マナ編 その1
注意:『マナ編』は、子どもの性被害を題材として扱っています。予めご了承ください。また、読んでいる最中に気分が悪くなった場合は、無理せず読書を中止してください。
カーペットの上に置かれたドールハウス。そこに、小さな手が人形を並べていく。
大人の女性の人形。男性の人形。そして、幼い女の子の人形。
壁際の棚には様々な種類の人形や、おままごとの道具、ボードゲームなどが置かれている。
また、部屋の隅には木枠で作った小さな砂場もある。
この部屋で、ドールハウスに人形を並べていたのは、小学校一年生か二年生くらいの少女だった。
「三人でな、お家に住んでる」
少女はそう言って、目の前にいた女性を見た。
女性は三十代後半から四十代に見える。女性は首から名札を下げており、そこには『児童養護施設ふれあいの家 心理士 東山 郁美』と書かれている。
今、このプレイルームは少女とイクミの二人きりだ。
少女は幼い女の子の人形を手に取ると、その人形のスカートに指を入れる。
「気になるの? マナちゃん」
イクミは平坦な、しかし冷たさは感じない口調で尋ねる。
「こうすると、いい子だねって言ってくれる。写真も撮ってくれる」
少女は人形のスカートをたくし上げた状態で、男女の人形の前に置いた。
イクミは冷静に観察するような視線をむける。その様子に気付かない少女は、女の子に人形の口におもちゃのケーキをあてる。
「いい子にしてたから、おやつ食べましょうね」
続いて少女は女性の人形を手に取り、部屋の隅にある箱の中に入れた。
「女の人、どこかへ行っちゃったの?」
イクミが尋ねると、少女はうなずく。
「うん、この人は捕まっちゃうの」
「誰に捕まっちゃったのかな?」
「えっとね、警察に捕まって、いなくなっちゃった。悪いことしてないのに不思議」
少女の声のトーンは暗い。
「女の子は、どんな気持ちなのかな?」
イクミがの問いに、少女は小さく「わかんない」と言った。
「女の子の気持ちはわかんない。でも、こっちの男の人はとっても悲しかったんだ。悲しすぎて、怪獣になっちゃった」
それから少女は、怪獣の人形を取り出し、ドールハウスに置いた。
「お服、脱いでね」
続いて、女の子の人形の服を脱がせはじめる。
やがて、全裸になった人形に怪獣をギュウギュウと押し付ける。
「さみしいなー。ギュってしたいなー」
少女の言葉は、自分の言葉ではなく、台本を読み上げるようだった。
「それは、女の子が言ってるの?」
イクミが尋ねると、少女は首を横に振った。
「ううん。怪獣。怪獣がギュってしてるんだ」
イクミは少し考えて、尋ねる。
「じゃあ、女の子は何をしてるのかな?」
「怪獣は強くギュってしてくるんだけど、じっとしてたらすぐ終わる」
しばらく怪獣を女の子の人形に押し付けた後、今度は怪獣の手で女の子の人形の頭を撫でるような動きをはじめた。
「いい子だね。僕はうれしいよ」
また、台本を読むような口調。
「今度は女の子の気持ちわかるかな?」
イクミが尋ねる。
「怪獣は喜んでる。それで、お菓子やジュースも飲ませてくれる。だから、それでいいの。喜んでくれたら、それで嬉しくなるから」
すると、女の子は怪獣の人形と、女の子の人形を自分の後ろに隠した。
「男の人が本当は怪獣だってことは、秘密なんだ。怪獣ってわかったら、退治されちゃうから」
少女は裸の女の子の人形と、怪獣の人形を部屋のすみの砂場に持っていく。そして、砂の中に埋めた。イクミは制止せず、ジッと観察するように見つめる。
「秘密……だから」
窓の外から、グラウンドで遊びまわる子どもたちの声が聞こえた。
【松原 舞花 9歳 小学4年生】
二年後。
六月の下旬。
昼休みの小学校は、子どもたちの声で満たされる。
四年生のマナは、クラスメイトのセリナと共に校舎内の廊下を歩いていた。
「――でな、その時に見たの、絶対キツネだったんだ」
マナの声は、騒がしい校舎内でも目立つくらい大きい。
「そっかー。キツネさん、写真でしか見たことないなー」
セリナは穏やかな口調で言った。
二人は会話しながら職員室の前の廊下を歩く。
「おっ!」
おもむろに、マナが声をあげた。
「どうしたの?」
セリナが尋ねる。
マナの視線の先には、職員室の扉の前でそわそわと落ち着きのない女子児童がいた。名札は青色。六年生だ。
「ミリカお姉ちゃーん」
マナはその女子児童に近寄りながら親し気に声をかけた。
「あ、マナちゃん」
ミリカと呼ばれた女子児童は、マナに顔をむける。
「マナちゃんの知り合い?」
セリナが訊くと、マナは大きくうなずく。
「うん。六年生の新庄ミリカお姉ちゃん。クラブが一緒なんだ。ミリカお姉ちゃん、こんなとこで何してるんだ?」
「えっと……」
ミリカは言いよどむ。マナとセリナはジッと見つめながら待つ。
やがて、ミリカはゆっくりと口を開いた。
「五時間目と六時間目、プールなんだけど……」
言葉を遮るように、マナが大声で言った。
「あー、わかった。水着持ってくるの忘れたんだな! 大丈夫だ。マナのクラスも三時間目と四時間目がプールだったから、マナの貸すぞ!」
すると、慌ててミリカが胸の前で手を振り、違うとジェスチャーした。
「ち、違うよ。ちょっとお腹痛くて、プール見学させてもらおうと思って、先生に言いに来たの。でも……」
「でも?」
「……実は今日、担任の先生が、お休みでね、代わりの先生が授業やってくれてるんだけど……」
半分ほど開けっ放しになっていた職員室の扉、ミリカはそこから職員室の中をのぞく。マナもそれに続く。視線の先にいたのは、椅子に座って事務仕事をする若い男性教員、川西先生だった。
「普段あんまり喋らない先生だし、しかも男の先生だし、言いにくくて……どうしよう」
その途端、マナはニコリと笑った。
「なんだ、川西先生か。大丈夫だ。マナに任せろ。マナは時々話すから、代わりに言ってやるぞ!」
そう叫ぶと、職員室の扉を勢いよく開き、中に飛び込む。
「しっつれいしまーす!」
そして、ずんずんと川西先生の元へ。ミリカとセリナも遅れて続く。
「川西先生!」
大声で呼ぶと、川西先生は椅子に座ったまま、体をマナの方にむけた。
その途端だ。
「どりゃー!」
マナはジャンプして川西先生の膝にまたがるように飛び乗った。そのまま腕を広げて抱き着く。
「あっ、ちょっと、松原さん? 飛びつくなって、いつも言ってるでしょ」
周囲の教員の目が一斉に集まる。川西先生は慌てるが、マナはお構いなしに続ける。
「ねえ、先生、ちょっとお願い」
「一回離れなさい、松原さん!」
川西先生は力づくでマナを引き離し、膝から下した。
「で、どうしたの?」
マナは一度大きくうなずくと、後にいたミリカに目配せする。
「あのな、ミリカお姉ちゃんがお腹痛いんだって。だから、次のプール、見学させてください」
それを聞いた川西先生は、一瞬きょとんとした表情の後、ミリカに視線をむける。
「新庄さん、そうなの? 保健室行く?」
ミリカは恥ずかしそうに視線を伏せながら、小さく首を横に振る。
「保健室は大丈夫ですけど……プールは見学させてほしいです」
それを聞いた川西先生はうなずく。
「わかった。次は見学でいいよ」
放課後。
マナが暮らす施設と、セリナの家までは途中まで同じ道だ。校門を出た二人は並んで歩く。二人とも背にはランドセル。手にはプールバッグを持っている。
「今日はナオカちゃんは一緒じゃないんだ」
セリナが尋ねると、マナはうなずく。
「おう。今日、二年生は四時間目までだから、先に帰ってるってさ」
マナはプールバッグを振り回しながら、路肩の法面をよじ登ったり、飛び降りたり、横断歩道の白いところだけをピョンピョンと飛びながら渡ったりしながら進む。セリナは数歩後ろをニコニコと笑顔を浮かべて歩いている。
「おっ!」
マナが何かに気付き、おもむろに足を止め、足元をみつめる。
「何かあったの? マナちゃん」
セリナが追い付いて、マナと同じ場所を見る。
白い半透明の紐の様なものが落ちていた。
「セリナ! これはすごいぞ!」
マナは歓声を上げながら、その紐のようなものを拾い上げる。
それは、ヘビの抜け殻だった。頭から尻尾まで一通りそろっている。伸ばせば七十センチくらいありそうだ。
「ヘビの抜け殻なんて滅多にみつからないのに。しかも全部そろってる。持って帰るぞ!」
マナは興奮した様子で言った。
「へ、持って帰るの? それ。気持ち悪くない?」
セリナは数歩後ずさり尋ねる。
「うん。持って帰ってマナの宝物にするぞ!」
マナは丁寧な手つきでヘビの抜け殻をプールバッグに入れた。
そして、鼻歌まじりに歩き出す。セリナもその横をついていく。
「ヘビ抜け殻があるってことは、ヘビはスッポンポンだな」
マナは冗談っぽく言った。
「ヘビさんははじめから服着てないでしょ」
セリナは呆れ顔。
「スッポンポンで思い出した。この前、お風呂上りに暑かったから、裸で歩き回ってたら、トシヤに怒られちゃったぞ。トシヤは変わり者だな」
マナは上機嫌にそんなことを言った。
「トシヤさんって、施設の職員さん? 男の人だよね」
マナははっきりとうなずく。
「うん。そうだぞ。今年施設に来たばっかりで、料理下手だし、なんかどんくさいけど、いっぱい遊んでくれるから好き」
セリナはこれまでより少し真剣な様子で尋ねる。
「マナちゃんって、時々そういうことするよね。男の人の前で裸になったり、男の人に抱き着いたり。お昼休みだって、川西先生に抱き着いてたし」
すると、マナは得意げに答える。
「裸になると褒めてもらえるんだぞ。男の人ってのは女の子に抱き着かれたり、裸を見ると嬉しくなるんだから」
セリナは顔を赤くしてうつむく。
「マナちゃん、そういうの……よくないよ」
だが、マナはキョトンとした表情を浮かべる。
「なんでだ? 別に私は嫌なわけじゃないし、それで喜んでもらえたらそれでいいじゃないか」
「そうだけど……そうじゃなくて……」
セリナは必死に言葉を探すが、結局出てこなかった。
マナはケラケラと笑う。
「セリナも、不思議なこと言うよな」
これ以上この話題が続くことはなく、そのまま二人は歩いていった。
マナとセリナはある十字路で足を止めた。左へ行ってしばらく進んだところにマナが暮らす児童養護施設がある。一方、右の道はセリナの自宅へ行ける。
「なあ、セリナ。ランドセルを置いたら、公園で遊ばないか?」
マナが提案すると、セリナは顔の前で手を合わせた。
「ごめんね。今日はこの後、病院に行かないといけなくて」
その途端、マナは驚いたような表情を浮かべた。
「病院? 大丈夫か? どこか悪いのか?」
セリナははにかみながら首を横に振る。
「ううん。私じゃないよ。実は今、お母さんのお腹に赤ちゃんがいて、今日は検診の日なの」
マナは少し考えてから、ゆっくりと尋ねる。
「セリナ、お姉ちゃんになるってことか?」
「うん。だいぶ大きくなっててね、エコーで顔もはっきり見えるんだって。それで、今日、検診についてきて一緒に見ていいよって、お母さんが。赤ちゃんってどんなのだろ、楽しみだなー」
セリナはうっとりとした様子で語る。
マナは数回うなずく。
「そっか、そっか。赤ちゃんのことでわかんないことあったら、私に聞いてくれよ。私が施設の人に訊いてみるから。うちのホームにはいないけど、別のところには二歳の子もいるから、詳しい人もいるはずだ」
「うん。ありがと、マナちゃん。じゃあね」
こうして、二人は別々の方向へと別れた。
明治時代に建てられた木造の古民家。
それを転用した児童養護施設『ふれあいの家 第3ホーム』
マナは土間玄関で靴を脱ぐと、下駄箱に押し込み、ドタドタと足音を立てながら廊下を走り、ダイニングに飛び込んだ。
「たっだいまー!」
大きな声であいさつする。
「おかえり」
そこにいたのは、初老の男性職員、ケンジだった。
マナはケンジの顔をみるなり、駆け寄る。
「ケンジー!、見て見て」
そして、興奮した様子でプールバッグに入れたヘビの抜け殻を見せた。
「おお。ヘビの抜け殻だね。状態もよさそうだね。拾ったのかい?」
マナはうなずく。
「うん。帰り道で拾ったんだ。マナの宝物にするぞ。ヘビの抜け殻があるってことは、きっとどこかにスッポンポンのヘビが……」
マナは冗談を言いかけて、途中で言葉を止めた。脳裏によみがえったのだ。セリナの言葉が。
『マナちゃん、そういうの……よくないよ』
マナは急に真剣な様子で尋ねた。
「なあ、ケンジ。マナが裸になったり、抱き着いたりしたら、男の人は嬉しくならないのか?」
ケンジは一瞬驚きの表情を浮かべたがすぐに冷静になる。
「僕は、そういうの好きじゃないかな」
マナはますます『わからない』という顔になる。
「そうなのか? 男の人は、そういうの好きなんじゃないのか?」
ケンジは腰を落としてマナと視線を合わせ、ゆっくりと話す。
「マナちゃんが抱き着いてきたり、服を脱いで走り回ったりしなくても、僕はマナちゃんのことを嫌いにならないよ。だから、マナちゃんはもっと自分を大事にしてほしいな」
マナはしばらく考えていたが、やはり困惑の表情のままだった。
「ランドセル……部屋に置いてくる」
そして、マナはトボトボと元気がない足取りで、ダイニングを出ていった。
「おやつあるから、荷物置いたらまたおいで」
ケンジはマナの背中に言葉を投げかけだが、返事はなかった。




