二十六年生きて身についたことの中で、いちばん役に立ったのがそれだというのは、笑っていいのか分からない。


『それで十分です』とノアは言った。『私の側でできることは何もありません。この機械には自分の温度を下げる手段がない』


 十年後から来たという知性が、押し入れの中で濡れタオルに巻かれて冷やされている。その絵の間抜けさに、俺はこのとき一度も気づかなかった。


   ※


 夕刊配達が始まった。販売店で渡された地図には、赤い線で順路が引いてあった。120部。団地の五棟と坂の下の一戸建てが三十軒ほど。


 自転車の籠は大きいのに替えてあった。面接のとき言われたやつだ。替えてみて初めてあの助言の意味が分かった。籠が小さいと、束を二回に分けて積むことになる。二回に分けると、この坂を二度上がることになる。


 三十秒で終わった面接の男は、たぶんそれを何百人ぶんも見てきている。一度しか言わないのは、一度で分かる人間しか続かないからだ。


 初日は一時間四十分かかった。四日目に一時間を切った。指先が真っ黒になって、石鹸で洗っても爪のあいだが灰色のまま残る。雨の日はビニールをかける手間で十五分伸びた。


 母が俺の手を見て何か言いかけた。それから言わずに味噌汁をよそった。給料は月末締めの翌月払いだ。この手の黒さはまだ一円にもなっていない。


   ※


 金属が高い、とノアが言った。


『いま、銅とアルミの相場が高い状態にあります。2013年のこの時期は、特に。理由は世界の側の事情なので、私には粗くしか出せません。ただ高いという方向は確かです』


「それで」


『粗大ごみの日に、団地から何が出るかを考えてください』


 俺は考えた。壊れた扇風機。古いラジカセ。使わなくなった電気ストーブ。中にモーターと、コードと、放熱板が入っている。銅と、アルミと、鉄だ。


「拾ってこいってことか」


『違います。買ってはいけません。もらってください。二度目です』


 二度目だった。三日前にも同じことを言われている。あのときは意味が分からなかった。今は分かる。


 集積所に出されたものを勝手に持っていくのは、自治体によっては条例で禁じられている。出す前のまだ持ち主のものであるうちに、持ち主から直接もらう。それなら誰にも文句を言われない。


 問題は、どうやってその十分前に居合わせるか、だった。


   ※


 俺は団地の掲示板に紙を貼った。紙は、大杉印刷の店先に積んであった裁ち落としをもらった。ついでに「ボールペンより鉛筆のほうが読みやすい」と言われて、試したら本当にそのとおりだった。


 書いたのは三行だけだ。


 粗大ごみ、出す前に声をかけてください。

 四階まででも運びます。無料です。

 405号室 早坂


 母の名前を出さなかったのは、説明したくなかったからだ。「早坂」とだけ書けば、母のことだと思う人と、息子のことだと思う人が半々になる。この癖は、もっと後になって俺の首を絞めることになる。


 最初に声をかけてきたのは、五号棟の三階の人だった。壊れた電気ストーブと動かない掃除機。エレベーターのない階段を二往復して、五月なのに汗が背中を流れた。


 運び終わって俺は言った。


「中の部品、もらっていいですか」


 その人は不思議そうな顔をして、それから「持っていきな」と言った。理由は訊かれなかった。この団地の人は、本当に、誰も理由を訊かない。訊かないというのは、関心がないのとは違う。訊いたら答えなければならなくなることを、みんな知っているだけだ。


 三号棟のおばあさんは、運び終わったあとに麦茶を出してきた。断るのも面倒で、玄関の上がり框に座って飲んだ。十分で終わる話が三十分かかって、俺は少し焦った。焦ってから焦っている自分に気づいた。前の人生の俺には、焦るほどの予定が一つもなかった。


   ※


 工具は、粗大ごみから出たドライバーセットを研いで使った。刃先が潰れていたのを、砥石で二時間かけて立てた。買えば1,200円のものが、二時間で手に入る。二時間のほうが安いというのが、いまの俺の相場だった。


 ノアが分解の手順を出す。俺の手がそれを実行する。モーターを割って銅線を取り出し、放熱板のアルミを外し、鉄と分けて袋に入れる。一台あたり四十分。慣れると二十分になった。


 二十六年生きて身についたのは、これだった。指示された作業を、黙って、正確に、速くやること。前の人生では、それは手取り14万円にしかならなかった。同じ手が、いまは押し入れの中で機械を割っている。


   ※


 土曜と日曜と、配達に出る前の一時間。三週間続けた。掲示板の紙を見て声をかけてくる人は、週に二、三人だった。断られたことは一度もない。


 三週間で家に持ち込んだ袋は二十七個になった。押し入れの隣に積んでおいたら、母が何も言わずに新聞紙を敷いてくれていた。


 環状の国道沿いの回収業者は、三度目から俺の顔を覚えた。計量の針を見ながら、事務所の男が言った。


「兄ちゃん、銅だけ別にしてきな。混ぜると安くなる」


 次の週から俺は袋を三つに分けた。それだけで同じ量が二割高くなった。誰も教えてくれなければ一生知らないことだった。ノアの記録にもたぶんこれは載っていない。あの人が四十年やって覚えたことは、どこにも書かれていない。


   ※


 部活の勧誘は、四月の終わりまで続いた。


 断る理由は「バイトあるから」で通した。本当の理由は、シューズとユニフォームとスポーツ保険で、最初に15,000円かかることだった。


 15,000円がどれくらいの重さかを、俺はその月末に正確に知った。


   ※


 五月の第二週。缶の中と、封筒の中と、財布の小銭を、畳の上に全部並べて数えた。二度数えて、同じ数字になった。


 八千円。


 俺は押し入れの中で一度だけ声を出した。


『では、行きましょう』


── STATUS ──────────────

早坂 拓実/15歳(高1)

資金   8,445円

演算力  0.0004/100

 応答8分・1日3問

動産   格安スマホ、充電ケーブル

     保冷剤、濡れタオル、ドライバーセット

     夕刊配達(翌月払い・未入金)

────────────────────────


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