ツバサ編 その2
店に入ってきたのは、中学生くらいの少年だった。
少年は緊張の面持ちで店内を見渡すと、ツバサと目が合った。
「へ……」
男の子も驚きの表情を浮かべた。
ツバサは何かを迷うように視線を左右に動かしたあと、目をつむり、ゆっくりと息を吐いた。そして、目を開いて少年を見る。
「お、久しぶりじゃん。ソラ」
ソラ、と呼ばれた少年の表所が若干和らいだ。
「ねーちゃん……ですよね」
その途端、ツバサは吹き出した。
「もう、『ですよね』ってなにさ。姉弟なのに、敬語って」
そう。このソラという少年は、ツバサの四歳年下の弟なのである。
「なんか、久しぶりすぎて……」
ソラはつぶやくように小さな声で言った。
「まあ、それもそっか。同じ児童養護施設でも、ホームが違えば会うのなんて年に数回だもんね」
「そのホーム同士の交流のときも、ねーちゃんいないこと多いじゃん」
「私だって、いろいろ忙しいの」
ツバサはケーキのショーケースに肘をつき、少し身を乗り出す。
「で、今日はなにしに来たの?」
「えっと、これ」
すると、ソラはポケットからなにか紙を取り出すと、ショーケースの上に広げた。
それは、ケーキの予約控えだった。
「あ、バースデーケーキの予約、ソラだったんだ。ホームの子の誕生日?」
ツバサが尋ねると、ソラは照れたようにうつむく。
「えっと、職員さん。今日、誕生日の職員さんがいるから」
「へー、アンタもいいとこあるじゃん」
「俺じゃなくて、他の子の思い付きで、みんなでお小遣い出し合って」
ツバサは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「そっかそっかー。喜んでくれるよ。ちょっと待ってて、用意するから」
ツバサはカウンターの奥の厨房スペースへと足をむける。が、すぐに立ち止まった。
「あ、そうだ。せっかく来てくれたんだし」
カウンターに戻ってくると、ショーケースの中から何かを取り出して、ソラに手渡す。
それは、小さなビニール袋に包まれたクッキーだった。
「待ってる間の食べるといいよ」
ツバサは店内のイートインスペースを指さす。
「ね、ねーちゃん、これ売り物なんじゃ……」
ソラが手の中にあるクッキーを見ながら戸惑っていると、ツバサは呆れたようにため息をついた。
「そだよ。だから、私が後でお金払うの。弟らしく素直に奢られとけ。持って帰ると喧嘩の原因になるでしょ。ここで食べていきな」
ツバサはメモ用紙に『クッキー 500円 翼』 書くと、ショーケースの裏に張り付けた。
「えっと、ありがと」
ソラは戸惑いつつも、イートインスペースの椅子に座り、クッキーの袋を開いた。
ツバサは奥の厨房に入る。そこには大きな業務用冷蔵庫がある。その中から目的のケーキを探し出す。
すぐに見つかった。トレーに載せられている、切り分けられていない真っ白なショートケーキ。
真ん中にチョコレートのプレートが刺さっており、そこにはこんな文字が。
『ながた すばるさん お誕生日おめでとうございます』
「ふーん。スバルさん、今日が誕生日なんだ」
ツバサは丁寧な手つきでケーキを取り出し、調理台の上に置いた。それを用意しておいた箱に入れ、隙間に保冷剤を入れ、一旦蓋をした。
それから、自分の親指の付け根に封をするためのシールを貼ると、そのまま箱を持ってソラの元へ。
「ソラ、これで間違いない?」
イートインスペースのテーブルの上に箱を優しく置くと、蓋を開けて、中身を見せる。
ソラは口いっぱいに頬張っていたクッキーを慌てて飲み込むと、ケーキ覗き込む。
「うん。大丈夫」
「わかった」
ツバサは蓋を閉じると、親指の付け根に貼っていたシールで封をした。
「お金はもう払ってくれてるんだっけ?」
ソラはうなずく。
「じゃあ、気を付けて持って帰るんだよ」
「うん。わかった」
ソラは立ち上がり、ケーキの箱を持った。だが、すぐには立ち去らず、物言いたげにツバサを見る。
「ん、何? ソラ」
ソラはしばらく迷うように店内を見渡すと、やがて、まっすぐにツバサに視線をむけた。
「ねえ、ねーちゃん」
「ん?」
ツバサは軽い調子で聞き返す。
「ねーちゃんはさ、お父さんかお母さんと、連絡とってる?」
瞬間、驚いたようにツバサの目が見ひらかれた。だが、それは一瞬だった。
「……とってるよ、連絡。時々手紙のやりとりしてる」
店内に静寂がながれる。
やがて、ソラがゆっくりと口を開いた。
「俺さ、親とは月に二,三通の手紙のやりとりしてるし、時々電話で話すことあるし、年に何度か会って、一緒に外出したこともあったし」
ツバサは一度深呼吸をした。
「ふーん。アンタはそんな感じなんだ。いいじゃない」
「お父さんもお母さんも、ねーちゃんのことすごく心配してたよ。手紙も返信はくれるけど素っ気ないし、手紙以外の交流は全部断られてるって」
「うん。そだよ。私が断ってる」
「お父さんとお母さん、すごく優しいし、私立の高校行きたいならお金も出すって言ってくれてるし、ねーちゃんのことも本気で心配してたし、昔とは別人みたいになってるんだ。だから、ねーちゃんもお父さんたちと……」
ツバサはわざとらしい笑顔を浮かべると手を伸ばし、言葉を遮るようにソラの頭を撫でた。
「ソラ、いつの間にか大きくなったね。もう私と身長変わらないか、ちょっと大きいくらいじゃん。保護されたとき、アンタまだ三歳だったのに」
ツバサは撫でる手を止めた。しかし、手はそのままソラの頭に乗せたままにしている。
「もしも、アンタがまた親と暮らしたいって言うなら、私は反対しない。むしろ応援する。でも、私は親とは会いたくない」
「……なんで?」
ツバサはそっと、ソラの頭から手を放した。
「私はきっと、全部に『でも』を付けちゃうから」
「でも?」
ソラは首を傾げた。
もしも、親と一緒に暮らしたら、遊びに連れて行ってもらえて楽しいって思えるかもしれない。
でもその後に、この人たちは昔、私を殴ったって思っちゃう。
毎日家に帰ると「おかえり」ってむかえてくれて、美味しいごはん作ってくれて、私の話を何でも聞いてくれるかもしれない。
でも、この人たちは昔、何日もご飯をくれなかったって思っちゃう。
行きたい学校に行かせてくれて、習い事とか、やりたいことは何でもやらせてくれるかもしれない。
でも、この人たちは私を家から追い出して、何時間も入れてくれなかったって思っちゃう。
ツバサはゆっくりと口を開く。
「親が私に何をしてくれても、その後に私は『でも』を付けて、自分でなにもかも台無しにしちゃう。それがわかってる」
「ねーちゃんは恨んでるの?」
ツバサは言葉につまり、視線をそらした。
しばらく視線を泳がせながら考え、ゆっくりと、一言一言慎重に言葉を選びながら話す。
「別に恨んではいないよ。うん。恨んでない。復讐したいとか、ひどい目に遭ってほしいとか、そういうことは思ってない。例えばだけど、目の前で親が苦しんでたら、私はそれを嬉しくなんて思わない。悲しくなると思う」
「じゃあ……」
ソラの言葉を遮るように、ツバサは続ける。
「私の中に、二人の私がいるの。施設で暮らし始めてからの私と、施設で暮らす前の私。それでね、施設に入る前の私は、今も私の中で泣いてて、それを成仏させる方法を探してる。それだけなの」
二人の間に沈黙が流れる。
おもむろに、ツバサは笑顔を浮かべると、胸の前でパンっと手を叩いて、早口で言う。
「さ、もう帰りな。楽しい誕生日パーティーなのに、湿っぽい空気にしちゃってごめん。ケーキの箱、斜めにしないように気を付けてね」
ソラはまだ何か言いたげだが、結局言葉が出ず、ケーキの箱を片手に店の出口へと歩き始めた。
「うん。帰るよ。ありがと、ねーちゃん」
ソラが扉を開けたそのときだ、
「ソラっ!」
おもむろに、ツバサが呼び止めた。
ソラは驚いて振り返った。
「ソラ、あのね、前に誰だったか忘れたけど、誰かが言ってた。こどもが五十歳とか六十歳とかになって、親が八十歳とか九十歳になって、そのくらいになったら『昔はそんなこともあったね』って笑い合える親子も多いんだって」
ツバサは笑顔を浮かべた。
それは、どこか寂しそうな笑顔だった。
そして、その表情のまま言う。
「あと三十二年。長いね」
ソラはしばらく何かを考えるような顔をした後、小さくうなずき「うん。またね」と言って、店を出ていった。
扉がバタンと閉まる。
ツバサは大きく息を吐くと、「あああ」とうめき声を上げながらその場にしゃがみ込んだ。
そとき、奥から店主の妻である中年女性が出てきた。
「ツバサちゃん、来月のシフトなんだけど……」
そして、ツバサの様子に気付くと、慌てて駆け寄った。
「ツバサちゃん、大丈夫? 気分悪い? お腹痛い?」
ツバサはうずくまったまま、首を横に振る。
「私……私、いつの間にかお姉ちゃんをやろうって思わないと、お姉ちゃんできなくなってた」
その言葉の意味が分からず、中年女性は困惑の表情を浮かべた。




