↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第一部 八千円から百万円

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
17/46

【幕間】紙を捨てなかった理由

 税理士が帰ったのは七時前だった。


 源治は事務所の入口まで送って、それから机に戻った。机の上に封筒から出したままの紙が三枚ある。決算書だ。数字の並びは去年とだいたい同じで、下のほうだけが違う。


   ※


 去年、一件でだいぶやられた。


 鉄骨の三階建てで、職人が五人入った現場だった。源治の見積もりは人数分の日数で組んであって、実際は段取り待ちで四日延びた。延びた四日は誰も払わない。


 その一件で消えた額を、税理士は紙の上で指で押さえて見せた。


「これがなければ、まだ余裕がありました」


 源治は湯呑みを持ったが、中は空だった。


 外れるようになったのは、ここ三、四年だ。


 若いころは当たった。当たるというより、外れても現場で吸収できた。人が足りなければ自分が入った。日曜に一人で行って片付けだけ済ませておけば、月曜が回った。


 いまは入れない。腰をやった職人が一人いて、その分を誰かが持つ。持つと別のところが遅れる。


 外れ方の向きが、ここ数年いつも同じだった。足りないほうに外れる。


   ※


 税理士は十二年この会社を見ている。言い方の丁寧な人で、脅すような話はしない。だから今日の一行も、その丁寧さのまま出てきた。


「畳むなら、早いほうが楽です」


 源治は答えなかった。


 答えなかったのは、腹が立ったからではない。この人の言うことはたいてい正しい。正しいことに返す言葉を源治は持っていなかった。


   ※


 息子を現場に入れたことが一度ある。


 四年前の秋だ。大学を出て勤めをやめ、家にいた時期だった。源治は「来い」とは言わなかった。「日報を書け」と言った。


 三週間書いた。


 丸くて、ゆっくりした字だった。天気の欄まで埋めてあって、誤字が一つもない。源治の字よりはるかに読みやすかった。


 ただ、下の欄が毎日同じ書き方だった。


 何をやったかを書く欄に、息子は何時から何時までいたかを書いていた。八時入り、十七時上がり。そう書いてある日の現場で実際には床が二十ミリずれていて、午後は全部その直しに使っている。


 書いていないのではない。見ていないのだ。


 源治はそれについて何も言わなかった。褒めもしなかったし、直しもしなかった。


 三週間で息子は書かなくなった。


   ※


 継がないと言われたのは、その次の正月だった。


 台所で、こちらを見ずに言った。源治は「そうか」と言って、それで終わりにした。


 あのとき、少しほっとした。


 ほっとしたのは、もう分かっていたことを言ってもらえたからだ。分かっているのに言われていない状態が二年続いていた。


 ほっとしたことを源治は誰にも言っていない。継がせる相手がいなければ、自分の代で終わらせていいという理屈が立つ。立ってしまう。


   ※


 事務所の二階に上がった。


 階段は急で、途中で膝が鳴る。二階には冷房がない。七月の夜で、上がった瞬間に空気が重かった。


 段ボールが壁沿いに積んである。三十年ぶんだ。見積書、注文書、実行予算、それから現場ごとの日報。


 源治は年に一度、箱の数を数える。増えた年と増えなかった年がある。今年はまだ数えていない。


   ※


 几帳面だからではない。


 源治は自分が几帳面でないことを知っている。日報の字は雑で誤字も多い。書いた日が一日も抜けていないのは律儀だからではなく、書かないと次の日に何をやったか分からなくなるからだ。


 紙を捨てないのは、別の理由だった。


 捨てると、三十年が無かったことになる気がする。


 理屈に合わないのは分かっている。紙があっても無くても、やった仕事は同じだけある。それでも、箱が減るところを源治は見たくなかった。


   ※


 五年分だけ下ろした。


 あの子がそう言ったからだ。五年でいい、それより前は載っている値段が古いから要らない、と。十五の子どもがそういう言い方をするので、源治はその場では返事をしなかった。


 箱は十四個あった。一度に二つしか持てない。七往復して、汗が背中まで来た。


 四つ目を持ち上げたところで、源治は気づいた。


 五年分の中に、あの三週間が入っている。


   ※


 抜かなかった。


 抜くという考えが浮かんで、浮かんだまま、源治はその箱を下ろした。抜けばあの子は気づかない。気づかないまま五年分を写して帰る。


 抜かなかった理由を源治は自分で言葉にしていない。


 下ろし終えて、流しの横の灰皿のところで一本吸った。


 煙草は一日に四本に減らしている。金のためではない。去年の健診で何か言われて、一度だけ守ってみようと思った。守れているのは、数えているからだ。


 源治は数えるのが嫌いではない。箱も煙草も数える。数えたものは、減っても増えても目に見える。


 見積もりだけが、数えられないまま三十年あった。


   ※


 あの子は名刺を持っていなかった。


 名前だけ言った。佳代ちゃんとこの子だった。金の話は親御さんとするのかと訊いたら、いえ、俺とで、と言った。そこで一秒詰まった。


 詰まったことについて、源治は何も訊かなかった。


 この通りでは、それで足りる。


   ※


 翌朝、自転車の音がした。


 窓から見ると、あの子が停めていた。荷台には何も積んでいない。鞄を肩にかけて、そのまま二階に上がっていった。


 源治は麦茶を注いで、階段の下に置いた。


 置いてから、机の上の決算書を引き出しに入れた。


 捨てはしなかった。


本話で第一部は完結です。

第二部も引き続きお楽しみください。

完結まで予約投稿中ですので是非ブックマークをお願いします。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。