サユキ編 その2
いつの間にか眠っていたサユキは、ふすま越しに聞こえた声で目が覚めた。
「おつかれーっす」
職員のカナが出勤してきたのだ。
カナはしばらくマイコや男性職員のタイキと雑談をした後、職員室として使っている部屋に行ったようだ。
やがて、マイコがサユキの元へやってきた。
「サユキちゃん、起きてる?」
サユキはゆっくりと顔をむける。
「じゃあ、カナちゃんにも引き継ぎしといたから、何かあったら遠慮なく言うんだよ」
「……大丈夫です。マイコさん、はやく帰って。うつっちゃいますよ」
マイコは「わかった」と優しく微笑み部屋を出ていった。
パタリとふすまが閉まると、部屋は静かになる。
サユキは顔全体を掛け布団で覆った。その肩は、微かに震えていた。
マイコとタイキ、それぞれが帰っていく音が聞こえた。
それからしばらくして、ふすまが開き、足音を忍ばせながら誰かが入ってきた。
「サユキ、どうだ?」
二十代半ばの女性職員、カナだ。
ベットの上のサユキはカナに背をむけた体勢で、目をつむる。
「……寝てるのか。じゃあ、後でいいや」
カナはそう言うと、再び足音を忍ばせながら部屋を出ていった。
ほどなくして、カナが掃除機をかける音が聞こえ始めた。
バタン、ドタンと何かをこかす音。
「あー、コード絡んだ。コードレス買ってくれって言ってんのに、あの副施設長め、ケチなんだから」
カナが悪態をつく声が聞こえる。
それでも何とか掃除が終わると、今度は洗濯機を回そうとする音が聞こえた。
「これ、レース付いてるからネット入れた方がいいのか? ったく。アンナのやつ、服にこだわるから気を使うんだよな」
「あー、マナめ、この前買ったばかりの服、もうドロドロにしやがった。しかもひっつき虫がこんなに! どこ歩いてらこうなるんだよ!」
サユキは身をこわばらせながら、その声を聞いていた。
昼前。
再びふすまが開く音がしてサユキは目を覚ました。気付かないうちにまた眠っていたようだ。
しかしサユキは目を閉じたまま、寝たふりをする。
「サユキ、どうだー?」
どこかぶっきらぼうな口調と共に部屋に入ってきた人物。カナだ。
サユキはジッと動かず、寝たふりをしてやり過ごそうとする。
しかしそのとき、ドンっ、という大きな音と共に「うおわぁ」というカナの声が響いた。
カナは何かにつまづいて、転びそうになったようだ。
サユキはその音に驚いて体を震わせ、思わず声を上げる。
「ひっ!」
サユキに顔をむける。
「あ、起こしちゃった? ごめん」
「……大丈夫です」
サユキの声はか細く、意識しないと聞き取れないほどだった。
カナはサユキの横までやってくると、顔を覗き込む。
「具合どうだ? 朝よりよくなったとか、悪くなったとか」
サユキは小さく首を横に振る。
「大丈夫です」
カナは短く息を吐くと、再び尋ねる。
「一回、病院行った方がいいと思うんだけど、起きられそうか?」
サユキは小さく首を横に振る。
「大丈夫です」
「ほんとに大丈夫か? 何でも遠慮なく言っていいんだぞ」
「だいじょ……」
サユキは大丈夫、と言いかけて、激しくせき込んだ。
「大丈夫じゃなさそうじゃねーか。背中さするぞ」
カナはそう言いながら背中を撫でた。
「ごめんなさい……私は……私は……大丈夫」
その途端、サユキは声を震わせながらつぶやく。
「おい、おい。どうしたんだよ」
カナが慌てて声をかけると、サユキは首を横に振った。
「ごめんなさい……違うんです……。迷惑かけて……ごめんなさい……」
「迷惑?」
カナのつぶやきはサユキの耳には届いていない。サユキはただひたすら、怯えたように身を固くした。
数分後。
ベットの上で上体をおこしたサユキに、カナは湯気が立ち上るマグカップを手渡した。中にはミルクティーが入っている。
「どうだ? 落ち着いたか?」
サユキはカップの中のミルクティーを見つめると、一度咳をした。
「迷惑かけて……ごめんなさい」
カナはゆっくりと息を吐いてから、ベットの横、畳の上にカーペットを敷いた床に膝を抱えて座った。
「サユキはさ、私に迷惑かけてると思ってんの?」
「えっと……その……」
サユキは困ったように視線を左右に動かす。
カナは息を吐いて、それから口を開いた。
「私もさ、施設出身なんだ」
一言目。それを聞いた途端、サユキはゆっくりとカナに顔をむけた。
「そうだったん……ですか」
カナは一度うなずき、続ける。
「小学生のときはそうでもなかったんだけど、中学くらいからなんか職員とぶつかることが増えて、毎日喧嘩するようになってた」
カナは一度息を吐き、さらに続ける。
「特に一人、細かいことにいちいち口うるさい職員がいたんだよね。陰でロッテンマイヤーってあだ名つけて、悪口言いまくってたのよ」
「ロッテンマイヤーって、ハイジに出てくる厳しい教育係の?」
サユキが尋ねると、カナはうなずく。
「そうそう。ハイジの古いビデオがあってさ、ちっちゃい子たちと一緒に見てたんだよね」
カナは一度息を吐き、意を決したような表情になると慎重に言葉を発する。
「いっぺんさ、そのロッテンマイヤーと大喧嘩して、前歯折っちゃったことあったんだ。本当に反省してる。あの頃、何にあんなにイライラしてたんだろ」
「それで、どうなったんですか?」
「別の施設に移されるだろうなって思ってたんだけど、そんなことなかった。なんでだろ。そのまま、高校卒業まで施設で暮らして、それから一人暮らししながら大学行って、別の仕事してたんだけど、そこが倒産しちゃって。それで、知り合いに施設の仕事紹介してもらって、再就職したってわけ」
カナは座ったまま、一度大きくのびをした。
「結局何が言いたいかっていえばな、私がお前らの世話してんのは、仕事だからってこと。でも、自分でどんな仕事かわかった上で就いてるし、仕事だから、辞めたくなったら辞められる」
サユキは手元のマグカップ、その中のミルクティーを見つめながら、小さくうなずく。
「辞めていく人、多いですもんね」
カナもうなずく。
「うん。でも私は続けてる。だからさ、問題を起こさないでくれると助かるのそうなんだけど、サユキ、お前に関しては気を使いすぎというか、もっとわがまま言ってくれてもいいのにって、私は感じてる」




