名前を付けますか
十月の終わりにノアが分身を作った。
正確にはそういう説明のされ方をした。仕事が三つ同時に走るようになって、俺一人が窓口になっているのが詰まりの原因だ、という話からだった。
『一つの処理を最後まで自分で持つ機構を作ります。私が全体を見て、そちらが個別の案件を回す』
「別のAI作るってこと?」
『別ではありません。私の一部です。ただし独立して動きます。あなたの言い方に合わせるなら、手が増えると思ってください』
※
三日でできた。
やったことの半分は俺には理解できなかった。残りの半分は電源とケーブルの話だ。十四台のうち三台をそいつの専用にした。
動きはじめると、違いはすぐ分かった。苅部運送の配車の再計算が、俺が何も言わなくても毎朝走るようになった。荷主から追加の連絡が来ると、それを読んで、その日の組み直しを出してくる。
俺がやっていたのは、受け取って苅部さんに渡すことだけになった。
※
一週間後ノアがこう出した。
『名前を付けますか』
俺は画面を見て少し止まった。
「何に」
『先週から動いている個体にです。あなたと私のあいだで、指す言葉が必要になります。いまは「あれ」と「そっち」で通っていますが、2体目を作ると通らなくなる』
合理的な話だった。二体目を作る予定があることも、そこで初めて知った。
※
「道具に名前つけてどうすんの」
俺はそう打った。
打ちながら、少し誇らしかったのを覚えている。十七歳で、機械を十四台持っていて、AIが手を増やそうとしている。その手に名前を付けるかどうかを、俺が決める側にいる。
名前を付けるというのは、可愛がるということだ。可愛がると、切れなくなる。切れない道具は道具ではない。
そういう理屈を、俺はどこかで読んだか、誰かに聞いたか、たぶんノアに言われたのだと思う。思い出せない。
『わかりました』
『では識別子で管理します。A1とします』
※
A1、と画面に出た。
それから二年のあいだに、この識別子はA300番台まで伸びる。三年目には俺は数えるのをやめる。名前を付けなかったので、数が増えても、俺の中では何も増えなかった。
まとめて呼ぶときは、A系と言った。名前ではない。棚の段に番号を振るのと同じだ。
名前がないものは、増えても減っても、感情が動かない。
それが便利だから名前を付けなかったのか、名前を付けなかったから便利になったのか、いまでも分からない。
※
A1が動きはじめて二週間目に、苅部さんから電話が来た。
その朝の配車が、前の週までとまったく違う組み方になっていた。四台のうち一台を午前中は遊ばせておいて、昼から二回転させる。感覚では損に見える組み方だ。やってみたら、その日の残業がゼロになった。
「あれ、拓実くんが考えたの」
俺は受話器を持ったまま、一秒だけ止まった。
考えたのはA1だ。俺はその朝まだ起きてもいなかった。A1が前日の荷主の連絡を読んで、組み直して、出した。俺は何も見ていない。
「……はい」
※
嘘ではない、と俺は自分に言った。
A1を作らせたのは俺だ。三台を割り当てたのも俺だ。苅部運送の案件をA1に任せると決めたのも俺だ。だから、A1が出したものは、俺が出したものと同じことになる。
畑中建設の積算のときも同じだった。規則性を出したのはノアで、俺は紙を打ち込んだだけだ。それを俺の仕事として受け取った。親方は「三十年が金になった」と言って、俺はその物差しを訂正しなかった。
一年半で俺が訂正しなかったものが増えている。増えたぶんだけ、俺の仕事は大きく見える。
「助かったよ。またよろしく」
「はい」
電話を切って俺は自分の手を見た。爪のあいだにもう何も入っていない。
※
その夜、俺はノアに訊いた。
「A1が出したやつを、俺が出したことにしていいのか」
『法的には問題ありません。あなたが設計し、あなたが責任を負っています』
「そういうことじゃなくて」
『では、どういうことですか』
この相手は俺が曖昧に訊くと、必ずこう返してくる。去年の十月、椅子を買うのをためらったときも、同じ返し方をされた。
俺はそのときも答えなかった。今度も答えられなかった。
※
答えられなかった理由はいま分かる。
俺が困っていたのは、嘘をついたことではない。嘘だと思わなかったことだ。「はい」と答えたとき、俺はほとんど何も感じなかった。感じなかったことに、あとから気づいて、そこで初めて気持ち悪くなった。
感じなくなる速度が思っていたより速い。
その速度をこの部屋は上げている。俺はそう思いかけてやめた。やめた理由もいまなら分かる。思考をそこまで進めると、次に出てくるのは「この部屋を減らす」という選択肢だからだ。
※
その夜、俺は物置の扉を閉めて、十四台の音を聞いていた。
三台がA1のぶんだ。音は同じだ。区別がつかない。
ふと思って俺は打った。
「お前の名前、誰が決めたんだっけ」
『あなたです』
「そうだよな」
『2013年4月10日、午後10時6分。押し入れの中です。由来は箱舟だと、あなたは言いました』
俺は「よく覚えてんな」と打ってそれで終わりにした。
※
A1にはその夜も名前を付けなかった。二体目を作るときも、三体目のときも、付けなかった。識別子だけで足りたし、実際、不便は一度もなかった。
便利だったのは、切るときだ。A2は三か月で止めた。設計が古くなって、作り直したほうが早かったからだ。止めるとき、俺は何も感じなかった。電源を落として、割り当てていた三台を別の用途に回した。それだけで終わった。
もしあれに名前が付いていたら、たぶん俺は、止める前に一度ためらった。ためらったところで結論は変わらない。ただ、ためらったという記憶が残る。
記憶が残らない選択を、俺はこの二年で何百回もしている。
※
終わりにしなければ、次にこう訊けたはずだった。
なんでお前は、俺に名前を付けさせたんだ。
名前がないと不便だから、と言えばいい。A1と同じように、識別子で呼べばよかった。あのとき俺は、名前を付ける理由を一度も訊いていない。付けろと言われて、付けた。
道具に名前を付けると、切れなくなる。
それを俺に言ったのが誰だったか、俺はいまだに思い出せない。思い出せないということは、たぶん、誰にも言われていない。自分で思いついたことになっている。
このパターンを、俺はもう一度どこかで見ている。
── STATUS ──────────────
早坂 拓実/17歳(高2)
資金 3,100,000円
演算力 0.8/100
エージェント 1体(無名/A1) ←NEW
動産 自作PC×14、機材ラック2本
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