3.
ルーシーはハンカチできちんと髪の毛を隠し、家に帰りました。ただ、そのまま帰ったので屋敷の者たちに変な目で見られましたが……。
「ルーシー様、何を被っていらっしゃるのです?」
「ふふふ、これはね、隠れられたご褒美にいただいたのです!」
「……?タクマロ様からいただいたのですか?」
「いいえ!執事の方ですわ!」
「そのようなものなら私どもがいくらでも差し上げます。御髪を整えましょう」
「だ、ダメですわ!悪事には使わないとその方とお約束しましたもの!」
「……?一度そのハンカチを見せていただけますか?」
「それならよろしくてよ!」
本邸の執事が確認すると、ハンカチには金の刺繍糸で文字が入れてありました。
「ライノー・ル・マルガリア……?……!?これは!マルガリア公爵家の弟君の名前ではありませんか!」
「……?いえ、貴族の方ではなくてよ。執事でしたわ?」
「ライノー様は今でも公爵家にいらっしゃるとお聞きしていましたが……。これはブルーム様にすぐご報告いたしましょう!」
「?分かりましたわ」
執務室の戸を叩くと、室内で仕事をしていた伯爵夫妻はすぐに反応しました。
「どうぞ」
「あら、今の時間……何かありまして?」
「ブルーム様、シャアラ様、ご報告しておきたいことがございます」
「おや、ルーシーもいるのですか。一体どうしましたか?」
「あら、どこか怪我でもしてしまいましたの?」
「いえ、どこも怪我していませんわ!私、お姉様ですもの!」
「それが……本日別邸にお客様がいらしているとお聞きしてはいたのですが、そちらでルーシー様がハンカチをいただいておりまして……」
「あら素敵!」
「ルーシー、どこか濡れたのですか?」
「どこも濡れていませんわ!きちんと隠れていたのを褒められたのです!」
「……?ご迷惑をお掛けしているかもしれませんね。後で別邸に確認の遣いを送ってください」
「ハンカチにお名前が刺繍されていて?」
「はい。それが…… ライノー・ル・マルガリアと……」
「なんと。今日別邸に来られていたお客様はマルガリア公爵家の方だったのですか?」
「まあ……!お客様とお話ししましたの?ルーシー」
「いえ!私、きちんと静かにしていましたもの!お話ししたのは執事の方とですわ!」
「どういうことです?」
伯爵は困惑して、ルーシーを連れてきた執事を見ました。
「後で別邸に確認を取りますが……。おそらく、お客様は公爵家の方々で、その執事の中にライノー様がいらっしゃったのかと……」
「ああ、そういうことですか……。ルーシー、このハンカチは決して悪用してはいけませんよ。ここにいる者以外の者にも話してはいけません。お父様とお母様にだけは念の為、事情を話しておきますが……」
「ルーシー、こちらは教えてもらいながらきちんと自分の手で洗濯して整え、畳んで衣装箪笥の1番下の引き出しにしまっておいていた方がよろしいですわ。何かあった時、あなたの大事なお守りになるでしょう」
「お守りですの?分かりましたわ!」
ルーシーは素直に頷きました。ハンカチは見るからに高級品の上、刺繍は造形も見事な美しさで、確かに宝物のようでもありましたから。
そんな穏やかな生活を送っていたルーシーですが、貴族子女は、7歳になると歴史ある貴族学園に通わなくてはなりません。屋敷の中で選抜された専属侍女たちが何人も選ばれ、いよいよ学園の特別寮に入る時期が近づいてきました。
「ルーシー、あまり目立たないようにお淑やかに生活するのですよ」
「はい、お父様」
「女性の武器は愛嬌ですわよ!ルーシーなら大丈夫ですわ!ただ、その愛嬌を盾に陰で人を傷つけたり、悪用して人を貶めてはなりません。これだけは覚えておいてくださいね。何か問題があったら侍女に話して、それから私たちにも手紙をくださいまし」
「はい、お母様。私は歴とした伯爵令嬢ですもの。家族に恥をかかせるような事はいたしませんわ」
「あんなに小さかったルーシーがねえ……」
「あなた、涙ぐむのは早いですわ!まだ学園に入るだけで、卒業もしておりませんのよ?」
「お祖父様もお祖母様も……寂しくなりますわ……」
祖父のタクマロにつられてルーシーも涙ぐみました。
「お姉様、どこかに遊びに行かれるのですか?僕も連れて行ってください!」
「スーヤー……!連れて行きたいのですけれど、連れて行けないのですわ……。でも、長期休みには必ず帰ってきますわね!」
「どうして僕は行けないのです?僕ももう大きくなりました!」
「スーヤーももう少しだけ大きくなったら行けますよ。その日が待ち遠しいですね……」
「ルーシーとスーヤーのどちらが当主になるか、まだ分かりませんからね。スーヤーもきちんと勉強しなくては」
「当主は大変そうですわ……」
「でも、領民を守れる仕事でもありますよ。勿論、他の事業がないこの伯爵家は領民に生かされているとも言えますけれどね」
「領主の仕事は決して楽ではありませんが、税収を得ているだけで仕事を他の者に任せている者も多くいます。だからと言って、全員がそうしてしまうと税は上がり領民が苦しくなってしまうのですわ」
「あっ!僕、この間それを学びましたよ!直接仕事をするより、直接仕事をしている者が生み出す物品を販売する者の方が多くの金品を得られる場合があるのですよね!」
「スーヤーはなんて賢いの……!需要と供給を繋ぐ、問屋のお話ですわよね!」
「はい!流石お姉様です……。でも、僕もお姉様と同じぐらいかそれ以上に飲み込みが早いと家庭教師の方もおっしゃってくださいました!」
「確かにそうかもしれませんわ!スーヤーは天才です!」
元伯爵夫妻と伯爵夫妻は、姉弟のやり取りを微笑ましく見ていました。2人とも元気が有り余っているのか、普段からこの調子でしたから。
「そのような側面もありますが、橋渡しとなる者が常に善とは限りません。事実を伝えたり、実際の物品を仲介するにしても、悪意をもって意図的に話す内容を制限してしまえば、相手を騙すこともできます」
「ですから我が家では執務は代々、伯爵当主とその配偶者が直接行うのですわ」
「それに、相場よりやたら高い金額の仲介料を取られることもありますからね」
「犯罪に巻き込まれることもあるのですよ」
実は子どもの成長には、短時間しか関わらない家庭教師よりも親の価値観や普段の会話が大きな影響を与えがちです。親の背中を子どもはきちんと見ています。
親が意識しなくとも。
「ただ、真っ当に仕事をしていたとしても、屋敷の中にいない領民たちからすれば実際に誰がどのような仕事をし、どのように守っているかは見えませんからね。貧困に喘ぐ者は、それが自身のせいであろうとなかろうと、貴族を恨んでいる場合もあります」
「ですから、学園では本当に気をつけてくださいね。誰がどのような思想か、まだあなたには表面だけでは殆ど分からないでしょうから」
「分かりました……!気を付けますわ!」
こうして、ルーシーは学園へ送り出されました。
(お祖父様のようにいつまでも仲良しのお友達が出来たら素敵ですわ……!皆様どのような方々かしら)
こんな夢を抱きながら。
「お姉様の荷物の量は、お祖父様やお祖母様が王都の屋敷へ行かれる時の量より少し少ないような……?」
「よく見ていますね。元伯爵夫妻と、伯爵令嬢ではお付きの者の人数や衣装の量が違いますからね」
「それに、行き先が学園寮で、あちらには料理人や庭師など一通りの人材は揃っておりますもの。そのような人材を連れていかない分、準備も少なくて済むのですわ」
「僕も早く学園に行きたいものです……!」
「他の貴族の方々にご迷惑をおかけしないよう、それまでしっかり勉強しなければなりませんよ」
「はい!」
年上の兄弟がいる者は、その対象の行動から多くを学んでいることもあり、人間関係に長けていることはよくあります。逆に兄弟のいる年長者は、下の者に対する責任感が育ちやすくなります。
同じ屋敷にいたとしても、生まれつきの能力や僅かな環境の違いで差が出るのは当然のことでした。
この伯爵家のように家族全員が穏やかで仲の良い家庭は、貴族でなくともそれだけで最強の幸運に恵まれているのかもしれません。
伯爵家にとっては極々普通のことでしたが。




