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一万三千円のスマホが俺のチートだった ~死んだ俺は十年前に戻され、最初に百円の充電ケーブルを買った~  作者: 蔵人
第一部 八千円から百万円

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この家、出るよ

 十二月の日曜の朝だった。


 母は朝から家にいた。日曜に母が家にいるのは、年に数えるほどしかない。店の年末の休みがその週だけ前にずれていた。


 俺は夕刊の配達に出るまで、まだ四時間あった。押し入れを開けたまま、機材の吸気口の埃を吹いていた。


 母が後ろに立っていた。


   ※


 押し入れの中は、四月とはまるで違うものになっていた。


 自作のパソコンが三台、段ボールの台に載って並んでいる。ケーブルが束ねてあって、保冷剤の代わりに小さな送風のファンが二つ入っている。上の段には茶封筒が四つと郵便で届いた通帳。


 熱がこもっているので、襖を開けると、冬でも温かい風が出てくる。


 母はそれをしばらく見ていた。


 それからこう言った。


「これ、なに」


 俺は、立ち上がった。


   ※


 全部話した。


 四月から夕刊を配っていること。粗大ごみを分解して金属を売っていたこと。団地の機械を直して回っていたこと。食堂のメニューを並べ替えたこと。親方の見積もりを作っていること。運送屋と丘の工場の仕事をしていること。郵便局で口座を作ったこと。九月に買った靴の金がどこから出たか。


 二時間かかった。母は一度も遮らなかった。


 話さなかったことが二つある。


 交差点のことと押し入れの中にいるもののことだ。


 俺はそれを、話せないから話さなかったのだと、そのときは思っていた。信じてもらえないからだ、と。だが本当は、話せば止められると思ったからだった。


   ※


 話しているあいだ、母は座らなかった。


 押し入れの前に立ったまま、機材のほうを見たり、俺の顔を見たりしていた。一度だけ台所に行って湯呑みを持ってきた。俺のぶんだけだった。自分は飲まないのに、俺の湯呑みだけ持ってくる。この人はいつもそうだ。


 俺は話す順番を間違えた。


 時系列でやればよかったのに、いちばん自慢したい話から始めてしまった。積算の12万円から。次に食堂の話に戻って、そのあと夕刊配達に戻って、母は何度も「それ、いつの話」と訊き返した。


 二十六年ぶんの記憶があっても、母に説明するのは初めてだった。初めてのことは誰でも下手だ。


   ※


 途中で一度母が笑った。


 粗大ごみを分解して銅を売っていた、と言ったところだった。


「あんた、それ、七つのときもやってたよ」


「え」


「壊れたラジオ、ばらばらにして。戻せなくて泣いてた」


 俺は覚えていなかった。


 母のほうが俺の記憶より詳しいことがある。ノアは俺の記録で作られている。だから俺が忘れたことは、たぶんノアも持っていない。


 この家には、俺より俺に詳しい人間が、ずっと前から住んでいた。


   ※


 母は机の縁に手を置いて長いあいだ黙っていた。


 それからこう言った。


「お母さん、それがどういうことか、ぜんぜんわからない」


 俺は、頷いた。


「積算ってのも、原価ってのも、わからない。あんたがパソコンで何やってるのかも、わからない」


 母は一度言葉を切った。


「……でも、あんたが嘘をついてるかどうかは、わかるよ」


   ※


 母はそのあと台所に行って、引き出しの一番下から紙を出してきた。


 二つ折りになった家賃の通知だった。


 去年より一段上がっている。母は指でその欄をなぞって、それから指を折って何かを数えはじめた。声には出さない。何を数えているのかも言わない。


 一分くらい数えていた。


 それから顔を上げてこう言った。


「この家、出るよ」


   ※


 俺はすぐに返事ができなかった。


 俺の計画では引越しは二年後だった。ノアの表にもそう書いてあった。2016年の春、制度が終わってから動く。それまでは抑える。


 母は俺が抑えていたことを知らない。手当のことも、扶養のことも、母は一度も俺に言っていない。知っていたのに、言わなかった。


 俺が稼ぎを隠したその月に、母は通知を引き出しの一番下に入れていた。


 同じ家の中で二人が同じことをしていた。


「……いいの」


「いいも何も。上がるんだから、しょうがないでしょ」


 母は通知を畳んで、また引き出しにしまった。


「あんたが変なことしてないなら、お母さんは、それでいいよ」


 その日の午後、母は不動産屋へ行った。


 駅前の、丸山という人がやっている店だ。俺もついていった。母は「見るだけだから」と言ったが、五分でそれが終わった。


 母子家庭。母はパート。息子は高校一年。丸山さんは書類を出すまでもなく、その三つだけで首を横に振った。


「うちで扱えるとこだと、保証会社が通らないと思うんだよね」


 悪い人ではなかった。悪い人ではないから、はっきり言った。はっきり言うほうが親切だという判断で、たぶんそれは正しい。


 母は「そうですか」と言って、頭を下げた。あの角度だった。謝る角度と礼を言う角度のあいだの、どちらでも通じるやつ。


   ※


 帰り道、母は自転車を押していた。俺はその半歩後ろを歩いた。九月に坂を上がったときと、同じ並びだった。


「お母さん、今日はじめて知ったわ」


「何を」


「うちみたいなのは、貸してもらえないんだって」


 母は笑っていた。笑うところではなかった。


 俺はそのとき、腹の底が冷たくなるのを感じた。怒りではない。悔しさでもない。金ならある、と思ったのだ。百万円ある。だがこの場面で、百万円は一円も役に立たなかった。


 金があっても越えられない壁が、まだ三つ残っている。名義。年齢。信用。


 その三つを越える方法を、俺はもう知っていた。五月十九日に、押し入れの中で覚えたやつだ。


   ※


 その夜、俺は押し入れの中で、缶と通帳の数字を合わせた。


 百万円を超えていた。


 四月八日の朝、この缶には320円が入っていた。八千円を作るのに三週間かかった。あのころ、八千円は八千円だった。いまは、八千円は次の一段でしかない。


 俺は母が「この家、出るよ」と言ったときの顔を思い出していた。


 あの人は、俺の計画を二年早めた。俺の計画ではなく、ノアの計画を。


 その報告を打ったとき、返事は四十秒もかからなかった。


『予定より、4か月早い』


 四か月。


 二年ではなかった。


── STATUS ──────────────

早坂 拓実/16歳(高1)

資金   1,012,230円 ★目標達成

     (年間所得 約75万円)

演算力  0.03/100

動産   格安スマホ、自作PC×3

     ゆうちょ通帳、母の夏靴

借用   畑中建設 事務所PC×5

────────────────────────


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