ツバサ編 その1
高校三年生の少女、北崎アオノは不満げな表情で、手元のカップに刺さったストローを咥え、キャラメルラテを一口飲んだ。
「ねぇ、ツバサ。聞いてる?」
アオノの問いに、彼女の正面にいる人物、高校三年生の今川ツバサは笑顔で答える。
「うん。聞いてる聞いてる」
ここはある大きな駅の中にあるカフェ。時間は夕方。
ツバサとアオノ、共に同じ学校の制服を身につけている。
アオノは不満げな表情を崩すことなく続ける。
「家の親がさ、上から目線で『大学行ったらスマホ代は自分で払うのが当然だ』って言ってくるの、ホント腹立つんだよね」
ツバサは自分のコーヒーを一口飲むと、落ち着いた様子で口を開く。
「でも、高校卒業したらスマホ代、自分でバイトして払うんでしょ?」
すると、アオノは少し勢いを失う。
「そうだけど、そのつもりだけど、最初からそのつもりだったのに、なんか親に言われて嫌々やってる感じになっちゃうのが嫌なの」
そのとき、スマートフォンがブーンとバイブする音が聞こえた。ツバサは足元に置いていた自分のリュックサックのポケットを開き、スマートフォンを取り出す。
画面を確認すると、どうでもいいメルマガだった。
「ま、バイト頑張んな、アオノ。お金の余裕は気持ちの余裕って言うし」
ツバサはスマートフォンをテーブルの上に置いた。
『今川 翼 18歳 高校3年生』
駅のカフェでは、ツバサとアオノの会話がまだ続いていた。
「そういえばさ、ツバサってバイト先変えたんだっけ。なんで? 前のところ時給いいって言ってたのに。私もそこ紹介してもらおうと思ってたのに」
アオノが不思議そうに尋ね、ツバサは少し考える。
「んー、なんて言うか、店長と合わないなって」
「喧嘩したの?」
ツバサは笑いながら顔の前で手を振って否定する。
「してない、してない。ただ……」
ここでツバサは続きを口にするか迷うように視線を泳がせる。
「ただ?」
アオノが続きを促す。
「ただ、家族のこと訊かれたから、親と折り合いが悪くてって話したの。そしたら『もう高校生なのに親に反抗するのがカッコいいと思ってるのか』とか『生んでくれた親に感謝して、親孝行しろ』とか説教されちゃって、なんかもういいやって気分になった」
アオノはうなずく。
「あー、そっか。大変だったね」
ツバサはアオノから視線をそらす。
「ほんと、何なんだろうね。別に悪ぶってるとかじゃなくて、本当のことしか言ってないのに。まあ、今までもそんなヤツいっぱいいたけど」
アオノは身を乗り出し、自分が飲んでいたキャラメルラテを差し出す。
「一口あげる」
「ありがと」
ツバサはアオノが使っていたストローをそのまま使い一口飲む。が、しかしすぐに口を離した。
「甘っ! よくこんなの飲めるね」
「そう? けっこう美味しいけどな」
アオノは椅子に座りなおすと、ストローを口に入れ、一口飲んだ。
「で、新しいバイト先はどうなの?」
「まあ、悪くないかな」
ツバサは自分のコーヒーを一口飲んだ。
「何系のバイト?」
アオノが尋ねる。
「えっとね……」
答えようとしたツバサの視界に、腕時計の文字盤が入る。
「あ、やば。もうこんな時間だ。バイト行かなきゃ」
「うん、いってらっしゃい」
ツバサは残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、足元に置いていたリュックサックを掴み、カフェを出ていった。
カフェのあった駅から徒歩十数分。
ツバサのバイト先であるケーキ屋さんがある。店内にはイートインスペースがあり、カフェとしての機能も持っている店だ。
到着するとツバサは周囲の従業員にあいさつしながらロッカールームへ。学校の制服から、店の制服へと着替える。
タイムカードを押して、売り場に出ると、ここの店主の妻である中年女性がいた。彼女自身も事務員兼販売員として働いている。
「あ、ツバサちゃん、今日もよろしくね」
「お疲れ様です。よろしくお願いします」
ツバサは軽く頭を下げると、販売カウンターに立つ。
「こっちから頼んどいてあれなんだけど、ツバサちゃん、かなりシフト入ってくれてるでしょ。体とか大丈夫?」
ツバサは笑顔を浮かべると、顔の前で手を左右に振る。
「大丈夫ですよ。今月、ちょっとスマホ使いすぎちゃったんで、その分頑張らないと」
中年女性は感心したようにうなずく。
「ツバサちゃん、えらいわねぇ。ウチの子なんか、寝転がってユーチューブ見ながら、お小遣いくれしか言わないのに」
ツバサは首を横に振った。
「お子さんって、中学生ですよね。だったらそんなもんじゃないですか?」
「そうかしらねー。ツバサちゃん見てると、うちの子ももうちょっと自立心を持ってほしいなって思うなー」
ツバサ苦笑いで返事した。
中年女性はふと思い出したように話題を変える。
「あ、そうだ。ツバサちゃん、お誕生日ケーキの予約入ってて、今日中に取りに来るらしいの。お代はもう頂いてるから、ケーキだけ渡してくれる。ケーキは奥の冷蔵庫に入ってるから」
ツバサはうなずいた。
「あっ、はい。わかりました」
勤務開始から一時間程度。
ツバサは一人で販売カウンターに立っていた。先ほどの中年女性は事務仕事のためにバックヤードにいる。
今、店内にお客さんは一人もおらず、ツバサは店番をしながら大きなあくびをした。
そのときだ、入口の扉が開いた。
ツバサが慌ててあくびの痕跡を消すと、笑顔を作った。
「いらっっしゃいま……せ……」
ツバサの動きが固まる。
店に入ってきたのは、中学生くらいの少年だった。
少年は緊張の面持ちで店内を見渡すと、ツバサと目が合った。
「へ……」
男の子も驚きの表情を浮かべた。
ツバサは何かを迷うように視線を左右に動かしたあと、目をつむり、ゆっくりと息を吐いた。そして、目を開いて少年を見る。
「お、久しぶりじゃん。ソラ」
ソラ、と呼ばれた少年の表所が若干和らいだ。
「ねーちゃん……ですよね」
その途端、ツバサは吹き出した。
「もう、『ですよね』ってなにさ。姉弟なのに、敬語って」
そう。このソラという少年は、ツバサの四歳年下の弟なのである。




