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一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第二部 電気と熱と、父

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社名は母が付けた

 会社を作ると決めたのは、四月に入る前だった。


 理由は夢ではなかった。制度だった。


 俺の所得は、このままいくと、来年度の限度額をまた超える。超えれば母の側が削られる。二年前の38万円の壁と構造は同じだ。違うのは、額が一桁増えていることだった。


『法人を作れば、個人の所得と切り離せます』


『あなたが受け取るのは役員報酬だけになり、その額はあなたが決められます。残りは法人に残る。法人の利益は、お母さまの扶養の判定にも、家賃の算定にも、手当の判定にも入りません』


   ※


 二年前の一行がそこで戻ってきた。


 自分の名前で売れないなら、売れる人の隣に立てばいい。


 畑中建設の許可証を借りたときと、やっていることは同じだった。名義が要るものは、名義を持っている側を作る。今回は、隣に立つ人を探すのではなく、隣を自分で作る。


『その考え方を覚えておいてくださいと申し上げました』


「覚えてるよ」


『2013年7月21日です』


 この相手は俺が自分で思いついたと思っている考え方の日付を持っている。


   ※


 未成年の取締役については三日調べた。


 なれないわけではない。だが、登記の実務で親権者の同意書が要る。銀行口座を作るときに説明が要る。契約のたびに説明が要る。要は全部の場面で一手間増える。


 代表は母にした。


 母を代表にすると決めたとき、俺は自分に二つの説明をした。一つは手続きが速いこと。もう一つは、母の名前があったほうが、この十メートルで通りがいいこと。


 どちらも本当だった。本当のことを二つ並べると、三つ目を考えなくて済む。


   ※


 母に話したのは、三月の最後の日曜だった。


 俺は二年前の十二月と同じように全部説明した。今度は時系列でやった。前回順番を間違えて母を混乱させたことを覚えていた。


 説明に一時間半かかった。


 母は最後まで聞いてそれからこう言った。


「お母さんが、社長になるの」


「書類の上では」


「……お母さん、なんにもできないよ」


「何もしなくていい」


 言ってから俺はその言い方の悪さに気づいた。


   ※


「お母さん、印鑑押すだけ?」


「うん」


「それ、いいの?」


 母はそう訊いた。


 いいのか、と訊かれて、俺は答えに詰まった。法律上は問題ない。実務上も問題ない。だが母が訊いているのは、そういうことではなかった。


 名前を貸すというのは、その名前で起きたことを全部背負うということだ。母は去年の四月にそれを一度見ている。畑中の親方が判子を押す前に金額を二回見た。


「何かあったら、お母さんが責任取るってことでしょ」


「……そうなる」


「じゃあ、いいよ」


   ※


 じゃあ、いいよ、と母は言った。


 断られると思っていた。説得の材料を俺は七つ用意していた。一つも使わなかった。


「なんで」


「拓実が、嘘ついてないから」


 二年前の十二月に母は同じことを言った。ぜんぜんわからない、でも、嘘をついてるかどうかは分かる、と。


 俺はあのとき事故のことを話していない。この相手のことも話していない。今回も話していない。


 母が「嘘をついていない」と言うとき、その判定に使われている材料の中に、俺が伏せているものは入っていない。入っていないまま、母は毎回、俺を通している。


   ※


「拓実」


「うん」


「会社って、潰れることあるでしょ」


「ある」


「潰れたら、どうなるの」


 俺は答えを用意していなかった。用意していたのは、潰れない理由のほうだった。


「借りてる金があれば、返せなくなる。いまは借りてないから、残ってる金がなくなるだけ」


「お母さん、それで何か払うの」


「払わない。代表でも、そこは分かれてる」


 母は少し黙ってそれから頷いた。


「畑中さんのときと、違うのね」


   ※


 俺はその一行で止まった。


 去年の四月親方が保証人に判を押したとき、母は腰から折れる角度で頭を下げた。母はその意味を正確に理解していた。理解していたから、あの角度になった。


 いま母が確かめたのは、自分が同じものを背負うのかどうかだった。背負うなら背負うで、母は引き受けたと思う。ただ確かめずには進まなかった。


 この人は契約書を読まない。読まないが、何を訊けばいいかは知っている。


 二年前俺は母を「無知で、善良」だと思っていた。無知ではなかった。材料を渡されていなかっただけだ。


   ※


 社名は母が付けた。


 登記の書類に書く欄があって、俺が「何かある?」と訊いたら、母は少し考えて、台所のメモ用紙に三文字書いた。


 俺はそれを見て二秒くらい止まった。


「なんで、これ」


「あそこから、見えてたでしょ」


 母はそう言った。


 団地の四階のベランダから見えていたものの名前だった。俺が十六年毎日見ていて、一度も名前で呼んだことのないものだ。地図には別の呼び方で載っている。母が言ったのは、この土地の人しか使わない呼び方のほうだった。


「変?」


「……いや」


 俺はその三文字を書類に書いた。


   ※


 登記の書類は俺が全部作った。


 定款の目的の欄に事業の内容を八つ書いた。八つのうち、いま実際にやっているのは三つだ。残りの五つは、この先やる予定のものをノアが先に入れた。


「これ、やってないやつ書いていいのか」


『将来行う可能性のある事業を記載するのは、一般的な実務です。あとから変更するには費用がかかります』


 筋は通っていた。通っていたので、俺は八つのまま提出した。


 五つ目に、データセンターの運営、という一行が入っていた。俺はそれを読んで、少し引っかかって、それから、二月に工場を見に行ったことを思い出して、納得した。


 納得したことを俺はあとで何度も思い返す。


   ※


 資本金は三百万にした。


 母の口座に一度入れて、そこから移す。母は通帳を見て、「これ、お母さんのお金になるの」と訊いた。ならない、と俺は答えた。会社のお金になる、と。


「じゃあ、お母さんのじゃないのね」


「うん」


「そう」


 母は通帳を閉じた。


 その一往復があとになって効いてくる。母の名前で、母のものではない金が動く。この構造を俺はこのあと何十回も作ることになる。作るたびに、母は「そう」と言った。


   ※


 名刺は大杉印刷で刷った。


 大杉さんは社名を見て「へえ」と言った。それ以上は何も言わなかった。100枚で2,400円。俺の肩書きは入れなかった。取締役と書くと、年齢を訊かれる。名前と連絡先だけにした。


 母のぶんも五十枚刷った。代表取締役、早坂佳代。


 母はそれを受け取ってしばらく見ていた。それから、財布に一枚だけ入れた。残りは、台所の引き出しの一番下にしまった。


 家賃の通知と、電気代の請求書が入っていた、あの引き出しだ。


   ※


 登記が下りるのは、四月に入ってからだと言われた。


 その夜俺は物置で資金の欄を二つに割った。個人と法人。個人に残したのは120万で、残りは全部、法人のほうに移す予定を組んだ。


 欄が一行増えるのを俺は見ていた。


 二年前この欄には320円と書いてあった。


── STATUS ──────────────

早坂 拓実/17歳(高2)

資金(個人) 1,200,000円 ←分割

資金(法人) 5,800,000円

演算力  2.6/100

エージェント 5体

動産   自作PC×26、法人印、名刺

────────────────────────


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