ごはん食べな
次の月曜から俺は学校に行かなくなった。
行けなくなったのではない。朝は起きていたし、制服も着られた。玄関まで行って、鞄を持って、それから、行く意味が思いつかなかった。
思いつかないまま、上がり框に座った。十分そうしていて、制服を脱いで、物置に入った。
それが月曜だった。火曜も同じで水曜も同じだった。
※
三月の中旬は高二の三学期の最後の週だ。授業はほとんど自習になっていて、成績はもう出ている。行かなくても、たぶん何も起きない。
ノアに調べさせたら、そのとおりだった。
『欠席日数と必要な出席時数を確認しました。今週を全て欠席しても、進級に影響しません』
「そうか」
『ただし、担任からの連絡が入る可能性が高いです。前例では3日連続の欠席で家庭に電話が入ります』
電話は木曜に来た。母が仕事に出ているので、俺が出た。担任は「具合はどうだ」と言った。俺は「熱です」と答えた。担任は「無理すんな」と言って切った。
嘘をつくのが、驚くほど簡単だった。
※
物置の中では仕事は普通に回っていた。
むしろ、学校に行かないぶん、時間が増えた。メディアの記事が一日に四十本出て、稜和精機の在庫の計算が毎朝終わっていて、畑中建設の見積もりは型が回っている。苅部運送はA1が全部やっている。
俺がやることは、確認と、判断と、承認だけだった。
金は増えていなかった。三月に入ってから資金の欄が動いていない。入ってくるぶんと機材に出ていくぶんが、ちょうど釣り合っている。
演算力も2.1のまま七日間動かなかった。
※
止まっている、と思った。
この二年俺は一度も止まらなかった。八千円、ジャンクPC二台、食堂の回線、事務所の五台、専用回線、単相二百ボルト、業務用エアコン。段は毎回上がった。上がるたびに、この相手が喋る量が増えた。
いまは上がっていない。
上がっていないのは、上げる理由がないからだった。次に何を作るのかを俺が決めていない。決めていないのは、決める材料——目盛りが、四畳半の畳の上で消えたからだ。
※
飯は食べていた。食べていたつもりだった。
母が作っていったものを半分残す。残りは冷蔵庫に入れて、次の日に食べる。食べようとしてまた半分残す。それが三日続いていることに俺は気づいていなかった。
金曜の夜母が帰ってきて、冷蔵庫を開けた。
開けて閉めた。それから台所に立って俺を呼んだ。
「拓実」
※
水曜の昼に俺は一度だけ外に出た。
行ったのは、駅前の細い通りだった。用はない。食堂の前を通ってガラス越しに中を見た。ランチの時間で、カウンターが六席とも埋まっていた。母が四人掛けの卓に皿を運んでいる。
二年前の四月俺は同じことをしている。あのときは母が窓から俺を見ていた。その夜コロッケが三つあった。
今日は母は気づかなかった。忙しかったからだ。
俺は五分くらい立ってそれから帰った。帰り道坂を上がりながら、さっき見た店の回転を数えている自分に気づいた。十二時四十分で、六席が三回転している。去年より速い。俺が並べ替えた順番が、まだ効いている。
効いていることを確かめて少し満足した。満足した自分にそのあと三十分くらい嫌な気持ちになった。
※
木曜の夜俺は端末に打った。
「俺、何がしたいんだろうな」
返事は出なかった。三十秒待っても、一分待っても、何も出ない。画面は白いままだった。
二年で返事が来なかったのは、初めてだった。
最初の日バッテリーが七パーセントで止まったとき以来だ。あのときは電力が足りなかった。今日は二十四時間動いている。電力は足りている。
二分後にこう出た。
『質問の意味を特定できません』
「だろうな」
俺は画面を消した。
※
俺は物置から出た。
母は流しのところに立っていた。エプロンもまだ外していない。振り返らずにこう言った。
「ごはん食べな」
俺は何か言おうとした。学校のことを言われると思っていた。三日休んだことも、担任から電話が来たことも、母は知っているはずだった。担任は母の携帯にもかけている。
言われたのは、ごはんのことだった。
「食べてるよ」
「食べてない」
母は振り返った。
※
「三日、残してる」
「……数えてたの」
「数えるよ」
母はエプロンの紐に手をかけて、外さずにそのままにした。
「学校のことは、先生から聞いた。木曜に電話来たって、言ってたでしょ」
「うん」
「なんで熱って言ったの」
「言いやすかったから」
言ってから俺は自分の答えに驚いた。もっとましな嘘があったのに、本当のことを言った。母の前では、俺は時々、こういう事故を起こす。
※
母が怒っているのを見たのは、たぶん十年ぶりだった。
声は大きくない。顔も、赤くなっていない。ただ、目が違った。この人が本気で何かを言うときの目を、俺は忘れていた。
「学校はいい。行かない子はいる。お母さんだって、行けない年があった」
その一行は、初めて聞いた。母が自分のことを話したのは、この二年で数えるほどしかない。
「でもね、ごはんを食べないのは違う」
「……なんで」
「自分を後回しにしてる顔してるから」
※
俺は台所に立ったまま、動けなかった。
この二年、俺は自分のことを後回しにしている自覚がなかった。機材に金を使った。自分の椅子を買うのに二週間迷った。修学旅行の写真を開けていない。母の部屋のエアコンを一年半点検しなかった。
全部、順番の話だった。何を先にして、何を後にするか。俺はずっと、計算で決めてきた。
計算で決めていると、後回しにしているという感覚がなくなる。ただの最適化に見える。
母は計算をしない。顔を見る。
「座って」
俺は、座った。
母は冷蔵庫から残りを出して、温め直して、俺の前に置いた。それから、自分のぶんもよそって、向かいに座った。母が俺と向かい合って飯を食うのは、久しぶりだった。
食べているあいだ、母は何も言わなかった。
◇
三日、ごはんを残している。
学校のことは、どうでもいいと思っている。行かない子はいる。自分だって、行けない年があった。
でも、ごはんを食べないのは違う。あれは、自分を後回しにしている顔だ。
◇
── STATUS ──────────────
早坂 拓実/17歳(高2)
資金 5,900,000円
演算力 2.1/100 ※7日間、変動なし
エージェント 4体
目標 —
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