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一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第二部 電気と熱と、父

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【幕間】四畳半の四万円

 外階段の音が下まで行って、消えた。


 中西は畳に座ったまま、それを聞いていた。一段ごとに軋む階段だ。十年ここに住んでいて、上る人間の体重が音で分かるようになっている。軽かった。高校生の重さだった。


   ※


 四万円はまだ畳の上にあった。


 置かれたときに一度数えて、もう一度数えた。数えてから、取らなかった。取れば、そこで終わってしまう気がした。何が終わるのかは、自分でも分からない。


 湯呑みを二つ、流しに持っていった。


 一つは自分のもので、もう一つは去年の暮れに百円の店で買った。買った理由はない。二つあったほうがいいような気がして買って、それから一度も使っていなかった。


 今日、初めて使った。


   ※


 菓子折りは開けた。


 中身は薄い焼き菓子で、一つずつ袋に入っている。一つ食べた。甘いものを食べたのは何年ぶりか分からない。うまかった。


 うまいと思ったことが、少し嫌だった。


 残りは箱ごと冷蔵庫の上に置いた。そこには電気ポットとインスタントの袋しか置いていない。箱を乗せると、その一角だけ急に色がついた。


   ※


 息子の靴を見て、訊いた。


 玄関に脱いだ靴が革で、新しくて、踵がまだ減っていなかった。高校生が履くものではない。買ってもらったのでもない。買ってもらった靴は、履き方がちがう。


 中西は現場を三十年見ている。人の足元は、その人が何をしているかを喋る。


 訊いてしまってから、訊かなければよかったと思った。思ったが、取り消せない。


 顔は佳代のほうだった。自分に似ているところを探して、見つからなかった。


 「大きくなったな」以外に、言うことが出てこなかった。十年ぶんを一言で言おうとすると、そうなる。


   ※


 カレンダーは壁に一枚かかっている。


 スーパーの名前が入った薄いやつだ。毎月三十日に、次の月の勤務に赤いペンで丸を打つ。打っておかないと忘れる。忘れると、行かないことになる。


 二月には七つあった。


 三月は六つしかない。


 減ったのは腰のせいだ。去年倒れて二週間休んで、戻ってから夜勤を一つ減らしてもらった。減らしてもらったと言うと聞こえがいいが、こちらから頼んだわけではない。次に減るときは、たぶん相談はない。


   ※


 夜勤は九時から朝六時までだ。


 ビルの地下の防災センターに座って、一時間に一度、決まった順に歩く。歩いたら記録に判子を押す。用紙には押す欄が二十四個あって、そのうち九個が中西のぶんだ。


 九個埋めて、帰る。


 埋めた数は数えられる。数えられるものだけで一晩が終わるのは、悪いことではない。決めることが一つもないからだ。


   ※


 十年前、金が入らない月が三か月続いた。


 入らなかったのは自分が休んだからだ。休んだ理由はもう覚えていない。腰ではない。腰が来たのは、そのあとだ。


 言えなかった。


 三か月ぶん言わなかったので、四か月目には、言い出す場所がなくなっていた。


 ある日、帰らなかった。


 泊まるところがあったからではない。帰る時間に駅のベンチに座っていて、次の電車に乗らなかった。それだけだ。次の日も乗らなかった。三日目には、帰れなくなっていた。


 出ていくと決めた日は、一日もない。


   ※


 息子は、それを訊かなかった。


 二度来て、二度とも訊かなかった。何をしているとも、どこに住んでいるとも言わなかった。中西も訊かなかった。訊いたのは一つだけだ。


 佳代は、元気か。


 元気か以外は訊けない。訊けば、こちらが何か言う番になる。


   ※


 訊かれなかったので、中西はその十年を一度も順番に並べたことがない。


 今日、扉が閉まってから初めて並べた。


 三か月、言わなかった。一日、乗らなかった。三日で、帰れなくなった。


 並べてみたら、短かった。


   ※


 畳の上の四万円を、中西は三日そこに置いたままにした。


 四畳半で、四枚の紙を避けて歩いた。避けられる広さではない。それでも避けた。


 四日目に、一枚だけ使った。


 腰を見せに行った。この十年で二度目だ。初診で五千円ちょっと取られて、レントゲンを撮って、湿布を出された。


「重いものは持たないでください」


 持っていない。持っていないのに悪くなる。そのことは言わなかった。


   ※


 残りの三枚は封筒に入れて、カレンダーの裏に貼った。


 返そうと思った。


 返す先を知らない。訊かなかったからだ。


   ※


 家を出て、外階段を下りた。


 一段ごとに金属が軋む。上るときと同じ音だった。三月の風がまだ冷たい。この街は平らで遠くまで見える。見えるものは何もない。


 封筒はカレンダーの裏にある。


 返す先を知らないので、まだある。


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