サユキ編 その3
「うん。でも私は続けてる。だからさ、問題を起こさないでくれると助かるのそうなんだけど、サユキ、お前に関しては気を使いすぎというか、もっとわがまま言ってくれてもいいのにって、私は感じてる」
サユキは一度咳をした。
「それは……ダメなんです」
「ダメ?」
カナが聞き返すと、サユキはうなずく。
「だって、お父さんとお母さんも『人に迷惑をかけてはいけない』って言ってましたし……それに、イチカさんだって、きっと、きっと、私が迷惑かけたから辞めちゃったんだし」
カナは立ち上がると、ベットの脇に腰かけた。
「イチカさんって、前にいた、ものすごく喋る人?」
サユキは小さくうなずく。
「一年前、私が入所したとき、イチカさん、ほとんど付きっ切りになってくれていたんです。でも、そのあと辞めちゃって。きっと、私が迷惑かけすぎちゃったから……」
部屋の中に、静寂が流れる。窓の外から、ツバメの鳴き声。
「イチカさん、別に辞めてないよ。元の施設に戻っただけ」
サユキは首を傾げた。
「元の……施設? 別のホームってことですか?」
カナも不思議そうな顔を浮かべる。
「本当に何も聞いてないのか」
サユキはうなずく。
カナは少し考えて、ゆっくりと口を開いた。
「障害児入所施設って知ってるか?」
サユキは一度咳をしてからうなずく。
「あ、はい……。私みたいな障がいのあるこどもが暮らしてる施設ですよね」
「まあ、色々なタイプがあるけど、だいたいそんな感じ。元々、お前はそこに入所する予定だったんだよ。一応、説明あったと思うけど、覚えてない?」
サユキは首を横に振った。
「なんか、児童福祉司さんからは『これからこういう施設に行くんだよ』みたいな話は聞いて、実際来てみたらずいぶん思ってたのと違うなとは思いました」
サユキはミルクティーを一口飲んだ。
「そっか、そっか。ちゃんと説明できてなかったんだな。ごめんな」
カナが言うと、サユキは首を横に振る。
「あの頃は色々混乱してて、何も考えられなかったから、聞いていたのに頭に入っていなかっただけかもしれないです」
「まあ、ちゃんと説明するよ。さっきも言った通り、お前は児童養護施設じゃなくて、障害児入所施設ってところに入所する方向で話が進んでたんだよ」
サユキが相づちをうったのを確認してから、カナは続ける。
「でも、入所する予定だった施設で火事があったらしいんだ。幸い怪我人はいなかったんだけど、新しくこどもを受け入れられる様な状態じゃなくなっちゃったんだって。だから、ここで暮らしてもらうことになったんだよ。ここがさ、古民家を改装したのは知ってるだろ?」
サユキは部屋の中を見渡す。畳の上にカーペットを敷かれていて、洋風に改装されているが、年季の入った木製の柱や天井など、ところどころ古い和風建築の名残が見られる。
カナは話を続ける。
「施設になる前にここに住んでた人、お年寄りで脚腰が悪くてね、元からここは結構バリアフリー対応の工事がしてあったんだよ。だから、サユキのことも受け入れられるんじゃないかってことになって」
「お風呂とか、お手洗いとか、あれ元々だったんですか?」
「うん。サユキが来ることが決まってから、多少手を入れた部分はあるけど、ほとんどは民家として使ってた頃から変わってないよ」
「そうだったんですか」
「うん。それと、念のために障がいのあるこどもが暮らしている施設から臨時で職員に来てもらうことになったんだ」
「それがイチカさん?」
「そうそう。イチカさんがお前に付きっ切りだったのは、お前に手がかかるからじゃなくて、元々その為に来てて、思った以上にサユキが一人で何でもできるから、派遣が終わったってだけ。別にお前のことを苦にして退職したわけじゃないし、なんなら連絡先調べることもできるぞ」
サユキは驚いたような表情を浮かべた。だが、それは次第に嬉しそうな表情に変わり、同時にサユキの体から力が抜けていく。
「そうだったんだ……。よかった。私……私……」
その時、サユキは激しくせき込んだ。
「大丈夫か、サユキ」
カナはサユキの背中を撫でる。
咳がおさまると、サユキは小さな小さな声で声で言った。
「背中……撫でてくれてありがとうございます。病院……行きます」
カナはサユキからミルクティーが入ったマグカップを受け取り、勉強机に置いた。
「うん。わかった。連れてくよ」
サユキは腕の力を使い、動かない下半身を滑らせるようにしながら、ベットの車いすに乗り移った。
そして、ブレーキを解除してふすまへむかう。
「サユキ、押してやるよ」
カナはサユキの車いすの後ろに回った。
「あ、あの……自分で漕げます」
「今日くらいは私に甘えろよ」
サユキは少し迷うそぶりを見せたあと「じゃあ、お願いします」と言った。
カナは車いすの手押しグリップを握り、押し始める。
車いすのキャスターが敷居に差し掛かる。
「ちょっとガッタンするよ」
カナは何でもないように、とても自然にそう言った。
「……ガッタンする?」
サユキが聞き返し、はじめてカナは自分が言った言葉を自覚したようだ。
カナは車いすを押して、部屋を出る。ふすまを超えるとき、敷居の段差で少し揺れた。
そのまま廊下を進む。
「保育士だったんだよ。前の仕事。保育園で先生やってたの。たまに昔の癖が出ちゃうんだよ」
カナはどこか恥ずかしそうに早口で言った。
「カナさんが……保育園の先生……。なんか、ちょっと意外」
「意外言うな! これでもこどもには人気あったんだよ!」
カナの声が静かな廊下に響いた。
数日後の夕方。
サユキは自分の部屋で勉強机にむかっていた。パジャマ姿ではなく、普段着の青いワンピースを着ている。
そのとき、ふすまのむこう側から声がした。アンナだ。
「ただいま。サユキちゃん、入っていい?」
サユキは笑顔で返事をする。
「うん。どうぞ」
ふすまを開け、アンナが入ってくる。学校から帰ってきたばかりなので、まだ制服姿だ。
「サユキちゃん、具合どう?」
「うん、もう熱も下がったから大丈夫。コロナとかインフルじゃなくて、ただの風邪だったし。明日は部活行けそう」
「よかった」
アンナは嬉しそうに微笑みながら、ベットに座ると、サユキの手元に目をむける。
「なにしてたの? サユキちゃん」
サユキの手元には、書きかけの便せんがあった。
「うん。前にお世話になった職員さんに手紙かいてるの」
便箋のあて名、サユキのお手本のような美しい字で『新川 一花様』と書かれていた。
サユキはそのあて名を見て、そっと微笑む。
そのとき、部屋の外からカナの声が聞こえてきた。
「あーもうっ、書類の全角半角なんてどうでもいいだろ! ほんと、細かいことにうるさいんだから、ロッテンマイヤーめ!」
そんな愚痴を言っている。
「カナさんってさ、たまに副施設長さんのこと『ロッテンマイヤー』って呼ぶよね。『ロッテンマイヤー』ってなんなんだろ? 訊いても教えてくれないし」
ベットに座っているアンナは、両足をプラプラと揺らしながら、不思議そうに言った。
ふと、サユキの脳裏にカナの声がよみがえる。
「特に一人、細かいことにいちいち口うるさい職員がいたんだよね。陰でロッテンマイヤーってあだ名つけて、悪口言いまくってたのよ」
「いっぺんさ、そのロッテンマイヤーと大喧嘩して、前歯折っちゃったことあったんだ」
「知り合いに施設の仕事紹介してもらって、再就職したってわけ」
この施設の副施設長、中年の女性なのだが前歯が欠けている。
「そっか。そうだったんだ」
なにかに気付いたサユキは、口元に手をあて「ふふっ」と笑った。
「サユキちゃん、どうしたの?」
アンナが不思議そうに首をかしげる。
「ううん。なんでもない」
サユキは笑顔でそう返した。




