ナオカ編 その2
夜。
ナオカは木造の階段を軋ませながら、二階にあるアンナの部屋を訪れた。アンナはこの施設で暮らす中学一年生の女の子だ。
ナオカはふすまごしに声をかける。
「アンナお姉ちゃん、ナオカだけど」
出てきたのは、パジャマ姿のアンナだった。
「どうしたの?」
アンナは優しい口調で尋ねる。
「あのね、アンナお姉ちゃん。便箋って持ってない? 可愛いやつ。何枚か欲しいの」
「便箋? お手紙書くの?」
ナオカは小さくうなずく。
「うん。えっとね、お母さんに」
アンナはちょっと驚いたような表情を浮かべた。
「ナオカちゃん、ママと手紙のやり取りしてるんだ。ちょっと待ってね。可愛いやつあったはずだから」
アンナはそう言いながら勉強机の引き出しを探る。
「うん。いつもはお母さんがお手紙送ってくれて、それのお返事を書いてんだけど、私からお手紙送りたいなって思って」
「これ、買ったけど使わなかったから、ナオカちゃんにあげる」
アンナは、青い花があしらわれた便箋の束を見つけ、ナオカに差し出す。
「わぁ、綺麗な花だね。もらっていいの?」
ナオカは歓声を上げた。
「うん。ワスレナグサっていう花だって。いっぱいお手紙書いて」
「ありがとう、アンナお姉ちゃん。母さんにね、なんでナオカは『なおか』ってお名前になったのか訊いてみる」
ナオカは便箋の束を胸に抱えて、スキップのような軽い足取りで自分の部屋にもどった。
勉強机にむかい、便箋を広げると、筆箱を開いて鉛筆を取り出す。
だが、そこからが進まない。
「私からお手紙書くときって、どうすればいいんだろ」
ナオカはしばらく何も書かれていない便箋を見つめていたが、やがて諦めたように鉛筆を置いた。
引き出しを開いて、封筒の束を取り出す。母から届いた手紙の束だった。
「お母さん、お手紙書くときは何を考えて書いてるのかな?」
ナオカのつぶやきに、返事はなかった。
次の日の朝。
いつものように、ナオカとマナは学校へむかう。だが、今日はいつもと少し様子が違う。
「で、なんでトシヤも一緒なんだ?」
マナが目をむけたのは、施設の若い男性職員、トシヤだった。施設からずっとナオカの横を歩いている。
「昨日、ナオカちゃんが変な人に会ったからね、今日から学校まで送っていくことにしたんだ」
トシヤは辺りを警戒するように、せわしなくキョロキョロと視線を動かす。
「これじゃ、トシヤが不審者だぞ」
マナは呆れたように言った。
小学校が近づくと、歩いている児童の数も増えてくる。
すると、ナオカは落ち着きなくソワソワとしはじめた。
「どうした? ナオカちゃん」
トシヤが声をかける。
「もうすぐ学校だし、ここまででいいよ」
「えー。そうはいかないよ。ちゃんと学校に着くの見届けなきゃ」
そこに、一人の少女が近寄ってきた。ナオカのクラスメイト、コハルだった。
「おはよー。ナオカちゃん、マナさん」
コハルはのんびりした口調でそう言ってから、一度トシヤを見て、再び視線をナオカに戻す。
「ナオカちゃん、この人、ナオカちゃんのお父さん?」
すると、ナオカはすかさず言い返す。
「ち、違う」
「じゃあ、お兄さん?」
「違うっ!」
ナオカはスタスタと歩調をはやめた。他の面々は慌てて追いかける。
やがて、小学校が見えてきた。校門にナオカの担任の教師が立っているのが見えはじめた。
放課後。
帰りの会が終わると、担任は校門までナオカを送っていった。
そこで待っていたのは施設職員、タマキだった。
「タマちゃん、迎えにきてくれたの?」
ナオカが声を上げると、タマキはうなずく。
「うん。一緒に帰ろ」
二人は歩きはじめる。だが、すぐに足を止めた。
「ナオカちゃーん」
後ろから、コハルが追いかけてきたのだ。
コハルは二人の横で立ち止まり、ジッとタマキの顔を見上げる。
「お友達?」
タマキが尋ねると、ナオカは恥ずかしそうに小さくうなずく。
「こんにちは。二年の佐藤コハルです」
コハルはペコリとお辞儀をする。
「こんにちは。武田タマキです。よろしくね」
タマキはニコリと笑顔を浮かべた。
「タマちゃん! 帰るよ!」
ナオカはタマキの背中を押す。その様子を見たコハルは何か物言いたげな表情を浮かべるが、やがて飲み込んだようだ。
「じゃあね、ナオカちゃん」
コハルは手を振りながら、小走りで去っていった。
ナオカとタマキ、二人は田畑の間の道を歩く。学校から離れたので、周囲に小学生の姿は見えない。
「ナオカって、学校では施設で暮らしてること隠してる?」
タマキが尋ねると、ナオカは小さくうなずいた。
「うん。幼稚園のとき『お父さん、お母さんがいないのってかわいそう』って言われた。勝手に決めないでほしい」
タマキは「そっか、そっか」と言って数回うなずく。
「私のお父さんとお母さん、今、何してるのかな?」
ナオカはポツリと言うと、歩きながらタマキの手に抱き着いた。
「ん? 寂しくなっちゃった?」
「ううん。平気。でも気になる。私はね、今日の職員さんは誰かなって考えるけど、コハルちゃんはいっつも同じお父さんと、お母さんがいる。それってどんな感じかなって」
「そっか。ナオカはそんなこと考えてたか。手紙のやりとりはしてるし、ここからお父さん、お母さんと近づいていけるといいね」
「うん。コハルちゃんはね、お父さんとお母さんに『好き』って言ってもらえるんだって。いつか、私も言ってほしい」
二人はさらに歩いていく。
ナオカは思い出したように口を開く。
「そうえば昨日、コハルちゃんと図書室に本を借りに行ってね、同じ本を借りたいってなったから、譲ってあげた。私、コハルちゃんの後でいいから」
「そっか、そっか。ナオカは優しいね。えらいよ」
「えへへ。ねえ、タマちゃん。今日の晩御飯も、タマちゃんが作るの?」
ナオカは尋ねる。
「うん。今日は私が担当だよ」
「じゃあ、ミツバのお吸い物ある?」
タマキはちょっと意外そうな表情を浮かべた。
「ナオカ、あれ好きなの? 渋いね」
ナオカは小さくうなずく。
「うん。あれが、タマちゃんの味って感じがする」
タマキは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう。今日の晩御飯でも作るからね」
「やったー。あっ、今日は『ティンクルドリーム☆アリスちゃん』の日だ。帰ったらすぐに宿題終わらせなきゃ」
『ティンクルドリーム☆アリスちゃん』とは、ナオカが気に入っているテレビアニメである。
「うん、宿題終わったら見ていいよ。頑張れ」
タマキは満足げに微笑んだ。
「音読の宿題あるから、聞いてくれる?」
「うん、いいよ」
二人は施設にむかって歩いていった。
施設に着くと、児童福祉司の男性と、副施設長の女性がいた。
タマキは真剣な表情になる。
「何かあったんですか?」
副施設長がうなずく。
「ナオカちゃんにちょっと、お話があって」
ナオカはタマキの顔を見上げた。
ナオカの部屋。
ナオカの他に児童福祉司と、副施設長もいる。
「――って、ことなの」
副施設長は話を終えた。
勉強机の上の時計の針が、カチ、カチと音を立てる。
「えっ、それって、どういうこと?」
ベットに腰かけたナオカはわけがわからないという表情で、せわしなく視線を動かす。
「ご両親から、ナオカちゃんに会いたいって昨日連絡があって」
副施設長がゆっくりと言った。
「お父さんと……、お母さんが……」
ナオカはつぶやく。
「もしも会いたいなら面談を調整するし、会いたくないならそれでもいい。しばらく考えたいなら、それでもいい。ナオカの望むようにするからね」
副施設長がゆっくりと言った。
ナオカはうつむいて少し考えた後、ゆっくりと顔を上げた。
「お父さんとお母さんは、私に会いたいって言ってるんだよね」
副施設長と児童福祉司は顔を見合わせた後、児童福祉司が言う。
「うん。ご両親は、ナオカちゃんに会うことを楽しみにしてるって」
「でも、会うかどうかは、ナオカが決めていいんだよ」
副施設長が補足した。
ナオカは首を横に振った。
「会いたい。私、お父さんとお母さんに会ってみたいです!」
それから、副施設長と児童福祉司はタマキとしばらく何かを話し合い、帰っていった。
そして夕方。
ダイニングにて、椅子に座ったナオカは、宿題の音読を終え、国語の教科書を閉じた。
「お疲れ様。上手だったよ」
テーブルをはさんで正面に座るタマキは、ナオカが差し出した音読カードに日付を書き込み、サインした。
「ねえ、タマちゃん。私ね、お父さんとお母さんに会えるって」
ナオカの声は、少し震えていた。目を伏せて、自分の膝を見る。
「うん。さっき副施設長から聞いたよ。楽しみ? それとも恐い?」
タマキがゆっくりとした口調で尋ねると、ナオカはしばらく沈黙をはさんでから答える。
「あのね。本当はお母さんたちと会うの、ちょっと恐い。だからね、タマちゃんも一緒に会ってほしい。ダメ?」
ナオカは顔を上げた。その表所には不安が浮かんでいた。
「うん、わかった。私も面会に立ち会えないか、施設長に相談してみる」
タマキの返事を聞いたナオカは嬉しそうにうなずいた。
「あっ、もう時間。タマちゃん、テレビ見ていい?」
ナオカは椅子から飛び降りる。
「うん。教科書と音読カード片付けたら、テレビ見ていいよ」
ナオカは急いで教科書と音読カードを回収し、バタバタとダイニングを飛び出していった。




