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ツバサ編 その3

 二十時すぎ。閉店までのバイト終えたツバサは学校の制服に着替え、最寄りの駅の改札へとやってきた。


 ちょうど電車が到着したらしく、改札からは多くの人が出てくる。ツバサは通路の端に移動して、人の波が収まるのを待つ。


 ぼんやりと眺めていると、改札を出てきた人の中に小学校低年くらいの女の子がいた。


 女の子は小走りでツバサの前を通りすぎると、その直後、ビタンッと前のめりに転んだ。


「大丈夫?」


 思わずツバサは駆け寄り、女の子を抱き起した。


 その途端、


「うわあぁぁぁん!」


 女の子は大号泣しはじめた。


「怪我しちゃった? どこか痛い?」


 ツバサの声は女の子に届いていないようだ。


 その時だ。


「ちょっと、どうしたの」


 心配そうな声と共に、一人の女性が改札を出て駆け寄ってきた。女の子の母親のようだ。


 どうやら、親子で電車に乗りこの駅で降りたが、女の子だけが駆け出して先に改札を出たということのらしい。


「転んじゃって」


 ツバサは母親に対して、手短に説明する。


「もう、いきなり走り出すからよ。大丈夫?」


 母親は身を屈めて目線の高さを合わせると、女の子に声をかける。それでも女の子は大声で泣き続けている。


 ツバサはそっと、その場を足し去ると、定期券で改札を抜けて駅に入った。




 カタン、コトン。


 軽快な音を発しながら、電車はゆっくりと闇の中を走る。


 ツバサは膝にリュックサックを乗せ、窓に背中をむけるタイプの座席に座っていた。


 身をよじって、視線を窓にむける。


 時折家々の明かりや、街燈の明かりは見えるが、基本的に窓の外は暗く、ガラスは鏡のようにツバサの顔を映している。


「うわあぁぁぁん!」


 頭の中で、先ほどの女の子の泣き声が何度も反復する。次第にその声は、ツバサ自信の声のように思えていた。


 見つめていると、窓ガラスに映る顔が、幼い頃の自分の顔に見えてきた。声を上げて泣いている、幼い頃のツバサの顔。


 ツバサは窓から目をそらした。


「あの子は……私じゃない」


 小さくつぶやく。


 気持ちを落ち着かせるように、深呼吸する。


「……アオノ、今頃、何やってるんだろ」


 無性にクラスメイトのアオノにラインのメッセージを送りたくなった。


 別に愚痴を聞いてもらいたいわけではない。くだらない雑談でいい。アオノは話し好きだから、結局はアオノの話をツバサが聞く形になるだろう。いつもそうだ。それでも、アオノと今すぐに繋がりたかった。


 膝に乗せたリュックサックのポケットを探った。


 だが、スマートフォンが見つからない。


「あれ?」


 別のポケットを探るが、そこにもない。


 チャックを開いて手を入れ、隅々まで探す。それでもスマートフォンは見つからなかった。


「うそっ。さっき着替えたときかな。とりあえずから、次の駅で降りて、施設に遅くなるって電話して……」


 そこで気が付く。


「あー。スマホないと電話できない」


 電車は駅に到着し、扉が開く。そして、しばらくして閉まると、ゆっくりと走り出す。


 ツバサは手で顔を覆いながら、長く、ゆっくりと息を吐いた。


「私はただ、静かに生きていきたいだけなのに、なんでこんな思いしなきゃならないんだろ」


 カタン、コトン。


 閑散とした静かな車内に、電車の音が響いていた。




 最寄り駅で降り、そこから歩いて十五分ほど。


 明治時代に建てられた民家を改装した児童養護施設。ツバサの暮らしている場所である。


 門をくぐり、駐車場も兼ねている広い庭を通り抜け、玄関へ。


 引き戸をガラガラと開けると、そこは広い土間玄関になっている。


「ただいまー、ってあれ?」


 ツバサは首を傾げた。


 見慣れないローファーがあった。大きさからしておそらくレディース。


「こんな時間に誰か来てる? めずらしい」


 ツバサは自分の靴を脱ぐと、下駄箱に入れた。


 その時、廊下のむこうから職員のタマキが出てきた。三十台半ばの女性だ。


「お帰り、ツバサ。お客さんが来てるよ」


「お客さん? 私に?」


 タマキの後ろから、ひょっこりと一人の少女が顔をのぞかせた。


 ツバサと同じ制服を着た少女。そう、同級生の北崎アオノであった。


「やっほ~。お邪魔してまーす」


 アオノは軽い調子で手を振る。


「な、なんでここに!」


 ツバサは思わず叫んだ。




 施設のダイニングに移動した。


「さっきまで、ナオカちゃんだっけ、小学生の子と遊んでたんだけど、もう寝る時間なんだって」


 アオノはそう言いながらテーブルに近寄る。


「これ、カフェに置き忘れてたよ」


 テーブルの上。そこには、スマートフォンが置かれていた。ツバサにとって見慣れたスマートフォン。


 そう。それは、ツバサのスマートフォンだった。


「え、何で……。もしかして、アオノ……届けてくれたの?」


 驚きながら尋ねると、アオノは笑顔でうなずいた。


「うん。バイト先に持っていこうと思ったんだけど、そういえばツバサのバイト先どこか知らなかったから、ここに持ってきたの」


 ツバサは驚きの表情を浮かべる。


「私……どこの施設で暮らしてるかって、言ってたっけ?」


 すると、アオノはニコリと笑顔を浮かべた。


「いつも帰っていく方向にある児童養護施設調べたら、ここしか無かった。スマホないと困るでしょ。感謝してよね」


 その途端、ツバサの頬を一滴の涙が流れた。それは、ツバサにとっても意外な涙だった。


「ツ、ツバサ? 泣くほど感謝しなくても……」


 アオノが慌てると、ツバサは首を横に振る。


施設(ここ)に誰かが来てくれるの……小三のとき以来で……」


「ねえ、ツバサ。ツバサの部屋ってあるよね。どんなとこか見せてよ」


 アオノは穏やかな表情を浮かべながら、タマキに目をむけた。タマキも穏やかな笑顔でうなずく。


 その途端、ツバサはハッとしたような表情になった。


「で、でも部屋は……」


「せっかくだから、入れてあげたら」


 タマキに促され、ツバサはしぶしぶという表情でうなずいた。




 ツバサの自室は母屋とは別の離れにある。


「基本、高校卒業したら施設は出なきゃいけないから、自立の練習ってことで離れでくらしてるんだ。台所とか、お風呂とか、離れだけで暮らせるようにしてあって、休みの日は洗濯とかご飯作るのとかも、全部自分でやってる」


 歩きながらツバサは説明した。


 一旦庭に出て、母屋の裏へと回ると、平屋の小さな建物が現れた。


 母屋と同時に建てられた、古風な木造建築の入口には『自立練習室』と看板が出ている。


 ツバサは鍵を取り出し扉を開けた。


「ごめん、ちょっと散らかってるけど」


 ツバサは玄関で靴を脱いで上がった。アオノも後に続く。


 短い廊下を進み、(ふすま)を開けた。その向こうにはもともと和室だったのを改装した洋室が広がっている。広さは八畳。


「おお~!」


 それを見た途端、アオノは思わず声を上げた。


 なぜなら、部屋は足の踏み場が無いほど散らかっていた。


 脱いだ服、教科書やノート、採点され返却されたテスト。ドライヤーやヘアアイロン、スマートフォンの充電コード。とにかく色々な物がぐちゃぐちゃ散乱しており、ベットの上だけがかろうじて無事。だがそれも、埋まるのは時間の問題に思える。


「これは『ちょっと散らかってる』のレベルではないかな」


 アオノが感想を言った。


「でしょ。いつも片付けなさいって言ってるのに、この有り様で。アオノちゃんからもビシッと言ってよ」


 いつの間にかアオノの後ろにいたタマキが、わざとらしいため息をついた。


「か、片付けなきゃとは思ってる! でも、中々時間が無いの!」


 ツバサは恥ずかしそうに言い返した。


 アオノは驚いた様子でツバサの部屋を見ていいたが、やがてハッとしたように何かに気付く。


「ツバサって、学校の机の中とかカバンの中も、いらないプリントがぐしゃぐしゃになって入ってるよね」


「言うなっ!」


 ツバサはさらに顔を赤くする。


 アオノは少し考えて「よしっ」と言った。ツバサとタマキの視線が集まる。


「ツバサが一人暮らしはじめたら、私、週に一回。いや、三日。ううん、毎日ツバサの部屋を掃除しにいくから」


 アオノは一度息を吸いなおす。


「だから、高校卒業してもよろしくね」


 ツバサは驚いたような表情を浮かべた。だが、それは徐々に喜びに変わる。




「アオノ……ありがとっ!」

「ツバサ編」参考文献

児童養護施設の日常とこころ 施設内心理療法家の観点から

著 森田喜治  株式会社創元社 2013年12月20日発行


児童養護施設で暮らすということ 子どもたちと紡ぐ物語

著 楢原真也  株式会社日本評論社 2021年12月10日発行


児童養護施設という私のおうち 知ることからはじめる子どものためのフェアスタート

著 田中れいか  株式会社旬報者 2021年12月22日発行

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