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ナオカ編 その1

 ある冬の日。


 古民家を転用した児童養護施設『ふれあいの家 第3ホーム』


 昨日から降り続いた雪によって、ホームの周辺は白一色に染められていた。


 玄関の扉が開き、一人の少女が現れた。小学校低学年くらいに見える。厚手の部屋着に、綿入り袢纏(はんてん)を羽織っている。


 少女は白い息を吐きながら施設の庭を横切っていく。少し遅れて女性職員も表に出てくると、少女の後を追った。


 少女は門柱に取り付けられた郵便ポストまでやってきた。錆び付いて開きにくくなった蓋を力を込めて開き、中身を確認した。


 何も入っていない。


「何もないね」


 少女はつぶやいた。


 職員も中を確認する。


「うん、そうだね。寒いし戻ろうか。郵便当番お疲れさま」


 職員がそう言い、二人は再び庭を横切ってホームへむかう。


「あ、そうだ。ナオカに、お手紙来てたよ」


 歩きながら職員は言った。


「へ? でも、お手紙無かったよ」


 少女はキョトンとした様子。


「うん。本所の方に届いてたの。後で渡すね」




 ホームの二階。


 元々は六畳の和室だったが、畳の上にカーペットを敷き、障子をカーテンに付け替え、洋室風にした部屋。ここが少女の私室だった。


 少女は椅子に座り、勉強机にむかっていた。足をパタパタと動かす。期待に胸を膨らませている表情だ。


 先ほどの職員が襖(ふすま)のむこうから「入るよ」と声をかけ、入ってきた。


「私のお手紙、持ってきてくれた?」


 少女は輝く瞳で職員を見る。


「うん、これだよ」


 職員は少女の横に立ち、勉強机に一通の手紙を置いた。


 飾り気の無い事務封筒。宛名には『高見 なおかちゃん』と書かれている。


 職員は封筒を裏返し、差出人の名前を指さす。そこには『高見 愛』と書かれている。


「ナオカ、この人だけど、心当たりある?」


「えっと、高見(たかみ)……高見(たかみ)……漢字、読めない」


「『たかみ あい』さんだね」


 少女は首を傾げる。


「知らない人。読んでみていい?」


「うん。私も一緒に見ていいかな?」


 職員が尋ねると、少女はうなずいてから、小さな手で開封した。


 便箋代わりのコピー用紙にパソコンで打った文字が並んでいる。


 少女はしばらくその手紙を見つめ、困惑の表情を職員にむけた。


「これ、私のママからだって。そう書いてある」


 職員は慌てて手紙を見る。


『やっほー、なおか。ひさしぶり。なおかのママだよー』


 手紙はそんな一文で始まっていた。


「ごめん。ちょっと見せて」


 職員は慌てた様子で手紙を手に取り、黙読する。何度も繰り返し、一心不乱に手紙の文章を目で追う。


「なんて書いてあるの? 私にも見せて!」


 少女の不満の声で、職員は我に返った。


「えっと……」


 職員は慎重に言葉を選び、ゆっくりと手紙の内容を要約した。


「ナオカのご両親がね……」


「私、お父さんも、お母さんも、会ったことないよ。私が赤ちゃんのとき、どこかへ行っちゃったから」


「そうなんだけど、そのご両親が、あなたに会いたくなって、このお手紙送ったんだって」


 少女と職員は、互いに顔を見合わせた。




 一週間後、また手紙が届いた。簡単な近況報告が書いてあった。


 少女はすぐに返信を書いた。


 一ヵ月後、また手が届いた。少女に会いたいという内容だった。


 少女はすぐに返信を書いた。


 施設職員と内容を確認しながら手紙を読み、施設職員に手伝ってもらいながら返信を書く。


 返信の返信が来ることは無く、数週間から一ヵ月程度間を空けてまた手紙が届く。少女はすぐに返信を書く。


 そんな日々が続いた。





【高見(たかみ) なおか  7歳 小学2年生】




 最初の手紙が届いてからおよそ半年後、七月の上旬。


 高見ナオカは現在小学二年生。最近、背も少し伸びた。


 昼休みの小学校。ナオカは一番仲の良いクラスメイト、コハルと共に図書室にやってきた。夏休みの宿題である読書感想文用の本を探すためだ。


「おもろい本、あるといいね」


 二人は一緒に図書室に入り、低学年向けの本棚を端から順に見ていく。


「これにする」


「これ、おもしろそう」


 ナオカとコハルは同時にある一冊に手を伸ばした。『なまえのゆらい図鑑』という本だった。


 二人は顔を見合わせる。


「コハルちゃんはこの本、気になるの?」


「ナオカちゃんも?」


 しばらく見つめ合った後、ナオカがニコリと笑う。


「この本、コハルちゃんが読んで。私は別の探すから」


「いいの? ナオカちゃんも読みたいんじゃないの?」


 コハルは心配そうな表情をうかべた。


「私は二学期に読むから。コハルちゃん先に読んで。私、順番待てるから」


「ありがとう。ナオカちゃん」


 コハルは笑顔でうなずくと、本棚から本を引き抜いた。




 それからナオカも気に入った本を選んだ。アメリカの作家、フランシス・ホジソン・バーネットの児童文学『小公女』だ。低学年でも読めるように、簡単な文章で翻訳されている。


 貸出カウンターへ持って行くと、担当の先生に渡す。


「二年生の、佐藤コハルです」


「はい、佐藤さんね」


 先生はスキャナーで本のバーコードを読み取った。


「二年の、高見ナオカです」


「はい、高見さんっと」


 続いて、ナオカの持っていた本のバーコードも読み取った。


「二人とも、読書感想文用?」


 二人は同時にうなずく。


「じゃあ、返却の日は二学期の最初の金曜日。九月四日です」


 二人はもう一度うなずいた。




 それぞれが借りた本を抱えながら、ナオカとコハルは並んで歩く。


「順番譲ってくれて、ありがとう。ナオカちゃん」


 歩きながら、コハルは嬉しそうに言った。


「ううん。いいよ」


 コハルはチラリと自分の借りた本『なまえのゆらい図鑑』を見た。身近な物の名前の由来が紹介されているようだ。


「そういえば、ナオカちゃんって、なんでナオカちゃんなの?」


 コハルは尋ねる。


「どういうこと?」


「えっと、コハルは三月が誕生日なの。お父さんがね『小春日和』って冬のことなのに、春だと勘違いして、それでコハルは『小春』になったんだ

よ」


 コハルはニコリと笑う。


「でも、コハルは気に入ってるし、お父さんもお母さんも『好き』だし、お父さんもお母さんも、コハルのこと『好き』って言ってくれるから。だから、勘違いのお名前でもいいの」


 ナオカは口の中で小さく「好き」とつぶやいた。


「それで、ナオカちゃんはなんで『なおか』ちゃんなの?」


 コハルはうながすようにナオカを見た。


「私は……私は、なんで『なおか』なんだろ」


「ナオカちゃんって、名前もひらがなだよね。なんで?」


「わかんない。聞いたことない」


「じゃあ、今度お家の人に訊いてみてよ」


 ナオカは一瞬、目を伏せた。


「えっと、お家の人……。うん……今度、お母さんに訊いてみるね」


 ナオカがそう答えたときだ。


 バタバタと大きな足音を伴いながら、正面から駆け寄ってくる児童がいた。


 四年生のマナだ。彼女もナオカと同じ児童養護施設で暮らしている。


「ナオカ、ナオカ、ナーオーカー!」


 マナはナオカの目の前で立ち止まると、大きな声で叫ぶ。


「なに?」


 ナオカは露骨に嫌そうな表情を浮かべる。


「ナオカ、定規持ってるか? 次の算数で使うんだ。貸してくれ!」


「定規? 持ってるけど、マナだって持ってるでしょ?」


「さっき、消しゴム弾いて遊んでたら、折っちゃったんだ!」


 ナオカは心底面倒くさそうなため息をついた。


「もう。後でもっていくから、教室で待ってて!」


 ナオカは強めの口調で言い放つ。


「ありがとう。ナオカ―」


 マナは再びバタバタと足音を鳴らしながら、走り去っていった。


「マナさん、いつも騒がしいね。近所のお姉さんなんだっけ? いつも仲良しさんだね」


 コハルは苦笑いをしながら尋ねる。


「別に仲良くない。ただの……そう。近所の人。そうだよ」


 ナオカはコハルから目をそらしながら、どこか気まずそうに言った。




 帰り道。


 ナオカとコハルとは家の方向が異なる。ナオカは一人で歩いていた。田畑が広がる景色の中、まっすぐな道を歩いていく。


 ふと、前方の道端に一人の女性が立っていることに気付いた。三十代前半に見える。


 ナオカは特に気にせず、前を通り過ぎようとした。そのときだ。


「ちょっと、いい?」


 女性はナオカを呼び止めると、身を屈めて、視線を合わせる。


「ちょっと聞きたいんだけど、高見ナオカって女の子、知らないかな? 二年生なんだけど」


 ナオカはトクンと心臓が跳ねる。


「え、ええっと、あの……」


 ナオカは何か言おうとするが、何も言葉が出てこない。


「あ、恐がらないで。その、ナオカちゃんって子が、どんな子か知ってたら教えてほしなって思って。知らないかな?」


 女性は顔を近付ける。ナオカは足が微かに震えていた。


 その時だ。


 タッタッタッと駆け足の軽快な足音が近づいてきた。マナだった。背中のランドセルの重さなど感じさせない勢いで、マナが駆け寄ってくる。


「ナオカー、大丈夫かー」


 マナは立ち止まり、ナオカと女性を交互に見る。


「ナオカ、この人、知り合いか?」


 ナオカは小さく首を横に振った。


「もしかして、あなたがナオカちゃん?」


 女性は心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「逃げるぞっ!」


 その途端、マナはナオカの手を握り、走り出した。


 ナオカもマナに引きずられるように走った。


 二人の背中で、それぞれのランドセルがガチャガチャと音を立てる。


 やがて、古民家を改装した児童養護施設が見えてきた。


 二人は勢いそのまま、庭を突っ切り、玄関に飛び込んだ。


「おかえり。どうしたの、二人とも……」


 物音を聞きつけ、奥から女性職員のタマキが出てきた。


「タマキ……大変だ。ナオカが……変な人に……話しかけられてた」


 マナは息を切らせながら早口で説明する。


「そうなの? ナオカ」


 タマキはナオカに視線をむけたが、ナオカは息を切らせていて、話ができそうにない。


「とりあえず、食堂に行こうか。落ち着いて、話、聞かせてくれる?」


 タマキはそう言った。




 食堂。


 荷物を置き、麦茶を飲んで、少し落ち着いた。


 ナオカは先ほどの出来事を伝えた。知らない女性に話しかけられたこと。その女性は『高見なおか』を探していたこと。


 一方マナは、ナオカが女性に声をかけられている場面を目撃し、怯えていた様子だったので声をかけたのだという。


 タマキは真剣な表情で、声をかけられた状況や、女性の服装、雰囲気などを聞き取った。ナオカも、覚えている限りでこたえた。


「確認なんだけど、ナオカの知らない人なのね」


 タマキが確認すると、ナオカははっきりうなずいた。


「わかった。話してくれてありがとう。恐かったね。後は私たちに任せて。ナオカのこと、必ず守るから」


 それからタマキは施設の本所と、学校にもこの一件を報告した。

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